そのやさしさがいちばんずるい

ひんやりとした額の冷たさに、意識が浮上していく。
まるで重力がおかしくなったかと疑ってしまうほどに、やけに身体がだるい。
横たわるベッドのシーツは、汗で湿って気持ちが悪かった。
寝返りを打つことさえも億劫で、張り付いた瞼をゆっくりと持ち上げる。

ぼやける視界にまず映ったのは、白い腕だ。
私の額に置かれているであろう掌からつうっと視線を動かし、しなやかな上腕筋を経て、鎖骨、首、そして無駄を削ぎ落したかのような顔の輪郭に辿りつく。
不自然なほどに明るい蛍光灯の光が、幼馴染の雪成の肌を一層と白く彩っていた。
お互いの視線が絡み合った瞬間、ゆっくりと額に触れる冷たさが離れていく。
僅かな名残惜しさに目を眇めた私を、雪成は、まるで人形のように乏しい表情で見下ろしていた。

「熱、高いな」
「…、雪…成…?…あ、れ」
「早退したって、荒北さんから聞いた」
「…あー…」
「おばさん夜勤なんだろ?今、塔一郎がお粥温め直してるから、食ったら薬飲めよ」

そうか、塔一郎も来てくれたのか。
それは何だかすごく申し訳ない。
ベッドのふちに腰掛ける雪成は、見慣れた部活のジャージを着ている。
練習後にでも様子を見に来てくれたのだろうか。
それとも自主練前に抜け出して来てくれたのかな。
青白い蛍光灯の光で、やたらと目がチカチカする。
帰宅して布団に倒れ込んでから、一体どれくらいの時間が経ったのかと思案するけど、カーテンを閉め切った部屋では、今がどんな時間帯なのかも分からない。

それにしても、同じクラスの荒北には、早退することは伝えるな、と口止めすればよかった。
この調子では明日にはバレていただろうけど、まさかこんなにも早く嗅ぎつけられるとは。
高校生にもなって、いまだに年下の幼馴染たちに心配されるとは、私の立場がない。
まあ、元々ないに等しい薄っぺらな立場ではあったけれど、体調管理もろくにできない情けない姿はあまり見せたくない。

「名前」

凛とした涼やかな声が私の鼓膜を震わせて、いつもよりも抑えのきいた低音が、熱で朦朧とする意識をかろうじて引きとめる。
声を出すのもしんどくて、横着にも視線だけで応えた私に、雪成がそっと顔を近づけてくる。
深い海底のように蒼い瞳が、熱で霞む視界いっぱいに広がって、そこでようやく私は、やけに雪成が静かなことに気付いた。
いつもよりも無表情なのも、声に覇気がないのも、たぶん私の気のせいではないだろう。

やっぱり少し寝たぐらいでは、体調は回復しないらしい。
パラパラと頬に落ちた絹糸のような銀髪が、くすぐったいのかさえもよく分からない。
ただ、額に触れた雪成の額がひんやりと冷たくて、唯一それだけが身体の不快感を和らげてくれる。

「…、風邪、うつるよ」
「うつせよ。そうしたらはやく治るだろ」
「…ダメだよ。部活…出れなくなっちゃう」
「そんなにやわじゃねーよ」

でも、うつったらイヤだよ。
吐息のように掠れた頼りない言葉は、それでも隠しきれない切実さを孕んでいる。
至近距離にある雪成のまあるい瞳が僅かに見開かれて、その瞬間、私は、心にぽっかりと穴が開いたような寂しさに襲われる。
やっぱり、気づいて欲しくなかったなあ。
身勝手な憤りに、鉛のように重たい体が、尚も重力に押しつぶされるようだ。
ただでさえ、雪成と塔一郎には日頃からお世話になっているというのに、これ以上迷惑をかけてしまうとは何ともしのびない。
あんなにも血の滲むような努力を重ねている幼馴染たちが、私のせいで部活に出れなくなるなんてやっぱりイヤだ。
それだけは、どうしても受け入れることができない。

熱のせいなのか、それとも己の不甲斐なさにか、じんわりと視界がにじんでいく。
それと比例するように、つん、と鼻の奥が熱くなるから、思わず唇を噛みしめると、雪成もまた同じようにきつく眉を寄せたので、もっともっとやるせなくなった。
どうして、私は、年上のくせに、いつも彼らを困らせてばかりなんだろう。
どうして、私ばかりが、彼らに負担をかけてしまうのだろう。

「ごめ、ん」
「…何、謝ってんだよ」
「だって、いつも迷惑ばかりだ」
「…っ、バカか。そんなのいつものことだろ」
「でも、」
「うるせえっ。オレたちが好きでやってんだから気にしてんじゃねーよ」
「雪、成…」
「…、名前がいねえと調子出ねーんだよ。謝罪なんていらねえから、早く治せ…このバカ」

やっと、いつものように雪成が悪態をついて、だけど歪に顰められた顔はとても弱々しく、普段の彼らしくない。
一瞬、ためらうように頬に触れた無骨な指が、存在を確かめるようにゆっくりと私の輪郭を撫でた。
まるで、大切にしていたおもちゃを無くした子どものような、苛立ちと不安で瞳を揺らす雪成に、私はもうそれ以上、謝罪の言葉を紡ぐことができなかった。

それは、目を瞬くほどの僅かな瞬間だったかもしれない。
もしかすると、熱で、私が勘違いしただけかもしれない。
それでも、互いの額を触れ合わせたままで見つ合う雪成の瞳に、嘘はなかったと信じたい。
こんな頼りない私だとしても、彼らに与えられるものがあると思いたい。

「…リンゴ食べたい」
「…、は?」
「うさぎのリンゴ。雪成、切ってきてよ」
「…!はあ!?んなもん出来るわけねーだろっ」
「やだ。食べないと治らない」
「…っ、てめえ…っ」
「ーー雪成、名前さんの調子どう?…あれ、起きてる?」
「!」
「塔一郎、お腹すいた」
「…相変わらずだね、名前さんは」

呆れたように肩を竦めながらも、少しだけホッとした表情で笑う塔一郎が、私にお盆にのせたお粥を差し出してくる。
本当は、それほど食欲もなかったくせに、できるだけ努力して食したのは、軽口をたたきながらも、どこか心配そうに見つめる彼らを、少しでも安心させたかったからかもしれない。
薬も飲み終え、ようやく眠りにつく間際に触れた冷たい指が、おでこに張り付いた髪を優しく耳にかけてくれる。
目を瞑ると、おやすみと、交互に低い声が降ってきて、そのあまりの心地よさに、私は気付けば、意識を手放していた。

次に目が覚めたのは、まだ朝日も昇らない夜中だったと思う。
就寝前よりも、あきらかに楽になった身体を起こして真っ暗な部屋を見回すけれど、もう彼らはどこにもいない。
それでも、ベッド脇のサイドテーブルに置かれたガラスの小皿を見つけた瞬間、私は暗闇に慣れてきた目を見開き息を呑む。
寝る前にはいなかった少しいびつな赤いウサギが、もうしんどくもないのに涙ぐむ私を黙って見ていた。

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