矛盾ごときが何を暴く

まるでゲームや漫画を貸すかのように、黒田は言った。
「いいだろ?貸してやろうか?」
犬や猫だってもうちょっと大切に扱われるだろう。悠人は先輩の言葉をうまく呑み込めないまま言葉をかえした。
「貸すって、彼女さん大事にしなきゃ駄目じゃないですか。」
「は?彼女じゃねーし。コイツはただの幼馴染。」
隣にいる名前の表情は読めない。何を考えているのか、笑いもとまどいもせずそこに立っているだけだった。
「いや黒田さんちょっと意味わかんないっす。」
「名前が拒否しない限り好きにしていいぜ。お前、ちょいちょい見てたもんなぁ。」
余裕を残した苦笑いを浮かべたものの、さすがの悠人もどう会話を続けていいのかはかりかねていた。
確かに、黒田に呼び出されて部室まできたり、レースでゴール付近にひとりで観に来ているのを何度も見ているうちに、綺麗な人だなと思っていたことは否定できなかった。

「物騒なこといいますね。彼女じゃないのに黒田さんがそんなこと言うのはおかしいと思うんですけど。」
「いいんだよ。名前は俺のだからな。」
黒田は顔をゆがめて笑った。今まで一緒に走ったどの黒田よりも、悪い顔をしていた。今日まで先輩だと思ってきたこの男は、けっこうなクズなのかもしれない、と悠人は思った。けれど人のことをとやかく言える性格でないのは自分も同じだ、とも。

「嫌がらなければ本当になにやってもいいんですか?」
さすがにここまで言えば黒田も冗談だよバーカと笑うんじゃないか。けれど黒田は、悠人のひそやかな期待に応えた。
「いいぜ。なぁ、名前?」
黒田は名前の肩を抱いて耳元に声を落とした。名前は頷いた。
「いいわよ。」
悠人はここでもう一度、心の底から本心をこめて言った。
「いや、意味わかんねぇし。」



意味は分からずとも黒田の彼女ではないのなら、与えられたチャンスには乗っておきたい。悠人はそういうタイプだった。
まっとうな男子なら、ここで彼女にそんなのはおかしいと説得したり黒田をたしなめたりするのかもしれない。でも、一見大人しくて清純そうな名前の瞳の奥に宿る艶めかしさに悠人はあらがうことができなかった。
つまり、彼は「借りた」のだ。

せっかく借りたのだから普通にデートしても面白くない。
次の日曜日、悠人は密室で二人きりになれるカラオケを選んだ。大事にしているのかいないのか分からないけれど先輩の黒田にとって重要な存在である名前をこれからどうしてやろうかと思いながら、悠斗は続けざまに3曲歌った。
「名前さんは何歌うんですか?」
「私はいいわ、聞いてるだけで。」
アイスティーに落としたミルクをゆっくりとかきまぜながら名前は答えた。相変わらず、何を考えているのか読めない表情。普通の女子ならただの愛想なしになるところだがそれは名前をミステリアスで近づき難いものにしていた。
「あー、もしかしてカラオケ苦手系?」
「積極的にはいかない…系?」
「入る前に言ってくれたらよかったのに。」
「いいのよ、私を借りた人たちはたいていカラオケを選ぶもの。」
「…は?」
日本語なのに、脳にうまく入ってこない。
ワタシヲカリタヒトタチハ
私を、借りた、人たちはー

「ちょっと待って。アンタ俺で何人目?」
「中学の終わりのころからだから、20はいってないと思うけど。」
「…バカなの?アンタら。」
思わず、敬語が飛んだ。
名前はそれには答えずにふふっと笑った。あまりに無邪気な笑顔だった。もう年上とか部活の先輩だとかそんなことはどうでもいい。
悠人の中にふつふつとした怒りが沸き、怒りは欲望に直結する。
バカなほうが悪い。そう、黒田は何をしてもいいと言ったのだ。

ゴトリ。
テーブルにマイクを乱暴に置くと、悠人は名前の肩を思い切りつかんでそのままソファの上に押し倒した。
部屋の外からは、誰かが間の抜けた声で少し前に流行ったラブソングを歌いあげていた。
「こんなことされて、それ思い出して二人で燃えるわけ?ずいぶんいい趣味してるね。」
今まで何度こんな目にあったのだろう。名前は動じないまままっすぐ悠人を見つめ返す。ソファのへりから、名前のまっすぐ伸ばした髪がこぼれていた。
「別に。ユキは私に手を出さないから。」
「嘘だ。」
「本当よ。そういうことは彼女とするんでしょ。」
「…彼女と、って。」

戦意喪失。
悠人がこれ以上何かすることはなさそうだと悟った名前はドアのほうに目をやった。
「ねえ、どいてくれない?防犯カメラがあるから、そのうち店員が入ってくるわ。」
「入られたことは?」
「まあ、何回かは。」
2人は並んでソファに座りなおした。もう歌う気にもなれなかった。
「あのさ、一応聞くけど名前さんは黒田さんのことが好きなんだよね。」
「そうよ。」
「黒田さんは?」
「彼は、好きとか嫌いとかじゃなくて、私から離れられないのよ。」

悠人はすこしだけ怖くなった。
自転車でどんなにスピードを出しても怖いと思ったことなんて一度もないのに。今、事故る危険もないひどく安全で快適な箱のなかで、説明しがたい恐怖の片鱗に触れた気がした。
「なんで付き合わないの?」
「なんで付き合わなきゃいけないの?」
「いや、普通そうなるでしょ。」
「恋人になるより所有物のほうがいいと思う。」
ダメだ。中身が予想以上にダメなやつだ。
見た目がどんなに綺麗なリンゴでも、中身が腐っていたり毒があったら食べられない。けれど、黒田はそんなことをいとわず齧ったのだ。
きっともう、彼は手遅れー

悠人は話題を変えた。
「今まで危ない目にあったことは?」
「そりゃあるわよ。でも私の携帯に居場所追跡アプリが入ってるの。音声アシスタントでユキに電話をかけるように言えば、拘束されててもすぐ助けにきてくれるようになってる。」
「ってことは、黒田さんそのへんにいるんだ。」
「うん、きっと今ごろ心配で心配で、私のことしか頭にないんじゃない?」
「その話聞いて、オレが携帯の電源落としたら名前さんヤバいじゃん。」
「そうね、でも悠人くんそんなことしないでしょ。」
「本当にそれでいいのかよ。すごい矛盾してるって自覚ない?」
「つじつまが合ってるから幸せになれるってわけでもないでしょ。私は、ずっとユキの傍にいられるならそれでいいの。ユキは彼女を作るけど、自分のなかの矛盾をどうにもできなくて絶対に私のところに戻ってくる。私たちの関係を分ってもらおうなんて思わないわ。ただ、悠人くんみたいに誰かを巻き込むことについてはちょっと申し訳ないと思うけどね。」
「ちょっとなんだ。」
「実をいうとあんまり。」
「名前さんってさ、ほんと黒田さんとお似合い。」
「ありがと。」
「褒めてないし。」
「ふふっ。ごめんね。」
そう言って笑う彼女の顔は痛々しくも美しかった。誰かを好きになる気持ちを、間違った方法で純粋な結晶にするとこうもいびつに光るものか。こんな人にとても手なんか出せない。
かなわない、と悠人は思った。

翌日、黒田と部室のロッカーに並びながら悠斗は名前を借りた礼を述べた。
「どうだったよ。」
昨日のことをすべて名前から聞いているくせに、黒田はそんな素振りを見せずに聞く。まったく、意地が悪いにもほどがある。
「いやもうドン引きっす。」
「なんだよ、意外と紳士だな。」
「黒田さんはそれでいいんですか?」
てっきり茶化されるかと思っていたけど、黒田は真顔になってバタンとロッカーの戸を閉めた。すぐ後ろにあるベンチにどっかりと腰を下ろして、リノリウムの床に視線を落とした。
「いいも何も、ガキの頃から一緒にいた時間が長すぎっからな。」
「付き合う一択でしょ。」
「わかってねーな。」
「わかりたくないっす。」
黒田にならって、悠人もバタンとロッカーを閉じた。

「名前さんのこと、どうして大事にしないんですか?オレが言うのもなんですけど、先輩、いつか天罰が下りますよ。」
それだけ言うと、悠人は黒田の隣に座ることはせずに一足先に部室を出た。
「おー怖ぇ。」
ひとり部室に残された黒田は笑った。
「こういう風にしか大事にできねぇんだよ。」
その声はもう、悠人には届かなかった。


「悠人くん、怒ってた?」
練習が終わった後、名前は黒田と並んで駅まで歩いていた。
「いつか天罰が下るってさ。」
「悪いことしたわね。」
「やめるか?」
名前は平然と首を横に振った。
「いいよ、子供のころからいろんな悪戯やってきたじゃない。今更やめるなんてもったいない。それに絶対助けてくれるんでしょ。」
「ああ。」
「ねぇユキ、あの約束覚えてる?」
「忘れるわけねぇだろ。」
「そう、良かった。」
貸出ゲームを始めた頃、名前は黒田に条件をつけた。自分が他の男になびく時がきたら、その時は自分と「して」くれと。黒田はなぜだかその時、動揺することもなく「わかった。」とだけ言った。
名前のことを愛しているのに、どうしても彼女にだけは手を出せない黒田にとってそれはこの上もなくいい提案に思えたのだ。

変な形に結ばれてしまった赤い糸はねじれたまま二人をつないでいく。どんな形であっても、切れなければそれでいい。真っ赤な夕焼けが名前の頬を染めていた。
泣きそうな気持ちになりながら、黒田は改札に吸い込まれていく名前をひとり見送った。
暮れていく空に、白い月がぽっかりと浮かんでいた。

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