練紅徳成代と紅白兄弟

―――――――――――――――

「…――これは一体何の騒ぎだ」

じゃらりと鳴る頭飾りが酷く邪魔だ。
重い服を引きずりながらゆっくりと。引き止める声を無視し歩き出す。
部屋の外に近付くにつれてその騒ぎ声が大きくなっていき、聞き分けたその声に思わずため息を吐いた。

「…陛下、どちらに」

「煩い、急ぎの仕事はもう終えただろう。そこを退け」

「ですが…」

「邪魔だと言っている」

尚も立ち塞がろうとする黒衣の男を腕で押し退け一歩、明るく涼やかな空気が流れるそこに足を踏み出した。
見えたのは予想通り色鮮やかな赤と艶やかな漆黒。
頭が痛くなる。

「何をしている」

「っ、父上!」

「おっ、紅徳ぅ!」

片や焦ったように、片や待ってましたと己を呼ぶ二人にまたかとため息を吐く。
こんなところで一体何をしているのだか。
似合わず慌てて駆け寄る紅炎と、その後をゆったりと歩くジュダルの姿に後を追ってきたアル・サーメンの男が怯んだように息を飲み、渋々とではあったが下がっていく。

「騒がしいぞ」

「…申し訳ありません」

「ごめんごめん、こいつがしつこくてよー。悪かったって」

悪びれもせずにそう言ったジュダルに息を一つ吐く。まったく、いつもいつも騒々しい子供だ。

「それで」

「「?」」

「何か、用があったのだろう?」

そう言えば途端に目を輝かせたジュダルががばりと飛び付いてくる。
何時ものことだが如何せんジュダルは子供ではなく大人に片足だけでなく両足を突っ込んだような子供の思考を持つ限りなく大人に近い青年である。しかも成長期真っ盛りというかもう終わりの方だ。
よろめきながらも何とか踏みとどまり、締め付けるようにがっしりと回った腕と足にその体がずり落ちないように腕を添える。

「遊ぼーぜ!」

「断る」

「ジュダル、父上を困らせるな」

諌める様にそう言った紅炎を見て、しかしジュダルはそんなこと知ったことかと私にしがみついたまま大きく体を揺らし遊ぼうぜ!とまるで子供のように訴える。
やめてくれ、少しは私の年を考えてほしい。
じわじわと腰にくる重さに耐えきれなくなりべり、とジュダルを引き剥がした。

「それで、お前は何の用だ紅炎」

「はい。次の進軍について、是非とも父上のご意見をと」

―――――――――――――――

ごふり。
そんな音が聞こえて静かな空間に響いていた紅炎の低い声がぶつりと途切れる。
ごふ、ごほり…。
嫌な咳。
地図が広げられた机に手をついて、堪えきれないとでもいうように体を曲げ、崩れ落ちそうになったその体を白瑛と紅明が咄嗟に支えた。

「親父!?」

紅覇の悲鳴染みた声。
それでも咳は止まらない。
一際苦し気な呻き声と共にびたびたと吐き出された血が口許を押さえていた手と地図を濡らす。
紅玉の甲高い悲鳴。
怯えたように体を強張らせた紅明を押し退けて、いつになく怖い真剣な顔をした紅炎が白瑛と共に紅徳の体を支え、近くの長椅子へと誘導する。
顔を青くした白龍が白い布を震える手で紅徳へと差し出した。

「へ、いか…これを…」

その声に力なく白龍を見上げ、目を細めた紅徳はすまない、と小さくそう言って布を受け取る。
俺も紅徳のもとまで行き、苦しそうにぜぇぜぇと洗い呼吸を繰り返す紅徳の胸に手を宛がった。
そして、それ気付く。
くそ、一体いつの間に…。
その身を満たすのはどす黒いルフ。
それに舌打ちを一つ。
白いルフを掻き集め、黒いルフ達を塗り潰していく。
たとえどれ程この国が黒いルフに満たされていようとも、白いルフは消えない。消えるわけがないのだ。
紅炎、そう言えば心得たとでもいうように頷いた紅炎が俺の隣に立ち、俺と紅徳の手を取る。
流れ込んでくるのは純粋な白いルフ。
練紅炎という王の器を満たすのは紛れもなく純粋な白いルフだ。
ふぅ――…。
深く深く紅徳が息を吐く。その呼吸は先程よりも落ち着いていて、思わず安堵の息が漏れた。

「…父上」

「あぁ、すまぬな…紅炎、ジュダル…。それに、お前達も」

掠れた声。
いいのです、と紅炎が首を振る。
お父様、と震える声で紅徳を呼び、恐る恐ると近付く紅玉に小さく笑った紅徳が、緩慢な動作で腕を上げ優しく大きな手で紅玉の頭を撫でる。

「…すまぬ、な」

まるで独り言のようなか細いそれに何かを感じとり肩を揺らしたのは、俺だけじゃなかった。

「…――陛下」

甘ったるい声が、息苦しい静寂を切り裂いて俺達の思考を引き戻す。
びくりと体を揺らした紅玉が紅徳の側に身を寄せ。紅炎と紅明、紅覇と、そして白龍が紅徳を守るように前に出た。
そこにいたのは、黒いルフ達を引き連れた一人の女。
練玉艶。
思わず、紅徳の手を握り締める。
一度足を止め、俺達を見渡して嬉しそうに微笑み、するりと玉艶が室の中へと足を進めた。その手には漆塗りの盆。

「…何故、此方に?」

「陛下を探していたのですよ」

紅明の緊張で震える声に返ってきたのは白々しい言葉。

「薬湯と茶を淹れてきたのです」

「…薬湯?」

白龍が固い声で問う。
玉艶は頷いて、いとおしいとでもいうように白濁した液体が淹れられた小さな陶器を指でなぞる。
たぷり、と液体が揺れた。

「父上は、病なのですか…?」

白瑛のか細い声。
玉艶の笑みが深まった。
それは一瞬のこと。
次の瞬間にはくしゃりとその美貌が歪み、それでもなお美しい女が盆を近くの小さな机に置き雪崩れ込む様にぱっと紅炎の胸に飛び付いた。
びぃびぃと鳴き喚く黒いルフが飛び交う。

「…あぁ、陛下と貴方達の為にと黙っていましたが、もう、堪えきれないわ!」

白々しくそう言って、震える声が続く。
少し前から体調が悪くなってきていること、薬を飲んでいるがそれでも何時まで持つか…。
紅炎を見上げれば、紅炎は忌々しそうに己の胸に頬を寄せる女を見下ろしていた。
その視線が滑る。
(毒、か)
頷く気配。
ゆっくりと離れた玉艶の細い指が薬湯の入った陶器を持ち上げ、それが紅徳に差し出される。

「陛下、此方を」

「お待ちください!」

受け取ろうとした手が、紅明の叫ぶような声に止まる。

「父上は、陛下は先程血を吐いてしまったばかりにございます」

もう少し、落ち着いてから…。
その懇願にゆるりと笑みを浮かべた玉艶が、それでは口直しにお茶を、と陶器を持ち代えるが、それは紅炎によって止められる。
熱いうちに飲んで欲しいのならば陛下の代わりに、と申し出た紅炎に流石に驚いたように身を引いた玉艶のその手を掴む紅炎に、玉艶は焦ったように身を捩る。
その手から陶器を奪ったのは――…紅徳だった。
俺達が止める間もなく置かれた薬湯を口に流し込み、口直しのお茶すら飲み干した紅徳は一つ紅炎の名を呼ぶ。
それにパッと玉艶の手を離した紅炎が威嚇するように玉艶を睨み付けた。

「早く行け」

紅徳の唸るような声に何処と無くひきつった笑みを浮かべた玉艶が逃げるように去っていった。

「父上っ…!」

「すまないな、お前達」

申し訳なさそうに笑って、紅徳があやすように紅炎の頭を撫でる。
あぁ、やっぱり。
何故、と紅炎が囁いて、紅徳がゆるりと首を振る。
…――紅徳は気付いている。

―――――――――――――――

がしゃん!
横殴りに振り下ろした手が机の上の物を乱暴に叩き落とした。
紅明と紅玉が怯えたように体を揺らし、白瑛が悔しそうに胸の前で手を組む。

「落ち着けよ、紅炎」

「っ…お前は、どうして!」

自分でもらしくないとどこかで思いながら。目の前の子供に向かって怒鳴る。
何故こうなった?一体、どうして!怒鳴る。貴様のせいだ。貴様の、貴様等の…!
理不尽な俺の台詞に顔を歪めたジュダルが拳を振り上げた。あっ、誰かが驚きの声をあげる。
がつりと腹部に鈍い衝撃。

落ち着けって言ってんだよバカ!

咄嗟に防御したとはいえ重い一撃を食らった腹を押さえ体を曲げて机に手をついたままジュダルを見る。
苦虫でも噛み潰したように顔を歪め、知らなかった、と苦々しげに絞り出された声に眉を寄せた。
知らなかったんだ。親父共は紅徳を手放さないと言っていた。言いなりにならないお前等よりも比較的動かしやすい紅徳を手放そうとなんてすると思っていなかった。
弱々しい言葉に、それが真実なのだとわかって、それでも歯を噛み締める。
そもそも、ジュダルは父上を気に入っていた。
まるで己の父親であるかのようになついていたのだ。
そんなジュダルが父上を殺そうとするなど考えられない。
それならば、もしかして…。

「…――何か、見付けたのか?」

父上は俺達よりも"比較的"動かしやすい駒だ。
だが、それは父上が真っ向から抗う俺達よりも逆らおうとはしないから。
しかしそれでもまだ白いルフをその身の奥底に宿し皇帝として立ち続けている父上をどこか煙たがっていた節がある。
だがそれでも父上を使っていたのはそれしか手段がなかったからだ。
裏からこの国を、煌帝国を支配するために。
なのに、父上を殺そうとするなんて…。

「…ぁ」

小さな声。
その声に顔を上げれば、何を思い出したのか顔を青くして俺を見つめる白龍の姿。
その口がはくはくと開き、そしてきゅ、と引き結ばれる。

「何か、思い出したのか」

「…あの、女が」

ちらりと白龍は白瑛の様子を窺う。そしてゆるゆると吐き出される息。
力強い意思の込もった眼差しが、俺を真っ直ぐに見据えた。

「…――母上が、前に一度、俺に皇太后をどう思う、と…問うてきたことが…」

その数日後、父上が倒れたという知らせが国を大きく震わせた


(紅炎、この父を、どうか信じてくれるか…?)

臥せってもなお輝きの失せないルフが、俺に語りかける。




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