暖かい春のそよ風。満開の桜。
桜を見ると、今でもあの頃を思い出す。
***
高校生に入学して、生まれて初めての彼氏ができた。彼の名は黒田雪成くん。生まれて初めてこんなに人を好きになった。彼もまた私のことをすごく好きになってくれていた。お互いを思いあえる、とても穏やかな交際をしていたと思う。
ーーしかし幸せな時間が立つのは、あっという間に過ぎるものだ。
3年生の先輩方の卒業も見守り、私たち2年の3学期ももうすぐ終わって、春休みに入ろうとしていた。
桜が散り、私たちが3年生になる前に、彼とお別れしなくてはならない。これは決まってしまったことで、絶対に抗えない。
もともと私の親が転勤族で中学に上がる時に、この箱根へ引っ越してきた。箱根にきて丸5年を迎えるのを目前に、ついにこの土地から去らなければならないことが決まった。
彼に別れを告げなければいけないと思うけど、彼を目前にすると何も言えなくなる。
「名前、ここ最近元気ないよな?何かあったのか?」
ユキくんが、私の顔を覗き込みながら、そう尋ねてきた。
『ううん。何にもないよ?…ただ強いて言うなら3年生になったら受験が待ってると思うと、憂鬱になっちゃうくらいかな。』
「確かに、受験とか嫌な単語だな…でも受験の前にインハイがあるからな!」
『そうだね!今年のインハイ、絶対にユキくんの応援に行くから!!頑張ってね!』
「おう!今年こそは必ず出てやる!オレだけじゃなくて、ちゃんと箱学も応援しろよ!」
『うん!』
実現するかどうかわからない未来だが、気持ちに嘘はない。どうにかごまかせた。
とうとう終業式の日。私の箱根学園への最後の登校日。仲の良い友達にはお別れを伝えれたが、結局ユキくんには伝えられなかった。
最後のHRも終わり、みんなが帰ったのを見計らって、職員室へお世話になった先生方に挨拶に行った。
職員室から戻り、誰もいなくなった教室で、1人思い出に浸る。
ユキくんと出会えて良かった。一緒にいてすごく素敵な時間が過ごせた。きっとこんなに幸せな時間が過ごせる人は、もう現れないんだろうな。ユキくんとの思い出を一つ一つ思い出していくうちに涙が溢れてくる。
『…ユキくん…ユキくん!
会えなくなるなんて嫌だよ…離れたくないよ…』
バンッ!!と凄い音がして突如、教室の引戸が開かれた。驚いて振り返るといるはずのないユキくんがいた。部活の前なのかサイジャを着ていた。
「っなんで!オレに黙っていたんだよ!!引っ越すって本当なのかよ!?」
『どうして、ユキくんが…いるの?なんで知って…』
「塔一郎から聞いた!さっき職員室で名前が話しているのが聞こえたんだと!」
そういえば先生方に挨拶している時に、誰かはわからなかったが、他にも残っていた生徒がいた気がする。あれ、泉田くんだったんだ。
『…本当は一番にユキくんに、言わなきゃいけなかったんだけど…ごめんね。父の転勤が決まっちゃって…それで私もついていくの。』
「ーだから、この前の休み、急に会えなくなったのか?」
察しがいい雪成くんのことだ。転入手続き等で会う予定がキャンセルになったことが分かったのだろう。
『そう。引っ越しのための準備で会えなくなっちゃった。あの時はごめんね。これからも会えなくなるの…だから、私たち』
「別れねーよ!」
別れを告げようとしたが、遮られた。
『っ、でも遠距離になるんだよ!?遠距離になってもずっとユキくんに好きでいてもらえる自信ない!離れたら、きっとユキくんは私なんか忘れて他の子を好きになる!』
「ふざけんなっ!お前は遠距離になるからって、別れて、そんな簡単にオレのこと忘れられるのか?!」
『っ!忘れられるはずない!ユキくんが誰よりも好きだから…忘れたくなんかないよ!』
「オレだってそうだよ!オレのこと、もっと信じろよ!
お前のこと、言葉では表せないくらい好きなんだよ!
遠距離なんて関係ねー!日本中、ロードでどこでも名前に会いに行ってやるよ!」
『ユキくん…』
ユキくんが私を抱きしめてくれた。そして優しい声で囁く。
「そりゃー、今までみてーにすぐには会えなくなるだろうけど、まったく会えないわけじゃないだろ?
会えないからって気持ちも離れるなんて思うなよ。
今までもこれからもオレが好きなのは名前だけだ。一生かけて愛してやるよ」
『…うん。ありがとう。自分に自信がないから、ユキくんを信じられなくてごめんなさい。
…ふふ。なんかプロポーズみたいだね。私にもユキくんだけだよ。』
「プ、プロポーズはお前を迎えにいける年になったらちゃんとするから!
遠くても会いに行く。
ーでもまずは今年のインハイ、見に来てくれるんだろ?」
今までの空気を払うようにユキくんが少しおどけて言った。
『うん!ユキくんを絶対に会いに行く!』
それから一週間後の引っ越しの日、ユキくんは見送りに来てくれた。暖かい日が続いたおかげで、桜が満開だった。
***
コンコン。ノックの音に気付き、振り返り返事をする。
『どうぞ』
私の返事を聞き、ユキくんが部屋に入ってきた。
「支度できたんだな…やっぱりそのドレス、名前によく似合ってるな」
真っ白なウェディングドレスに身を包んだ私を見て、照れ臭そうにユキくんが言った。
『ありがとう。ユキくんもタキシード、よく似合ってるよ』
「…おぅ」
微笑むとユキくんが近づいてきて、窓辺にいる私の隣に立つ。窓の外に視線を戻す私にユキくんが尋ねる。
「何、見てたんだ?」
『桜。見ていたら、高校生の時のこと思い出しちゃった』
「あぁ、名前の転校の時のことか?」
『うん』
「言っただろ?一生かけて愛してやるって」
『…うん。』
「花嫁が泣くにはまだ早いぞ。今からみんなの前で愛を誓わなきゃいけねーからな。泣くのはその後でな?」
あれから数年、今日私たちは結婚式を迎える。離れていても私たちの気持ちは変わらなかった。
私は彼の途方もない愛を知っている。