沖神
*
「たこ焼き食べたいアル。」
無邪気に要求して来るヤツに、餌付けとばかりに今日だけでどんどん軽くなってゆく財布を開いて出店から希望の品を買ってやる。
なんてったって祭が大好きな彼女が、嬉しそうに嫌いなはずの自分に笑顔を振り撒いてくれるから。
「次は何が欲しいんですかィ?」
そのかわり…
今夜は君を独り占めさせてくれないか。
林檎飴の代わりに
目の前には、その蒼い瞳が溢れんばかりに目を見開いて固まる少女。
それを真っ直ぐに見つめる琥珀色の瞳。
「今夜の祭…鳥居前に6時な。」
「は?」
逃げられる前にその細い手首を掴んで一方的にそれだけを最後に言って、総悟はいつもの公園を去った。
その素っ気ない命令口調の下に緊張と不安と期待を混ぜ、総悟は呆気に取られ、動けない神楽をその場に残して立ち去ったのだった。
「今日は祭の警備だろぉがぁぁあ!!!!」
と叫ぶ土方を切り抜け、普段の袴姿で鳥居の隣に立つ。
時計を確認すると時間にはまだ少しだけ早い。
浮き足だった人々が神社の中へ入って行く様を、焦る気持ちを落ち着かせるように眺めながら、総悟は一月ほど前のことを思い出していた。
それはいつもの公園で、いつものように下らないことからバトルを始めたときのこと。
それは…謂わば事故とも言える事態。
繰り出された彼女の蹴りを避けてよろけた自分に、拳を握って飛びかかってくる彼女。
それを押さえようと手首を掴んで二人とも地面へと倒れ込み…
次に気づいた時には神楽を押し倒す形になっていた。
そしてそれに気づかず起き上がった彼女。
神楽が気づいた時には、その唇は総悟のそれと重なっていたのだ。
自分が今何をしたか理解した途端、白い顔を真っ赤に染めてアワアワする神楽。
いつもの彼女と違って少女らしい反応を見せる神楽を、沖田は動かずにまじまじと見ていた。
…が、しかし。
次の瞬間、頬に鈍い衝撃を感じ自分の身体は宙を舞っていた。
跳ばされながら、視界の端に拳を握っている神楽が移り、グーで殴り飛ばされたのを知ったのだ。
せめて平手にしろと言いたいところだったのだが、偶然にもいつものチャイナ服並みに赤くなった耳を目にしてしまい総悟はどうしてだか神楽がそのまま逃げるように走って帰っていったのを、なにもできずに見送った。
(しょうがねぇ…今度文句言ってやらァ。)
痛む頬をさすり、体を起こしながらそう思ったのだが、
翌日から公園といわず至るところでことあるごとに出くわしていたはずの神楽の姿を目にすることが無くなったのだ。
偶然の出会いを諦め、そこらじゅうを探し回ってもあの藤色の傘も、赤いチャイナ服も見当たらない。
白くてあのバカでかい犬を見つけたが、連れているのは坂田銀時だった。
なかなか見つからないことに、胸の内にふつふつと沸くイライラした気持ちを、自分でも段段と押さえられなくなりそうだった。
「おう、税金泥棒サディスティック星支部長。
ポーカーフェイス崩れてんぞー?」
こちらに気づいた旦那が、からかい混じりに聞いてくる。
それすらもイライラしてきてしょうがない。
(切っちまいてェ…)
しかし同居している彼ならば探している彼女の居場所も知っているのだろう。
「旦那、最近おたくのチャイナ娘を見かけやせんけど
くたばっちまったんですかィ?」
この男に素直に聞く気になれなくて、口端をニィっと上げて冗談混じりに聞いてみると案外とあっさりと答えが返ってくる。
「あれ、見ない?
だったらお妙ントコにでも行ってんじゃねえか?
あいつ何でか最近朝早くから猛スピードでお妙んとこ通ってるらしいからな。」
神楽がどうかしたか?と何故かニヤニヤとしながら聞いてくる。
それにまたイライラとしたので、これ以上突っ込まれる前に旦那の連れてる愛犬の現在の状況を告げてさっさとこの場を後にした。
「旦那、愛犬が催してますぜィ。」
「げっ;!!
待て、定春!!お前のはここでしていいレベルじゃねぇぇえ!!
踏ん張るなぁぁぁあ!!!!」
もがく銀時の声を聞きながら、沖田はさっさと今言われた志村家へと足を向けながら忌々しげに呟いた。
「いねえと思ったら…。」
「あら、沖田さん。
どうなさったの?」
ニコニコと笑う妙に沖田のイライラが増すが、敬愛する近藤の想い人なため、手を出すことはさすがにできないのでなんとか堪える。
「姐さん、チャイナ娘を見やせんでしたかィ?」
「さっきまでいたのだけど…御免なさいね、もう帰ってしまったの。」
縁側に腰掛けていた妙の後ろにあるピッチリと閉じられた障子戸をチラリと見やる。
だがその笑顔は、簡単に考えていることをこちらに読ませようとしない。
「あいつに…話があるんでさぁ。
ここ最近こっちは仕事サボってまで探してやってんのに全然掴まんねェんでさァ。
姐さん、またチャイナが来たら公園に来いって伝えて下せェ。」
再び障子戸へと視線を向ける。
心なしか声もそちらへと向けた。
「来るまで毎日通いまさァ。」
自分が立ち去ったあと、お妙と障子戸の向こう側にいたであろう神楽がどんな会話を交わしたかは分からない。
しかし彼女が逃げることなく後日公園に現れ、沖田は内心でかなりホッとしていた。
「よぉ。」
「やっと来たアルカ、
変態ポリゴン税金ドロボー!」
何やら肩書きが増えた様だが、その白い頬が赤く染まっているのを見て気分がよかった。
「チャイナ…。」
自分の黒づくめの足が一歩近寄ると、じりっと目の前の白い足が警戒したように後ろへ一歩下がる。
「話したいことがありやす。」
怯えさせるつもりも、喧嘩をするつもりもないのでそのまま動かずにただ目の前の少女を見つめる。
彼女に対して滅多に使わぬ自分なりの丁寧な言葉で小さな少女に語りかける。
「…何ヨ?」
真剣に向き合えば素直になる彼女がまた可愛く思った。
(自覚した途端重症だねィ。)
内心の苦笑を表に出さないように真っ直ぐに見つめると、彼女も次の言葉を待つように真っ直ぐに見つめ返してくる。
いつもそこに含まれている敵意が無くて、少しくすぐったい。
「チャイナが…」
紡いだ声が少し上ずりそうになり、喉に力を込めてそれを阻止した。
目の前の少女は訝しげに首を傾げている。それもまた可愛いと思いつつ、心を落ち着けた。
「チャイナが
神楽が好きでさァ。」
「…ふぇ?」
たっぷりの間を置いたあと、見る間に赤くなり動揺を示す彼女に、総悟はとりあえず安堵した。
普段の言動から、彼女が顔をしかめて拒絶を示すのではないかと不安だったのだ。
きっかけは、やはりひと月前の事故による口づけ。
そしてその事故の後、途端に現れなくなった彼女を必死になって探しているうちに気づいた、自分の彼女への気持ち。
理屈とかどうでもよく、避ける彼女に腹が立ちつつも、ただ会いたいと思っていた。
そして自覚した瞬間溢れてきた想いを、率直にも伝えた途端赤くなった目の前の彼女の様子に背を押され、総悟は告白の返事をあえて聞かず、今夜の祭に誘ったのだ。
そうして冒頭に至る。
彼女がどうおもっているかわからない。
今夜ももしかしたら来ないかもしれない。
でも一度でいいから、喧嘩抜きで二人で会ってみたかった。
ふと時計を見ると、分針は6時丁度を示していた。
「…おせえな。」
不安が広がり、まだ時刻は丁度を示したばかりだというのに気持ちが萎み始める。
「やっぱり…言うタイミング間違えたかねィ?」
自嘲気味に苦笑を漏らすと、カランと軽い音が後ろから聞こえた。
「なんのタイミングアルカ?」
「!!」
聞き慣れた声に驚いて振り返ると、待ち望んだ少女。
そのまま目を見張ったまま固まったのは、少女の姿がいつものチャイナ服とは違ったから。
「どうしたネ?」
小首を傾げる少女を纏うものは、淡い藤色の浴衣で、普段は左右にまとめられたお団子頭も、今はアップでまとめてある。
刺された簪がゆらゆらと揺れる様がまた女性らしさを演出していた。
珍しいな。チャイナがそんな格好。」
素直に可愛いと言えばよかったか?目の前の少女は僅かに眉をひそめた。
「今はチャイナドレス着てないネ!」
「…あ?」
「…だから
チャイナって呼ぶなヨ。」
もじもじと視線をさ迷わす彼女が何を言いたいのか察し、自分の口がにやけていくのをなんとか押し止める。
「神楽…似合ってますぜィ。」
その言葉を耳にした途端白い頬が色づいたためにまたもマジマジと見いってしまい、沖田は神楽に持っていた巾着で殴られた。
しかし今回は吹っ飛ばされることもなく、鈍い痛みも感じない。
それがまた嬉しくもくすぐったい。
「何する?
何か食べるかィ?」
横で固くなっている神楽になるべく優しく言ってやるが、赤い顔を反らされてこちらに答えようとしない。
じゃあ、といつもの彼女を思い浮かべて1つの店を指差す。
「射的…するかィ?」
言われて神楽が自分の指差した方へその青い瞳を向け、コクンと頷いた。
その目は既に射的に興味がそれたのか、身体に張り巡らせていた緊張の糸が1つ取り除けたように思える。
「勝負、するだろィ?」
「の、臨むところアル!」
少しの照れを含みながら、漸くその澄んだ瞳がこちらを向いてくれたことに総悟は嬉しくて仕方なかった。
「次は何食いたいんでィ?」
散々遊び、漸く何時ものようにはしゃぐ神楽に戻ってきた頃には、彼女はたこ焼きやら焼きそばやら屋台に並ぶ食べ物を殆ど制覇していた。
色気なんか関係なくがっつく彼女に、(ちょっといつもどおりに戻りすぎやしねぇかィ?)と苦笑が漏れそうにもなったが、次にポツリと呟かれた言葉に意表を突かれた気分だった。
「あれがいいアル。」
白い指が指差した先には、食紅の入った飴で真っ赤になった林檎飴。
直ぐに購入して差し出すと、両手で嬉しそうに受け取る小さな手。
「可愛いもんも食うんだねィ?」
普段見るのは際限なく大量のものをがっつく姿か、酸っぱい匂いを漂わせて酢昆布を加える姿。
なのに今は1つの赤い林檎飴を少しずつ味わう様に食べていた。
「…悪かったナ。」
拗ねたようにそっぽを向くその姿も愛らしいが、出来たらこっちを向いて欲しい。
「おい、一口よこしな。」
「は?
…あ。」
漸く見えた林檎の果肉に食らいつくと、シャク…と良い音がした。
「ん…この林檎すっぺぇな。」
口の中に広がる果汁は、まだ青く酸味のある林檎の味。
→