カルシウムは足りてます

パーソナルスペースとは
他人に近付かれると不快に感じる空間のことで、対人距離とも呼ばれる。

電子辞書の画面に映るそれはオレが最近よく聞くようになった言葉である。元来普通に生きてりゃ耳にする機会はそんなにない単語だっつのに、何でオレはこんな単語を調べちまってんだろか。

───原因は、この部室内にある。

レギュラーミーティングと称して集められた部員6人とおまけで1人のマネージャーがいるこの空間に、例のパーソナルスペースがおかしいヤツが何人か居る。何人かどころか割合で言えば4:3、過半数を占めるおかしいヤツらは机を挟んだ向こう側で何やら盛り上がっていた。
ミーティングはもう終わった。その後の時間をどう使おうがオレにゃ関係ねーし、とやかく言うつもりはねーけど、目の前の集合体を見てるとこう叫びたくなる。

お前らは猿山の猿か!寒さに震えて団子になるお猿さんか!何身寄せ合っちゃってんだよ!今寒くなんかねーだろ、むしろ暑いわ!!

葦木場と真波と悠人が団子になってるくらいだったら何とも思わねーよオレも。けどその真ん中に名前が居るってなりゃ話は別だ。
椅子に座ったままの名前の手にあるスマホを右から悠人、左から真波、上から葦木場が覗き込んでるその様は、囲碁で言や詰みだし、ファンタジー的観点から見りゃまるで「我ら名前守護三銃士!」みてーな感じだし。
んなこと考えてたら脳内映像の悠人が銃士よろしくオレにバキュンポーズをかましてきた。やめろ、ハマり過ぎてんだよバカ!って何妄想にまで突っ込み入れてんだ黒田雪成。嫉妬もほどほどにしとけっつーの。見るから腹が立つんだ、見なきゃいんだよ見なきゃ。
思わず出た溜め息と共に畳んだ電子辞書を鞄の中に突っ込んで席を立つと、勢いに任せたせいか椅子からガタンとやたらでかい音が鳴った。それに驚く一同の視線を感じつつも、オレは気付かないふりをして部室を出る。んだこれカッコワリ、葦木場たちに嫉妬して物に八つ当たりしてるみたいじゃねーか。いや実際そうなのか?
胸ん中のモヤモヤはあの現状から目を背けても、どうにも晴れはしなかった。

早足で部室から離れながら今更ながらに自己嫌悪する。名前の彼氏でもあるまいし、馬鹿みたいな嫉妬に狂うくらいなら、さっさと告ってオレのもんにすりゃいいのに。
そう思うのに名前を目の前にしたらオレは何も言えなくなんだ。いつも通りの当たり障りのない会話ばっかり選んで話して、色恋沙汰の話なんか例え他人のそれでもオレは話題に上げたことはなかった。名前との関係がぎくしゃくするくらいなら今はまだ言わなくていい、今はまだ、今はまだ...
それを繰り返してきた結果がこれだ。
名前への想い拗らせて嫉妬ばかりが募ってく。情けねー、そゆのはせめて告ってからにしろよって小さく呟きながら、オレは辿り着いた自販機横のベンチに身を投げるようにして腰掛けた。膝の上に肘を乗っけて頭抱えて俯いて、影んなったアスファルトに這う黒い粒をただ黙って見つめる。ちょろちょろ動く1匹の蟻はあっちに行ったりこっちに来たり、迷走を続けてる姿は何だか今のオレみてーだなって少し思った。黒猫どころか黒蟻だなんて笑えもしねーよ。
ハッと自嘲にも似た声を漏らして、オレは重い腰を上げる。気分転換に何か飲んで、それからまた部室に戻ろう。このまま帰ったんじゃ明日葦木場あたりになんか言われるに決まってる。

『ねぇユキちゃん昨日怒ってたけど何かあったの?』
『名前にベタつくお前らに嫉妬してただけだよ』

っ、なんて言えるかよ!
プシュッと爽快な音立ててプルタブを開けて一気に身体に流し込んでけば、弾ける炭酸がオレん中を刺激して焼けるように痛かった。
半分以上飲み干したところで、ぱたぱたとこっちに近付いてくる足音に気付く。缶の淵から口を離して音源を見てみると髪を揺らしながら名前がオレに向かって走ってきていて、んでお前がここにって思う間も無く名前はオレの隣までやって来た。

「ユキ見っけ。ねぇ、もしかして何か怒ってる?」

軽く息を整えてから、名前はオレを見上げてそう言った。
名前がオレを気にして探しに来てくれたのかって気持ち浮かれるオレに、怒ってるなら理由を教えて欲しい、と名前は更に付け加える。オレ見つめたままの名前のでっかい瞳を直視出来ずに、オレはそれから視線を逸らした。
名前に近い葦木場たちに嫉妬してましたなんて理由、お前に直接言えるわけねーだろ。

「別に怒ってねーよ」
「怒ってるじゃん絶対、じゃあ何でこっち見ないの?」
「怒ってねーつってんだろ」
「ほらまたそうやって怒る。ユキちょっとカルシウム足りてないんじゃない?ほら、これ飲んでカルシウム補給しなよ」

オレに文句をつけながら機械の箱に小銭を入れて、カルシウム配合!と銘打たれた乳酸菌飲料を選んだ名前はゴトンッと鈍い音立てて落ちてきたそれを拾いあげると、冗談めいた笑みを浮かべてオレに差し出した。
───誰のせいでこうなってんのかわかんねーかよ。わかるわけ、ねーだろうけど。

「え、ッユ、キ...」

さっき見た悠人くらいに、頬と頬が当たりそうな距離にまで名前に近付く。逃げられないよう自販機に押し付けるみたいに腕で囲って、狼狽する名前なんて御構い無しに。
オレ以外の男に近寄られてんじゃねーよって、声にならねーくらいの声で呟いたけど、突然稼働しだした自販機のモーター音にかき消されてしまった。
タイミング悪ぃし、だっせーし、無駄に顔に熱が集まってくばっかりでどうしようもなくなったオレは、名前の手からカルシウム配合のそれを奪い取りベンチに置きっ放しだった鞄引っ掴んで、また部室へ向かって歩き出してた。

「カルシウムは足りてんだよ、バーカ」

振り返ってそう捨て台詞を吐いたオレの目に飛び込んで来たのはオレ以上に真っ赤んなった名前の姿。
オレんときだけ、んな赤くなんのかよって、期待させんなバカって思うのに、オレの口元は自然と緩んでしまうのだった。

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