触れる 





「殺すよ?」

端正な顔に貼り付けられた嘘臭い笑顔。温度の無い楽しげな声。

私はこの人がー沖田さんが、苦手だ。





それはある春の日のこと。

「ふぅ…」

洗濯物を干し終えて、私は小さく息を吐き出した。
降り注ぐ日差しは暖かく、空は雲一つない晴天だ。この天気ならすぐに洗濯物も乾くだろう。
さて次はどうしようかと私が考えていると、遠くから軽やかな足音が近づいてきた。

「千鶴ー!」

名前を呼ばれて振り返ると、亜麻色の長い髪を揺らしながら平助君がパタパタと私のもとへ小走りで駆け寄ってくる。

「平助君、どうしたの?」
「なあ、総司見なかったか?」
「沖田さん?」

その名前を聞いて、どきりと心臓が跳ねる。悪い意味で。

「さあ…?見てないけど…沖田さんがどうかしたの?」

そう尋ねると、平助君は待っていましたとばかりに大きなつり目を見開いて、早口でまくし立てた。

「きいてくれよ、千鶴!」
「う、うん?」
「総司の奴、オレが大事にとっておいた饅頭を勝手に食いやがったんだよ!」
「饅頭?」
「ああ!この間は胡麻煎餅、その前は豆大福、そのまた前は金平糖!あいつ、いつもオレのものだけ狙ったように食いやがる!」

悔しそうに平助君は地面を蹴りつける。
…そんなに被害にあってるのなら、違う場所にお菓子を置いておけばいいんじゃないのかな…?
その考えは平助君には無いのだろうか。

「とにかく!総司見つけたらオレに教えてくれよ!頼んだぜ、千鶴」
「う、うん…」
「食べ物の恨みは恐ろしいんだからな、総司…!」

憎々しげに呟く平助君に、私は苦笑を浮かべた。




平助君が気の毒なのと、仕事を一通り終えたことから、私も沖田さんを探すことにした。

「沖田さんどこにいるんだろう…」

私は、沖田さんが苦手だ。
むしろ苦手というより怖いのだ。
あの冷えた笑顔も、言葉も。
彼は、笑いながら人の命なんて簡単に奪ってしまう人だ。
だから、私は沖田さんが怖い。

そんなことを考えながら歩いていると、縁側にある人を見つけた。

「あれ?」

それは、たった今私が探していた人。
春の日差しに包まれながら、沖田さんは腕を組んで縁側に腰をかけていた。

「沖田さん…?」

なんだか私は違和感を感じて小走りで沖田さんのもとへ駆け寄った。
そして、そこでやっと違和感の正体に気付いた。

「寝てる…」

安らかな寝顔。規則正しい呼吸が薄い唇から繰り返されている。
長い睫毛を伏せて、沖田さんは気持ちよさそうに眠っていた。

「お、沖田さん?」

名前を呼んでみても返事がない。どうやら、本当に寝ているようだ。
物珍しさから私はまじまじと沖田さんの寝顔を見つめた。

「…綺麗な寝顔…」

沖田さんはとても綺麗な人だ。
男の人に綺麗だなんて言ったら失礼かもしれないけど、それでもやっぱり沖田さんは綺麗だ。
思わず、その穏やかな寝顔に見惚れてしまう。

ーだから、私は忘れていたのだ。
彼が、新選組一番組組長だということを。

「…ねえ、人の寝顔見るのってそんなに楽しい?」
「え?」

それは、一瞬だった。
手首を強く引っ張られたかと思うと、気付いた時には私の身体は反転して床に押し付けられていた。
閉じていたはずの瞼は持ち上げられ、今は長い睫毛に縁取られた翡翠色の双眼が楽しげに私を見下ろしていた。

「お、沖田さん…!」
「おはよう、千鶴ちゃん」

にっこりとその端正な顔に彼は綺麗な笑みを浮かべた。
沖田さんの猫のように丸い瞳が、楽しそうに細められる。

「い、いつから起きてたんですか?」
「君が僕の寝顔を覗いてる時から」
「ね、寝たふりをしたんですか!」
「だってさ、あんなに見つめられちゃ起きるに起きられないよ」
「っ!」
「しかもあんな至近距離でさ、」

そう言って、沖田さんの顔がずいっと近付いた。
息をすることさえ躊躇われるほどの至近距離。
驚いて身体を硬直させる私に構わず、沖田さんは言葉を紡いだ。
吐息が、顔を掠める。

「警戒心が、足りないと思わない?」

まるで、悪戯を企む子供のように無邪気な声と笑顔。
翡翠色の瞳が、真っ直ぐと私の視線を絡め捕る。

「おきた、さ、」
「それとも、僕は男として見られてないのかな」

息が、できない。
頭の中が真っ白だ。

「…ねえ、こんなに近いなら、口付けなんて簡単にできるね」
「…っ、」
「やってみる?」

そう言って、沖田さんの形の良い薄い唇がゆっくりと近付いてきた。
熱い吐息が、私の唇に触れた。

「…沖田さんは、そんなことしません」

ぴたりと、彼の動きが止まる。

「沖田さんはそんなことしませんから」
「…どうして、そんなこと言えるの?」
「なんとなく、です」

沖田さんは怖い人だ。
新選組のためならば、その腰の刀でどんなものだって迷いなく斬るだろう。
そんなことは私もわかっている。
でも、沖田さんがどんなに恐ろしい人でも、冗談でこんなことをしないということを私は知っている。
彼は、とても潔癖で美しい精神の持ち主だから。
そんなこと、近藤さんに対する沖田さんを見ていたらわかる。

「…………」

沖田さんはしばらく無言で私を見つめた後、小さく溜め息を吐き出して私から離れた。

「…つまんないなあ、千鶴ちゃんは」
「す、すみません…?」
「……だってさ、気に入らないんだよ」

ぽつりと沖田さんが小さく呟いた。
口を尖らせ、そっぽを向いたまま彼は言葉を続ける。

「千鶴ちゃんってさ、僕のこと避けてるでしょ」
「え、」
「わかりやすいんだよ、君は」
「そ、そんなことは…」

無い、とは言い切れないけれども。
私ってそんなにわかりやすいのだろうか。

「…平助やはじめ君とかにはあんなに楽しそうに話すくせにさ」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。だって僕と話す時はいつもビクビクしてるじゃない」
「それは沖田さんがいつも殺す殺す言うからです!」
「そんなこと僕は知らないよ」
「理不尽な…」

頬をぷくりと膨らませる姿は、私の知っている沖田さんとはなんだか全然違う。その姿はまるで、駄々っ子のような…。

「ねえ、どうしてくれるの?」
「え?」
「責任とってよ、」

肩に沖田さんの手が置かれて、それから。

唇を掠める、熱。

「ーーーー、」

何が起こったのかわからなくて、私は硬直したまま目の前の沖田さんの顔を見つめた。

「…あれ?驚かないの?」

不服そうな表情を浮かべる沖田さんだけど、その口角は嬉しそうに上がっていて。

「ごちそうさま、千鶴ちゃん」

端正な顔に浮かんだ綺麗な笑み。色っぽく舌なめずりをして、沖田さんは私を見つめた。

「…ごめんね、千鶴ちゃん。僕はこんなことしちゃう男なんだよ」

沖田さんはそう言って、私をその場に残して気怠そうに去っていった。

「……し、信じられない…っ!」

しばらくしてやっと我に帰った私は、驚きで震える声をなんとか絞り出した。
沖田さんに触れられた唇を指でなぞる。
頬が、熱い。私の顔は今真っ赤に染まっているだろう。
だけど、こんなことをされたというのに、沖田さんを怒る気にならないのはきっと、去り際の彼の顔も今の私と同じくらい真っ赤だったからだろうか。

「どうしよう…」

吐き出した息は、熱い。
心臓がばくばくと鳴り響いている。
沖田さんと次会うときに、どんな顔して会えばいいんだろう。




(私と沖田さんの関係に変化が訪れるのは、それはそう遠くない未来の話)


 
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