私の中の鬼が囁く。
「逢い引き、しようってさ」
「え…?」
端正な顔に薄い笑みを貼り付けて、沖田さんはそう言った。
それから一通の文を私に見せた。香が焚いてあるのか、その文からふわりと甘い匂いが漂う。
「この文をくれた子が、逢い引きしようって」
「…そうなんですか。どんな方なんですか?」
「んー…綺麗な子だったと思うよ」
胸が、ざわつく。
縫い針で繰り返し突き刺されるような痛みが私を襲う。
鼻につく、甘い匂い。
「…行くんですか?」
「ん?」
「その方に会いに、」
私の言葉に沖田さんは楽しそうに目を細める。
翡翠色が、真っ直ぐに私を見つめた。
「…どうしてほしい?」
私の反応を楽しむような言葉。
酷い人だ。貴方は私の気持ちなんてわかってるくせに。
「…私、は」
ー行かないで。
どうして私はこんな一言も言えないのだろう。
私の心には、醜い鬼が棲んでいる。
沖田さんが私以外の女の人と話さなければいいのに。私以外の女の人に触れなければいいのに。
嫉妬という醜い感情が身体に纏わりついて、私の中の鬼がずっとずっと囁き続ける。
どろどろとしたどす黒いものが、胸の中を満たしていく。
醜くて浅ましいこの私を知られないように、私は何度も何度も沖田さんに嘘を吐き続ける。
「……沖田さんの好きなようにしたら良いと思います」
嗚呼、私は嘘吐きだ。
胸の奥が、ずきずきと痛んだ。
私の言葉を聞いた沖田さんはつまらなそうに「ふぅん」と一言。
「じゃあ、逢い引きしようかな」
「…っ、」
「千鶴ちゃんはそれで良いんでしょう?」
沖田さんは、少し怒ったような顔をしていた。
それは、私が初めて見る顔だった。
いつも沖田さんは私の気持ちをわかっていながら、からかうように笑って、私を翻弄して。
なのに。
沖田さんの顔を直視することができなくて私は俯いた。訳がわからなくて、どうしようもなくて、鼻の奥は痛いし、視界は滲むし。
もう、どうすればいいの、私は。
「…素直じゃないなあ、君は」
沖田さんの小さな呟きと共に、骨ばった大きな手で乱暴に顎を持ち上げられた。
「僕のことが好きで好きでたまらないくせに」
翡翠色の双眼が私を捕らえる。
瞳の奥を覗き込むその視線から、私は逃れられない。
「泣いて、喚いて、縋ってみなよ」
「おきた、さ」
「ほら、言えよ」
射抜くような、視線。
その命令が、強く甘く私を縛りつける。
嗚呼、なんて酷くて、ずるい人なんだろう。
「……行かないで、」
ぼろり、と涙が零れた。
そのまま抑えきれなくて、堪えきれなくて、ボロボロと涙が堰を切ったように溢れ出した。
「…いか、ないで、行かないで、くださいっ、」
「うん、行かないよ」
ぎゅう、と強く強く抱き締められた。
それから、耳元で小さく「好きだよ」と沖田さんは囁いた。
「わ、私だって、好きです、」
「うん、知ってるよ」
「違う、違うんです。私の『好き』は沖田さんの『好き』のように綺麗なものじゃないんです」
顔をみっともなく涙でぐしゃぐしゃに歪めて、しゃくりあげながら言葉を吐き出す私の髪を、沖田さんが優しく撫でた。
それから、どうして?と問う。
「私は、ずっと、ずっと、嫉妬していました。沖田さんが女の人から文をいただく度、女の人と話す度に、」
「うん」
「でも、こんな浅ましくて醜い感情を出したら、沖田さんに嫌われてしまうと思って、」
いつも、醜い鬼が騒ぎ立てる。
沖田さんに触れないで、沖田さんを見ないでと。
何度も鬼が喚き散らす。
「…馬鹿だね、君は」
唇を前髪に押し付けられる。
熱い吐息が、かかった。
「…僕は、嬉しいよ。君が嫉妬してくれてるなんて。それだけ僕のことが好きってことでしょう?だから、すごく、嬉しい」
「沖田さん、」
「…それに僕の『好き』だって、君が思っている以上に汚くて醜くて、全然綺麗なんかじゃない」
腕の力が弱められて、顎を軽く持ち上げられた。
それから、沖田さんの唇が私の唇を掠めた。
ーああ、私の中の鬼が静まる。
あんなに騒ぎ立てて、喚いていた鬼が嘘みたいに静かになる。
甘く痺れさせる貴方の言葉。
それは、まるで、毒のように私の身体を侵蝕して、捕まえる。
「…好きだよ、千鶴」
再び降ってくる口付けに、私はゆっくりと目を閉じた。
(貴方という甘い毒に、私は侵される)