動乱編直後
沖神





嫌みなほど晴れた空を眺めて、視線を下へ落とすと見慣れた番傘。

昨日、白い肌に幾多の切り傷や擦り傷をつけていたはずの少女は、傷1つなく何事もなかったかのように目の前に立っていた。

「オメーは頑丈だねィ?」


自室の縁側に腰掛けて力なく呟いた声が、屯所の庭に響くことなく消えた。

傘を差して佇む彼女が僅かに眉を潜める様が、何処か自分を責めているようにも思える。


『―そーちゃん…』


目の前の少女とは対称的なまでに儚かった姉。
世界で唯一人、自分をそう呼んでくれていた女性は、もうこの世には居ない。


「オメーはいなくなるなよ?」


かつての同胞を切り捨てたその手で、昨日から存在する傷を包帯ごしに撫でた。
ズキリと痛む傷の向こうに、自分が切った者たちの顔が浮かんで、今も自分を恨めしそうにどこかからか見ているような気がした。
ぐっと目を瞑ると、
そっと…
頭の上に小さな手が申し訳なさそうに乗せられた。
それが心地よすぎて苦しくなる。

「抱きしめても…いいかィ?」

今だけだから…人の温もりを今だけでいいから感じさせて欲しい。

「…好きにするヨロシ。」

静かな声が降ってきてすぐ、躊躇いながらもその細い腰にすがり付くように抱きついた。

「…あったけぇや。」

その事実が嬉しかった。
サラサラと小さな手が自分の頭を撫でている。
それが心地よく、ゆっくり目を閉じた。

トクントクンと聞こえる静かな心音に、自分が思っていた以上にホッとして、視界が滲む。


「地球人は…
お前は弱いナ。」

ポツリと呟かれた言葉。

「お前と一緒にすんじゃねィや。
…でも
…そこいらのヤローよりは、強いつもりでいたんだけどねィ…。」自嘲の笑みが漏れた。
あまり考えると、滲む視界から溢れそうなものを堪えられなくなる。
もう涙など流さないと誓ったんだ。


「…お前は脆いヨ。」

ギュッと抱きしめてくる少女の声は何かに怯えているようだった。

「…チャイナ?」
「脆くて怖いネ。」

その胸から身を離すと、自分以上に泣きそうな今日の空よりも蒼い瞳が、切なげに自分を見下ろしていた。

「お前は簡単に死んじゃうヨ。
お前は…
…お前はいつも平気な顔して無茶するね。」

一旦口をつぐんだ神楽が言いかけた言葉をすんでで変更したように思えた。

「チャイナ…?」
「私…私は消えたりしないアル。
お前らよりよっぽど頑丈につくられてるヨ。」

そう言って無理して笑う様が、姉の最期を思い出させる。

それはまるで触れては消えてしまうシャボン玉の泡のようで、妙な焦燥感に襲われ、拭えない不安がまた広がった。


「当たり前だろィ…消えたりしたら承知しねぇ。」

いつものように吐きだしたつもりの言葉が自分でも酷く弱々しく思えた。






真撰組の内紛がおき、トッシーと化した土方と共に乗り込んだ列車で…血の中で佇む沖田を見た瞬間、神楽は滅多に感じぬ恐怖を覚えた。
返り血を浴びながら笑う彼の顔が、かつて狂気を含んだ笑みを見せた生き別れた兄を思い出させたのだ。
まったく違うはずなのに。

なのに
あの時の兄のように…
気づくと沖田も自分を置いて何処かへ行ってしまうのではないか?
と、無性に不安にかられ、1日たって神楽は傷だらけの銀時を妙に任せて人気のない屯所を訪れたのだった。

門番がおらず勝手に入り込んでウロウロしていると、厳つい顔をした原田に呼び止められた。
偶然屯所に残っていた原田の話に依ると、近藤は幕府へこの度の事態の報告と謝罪に向かい、土方やその他多数の隊員は病院。他の動ける隊員は線路の復旧作業や普段の見回り業務に出ているとのことだった。
明日は松平の愛犬と山崎の合同葬儀があるらしくその準備のためにも原田は残っていたらしい。では彼も病院に行っているのであろうか…と
ぼんやり思いながら原田に礼を述べると、何故か意味深な顔をした原田に沖田は自室にいると教えられた。


そっと音もなく、庭から沖田の部屋の方へと向かうと、縁側にぼんやりと腰かけている着流し姿の彼が見え、神楽は小さく安堵の息をついた。
居なくなっていないと知り、急に冷静に自分のしている行動を思って少し恥ずかしくなった。
沖田がいることもわかったし、もう帰ろうかと思ったとき、彼の琥珀色の瞳が空を見つめたまま動かずにいるのが目に入った。
その瞳の中に僅かに覗き見ることができたのは、悲しみという名の虚無感。
今、彼の目に何が写っているのかわからない。

気づけば彼の目の前に立っていた。

穏やかな風でハニーブロンドの髪を揺らした彼の視線が、こちらに気づいたのかゆっくりと降りてきて、自分のそれとかち合った。

「オメェは頑丈だねェ。」

寂しそうに呟かれた小さな声が、耳に残る。
呟いた彼の身体には、傷を覆う包帯が至るところに巻かれていた。
頭に巻かれたそれや、袖や襟元から覗く僅かな白い布が痛々しく写る。
彼のその目が、自分を通して誰かを見ているようで少しの居心地の悪さを感じた。

「オメーはいなくなるなよ?」

居なくなったのは誰なのだろうか?と、聞くこともできず、彼の静かな声に耳を傾けた。

不意に、彼の長い指が反対の腕を緩く撫でる。
僅かにひそめられた眉に、そこに傷があるのだとわかった。
しかし深いのは身体よりも心の方だとわかる。
亡くなった者たちの亡骸を片付けていく隊士の作業を、普段はサボったりするくせに黙って見ていた姿が思い出される。



伏せられた顔の下で思っていることは、きっと隊士の皆が切なげに最期を看取った伊東や切り捨てられた者たちのこと。
そのあまりにも儚げな男の姿に、神楽は不安に駈られて手を伸ばした。

けれどもすんでのところで手を止めてしまう。

触れたら割れて消えてしまう泡のように危うげに思えて怖かったのだ。


上げた手が下げそびれて行き場を無くしていると、視界の端に震える肩が目に入った。
いたたまれず、堪らずにその柔らかい髪に手を乗せた。
クシャクシャと撫でると僅かに温かい熱を感じた。
男は一瞬身を固くしたものの、段々とその手を受け入れたように力が抜けていく。

「抱きしめても…いいかィ?」

語尾の震えた弱々しい声に、こちらが泣きたくなった。


「…好きにするヨロシ。」

答えてやれば、直ぐにガッシリと骨張った腕が自分の腰に回される。
密着したことで、彼のハニーブロンドの髪は自分の懐へと飛び込んできた。
すがりつくように回された腕からより温かな熱が伝わり、少しホッとする。

「…あったけぇや。」

自分の身体を包む温もりが、安堵の息をつき、力が抜けていくのを感じた。

(何怯えてるネ?)

サラサラと風に靡く絹糸を撫で付ける。
怯えてるのは、たぶんこの腕の中の少年だけではない。
普段の豪胆な態度など微塵も感じない。
真撰組の中でも特に恐れられてるとは思えぬ程この少年が儚くて

「地球人は…
お前は弱いナ。」

そうポツリと呟けば、苦笑混じりの声が返ってくる。

「お前と一緒にすんじゃねィや。
…でも
…そこいらのヤローよりは、強いつもりでいたんだけどねィ…。」

自嘲の笑みが耳に…心に痛い。
まるで泣くのを堪えているようで更に苦しい。
こんなにも儚い彼を、あの瞬間だけ兄と重ねて見てしまったことがどこか後ろめたかった。

「…お前は脆いヨ。」

でも優しい…。ギュッと抱きしめた彼にもし何かあったら、自分こそどうなってしまうのだろうか?

「…チャイナ?」
「脆くて怖いネ。」

それは彼ではなく自分のことかもしれない。
血に抗えなくなった自分を見たら…本当の『夜兎』を見たら、彼はどう思うだろう?

何かを感じたのか、身を離した彼が不安げにこちらを見上げてくる。
その瞳に、自分は上手く笑えているのだろうか?

「チャイナ…?」

自分は…強くなれるだろうか?
強くなりたい。彼の側にいたい。
ただの人であるために強くなりたい。

「私…私は消えたりしないアル。
お前らよりよっぽど頑丈につくられてるヨ。」

やっぱり笑うのは失敗みたいだ。
目の前の彼の顔は、どう見ても安心しているようには思えない。
強くありたい。
体だけでなくて…心も。

「当たり前だろィ…
消えたりしたら承知しねぇ。」

弱々しい彼の声が、すがりつくように耳に残る。

「お前は簡単に死んじゃうヨ。
お前は…」

不意に思い浮かんだのは、兄に切り落とされた父の腕と、その父の足元で血溜まりを作ってうずくまる兄の姿。
地球人だったらとっくに命を無くしている。
この傷を受けたのが地球人なら…
沖田だったら…

自分が怪我をする度、良くそんなことを思ってしまう。

どうかどこにも行かないで。
自分を置いていかないで、と思う自分が弱くて嫌だ。

「…お前はいつも平気な顔して無茶するネ。」

微妙な表情をした沖田には、何か気づかれたかもしれない。

「チャイナ…?」

やっぱり不安にさせたみたいだ。
安心させるように笑って見せる。

「私…私は消えたりしないアル。

お前らよりよっぽど頑丈につくられてるヨ。」

上手く…笑えたかな?

でも本当に自分は頑丈だから。
例えて言うなら鋼のように壊れにくい身体を持っているから。
だからそんな顔しないで?

「当たり前だろィ…
消えたりしたら承知しねぇ。」

いつものように言うくせに、泣きそうな声は隠すことができない彼に、神楽は優しい口づけを蜂蜜色の髪へと落とした。

自分に、鋼のように強い心が持てるなら。
こんなにも弱く見えてしまう彼に鋼のように強い身体があれば、
この胸騒ぎは消えてなくなってくれるのだろうか?



抱き締められた沖田の腕の中、神楽は彼の髪を撫でながら泣きそうな自分を励まして、そんなことを思うのだった。




消えてしまわないように強くありたいと思った。





ナーバス沖田と兄ちゃんを重ねて見てしまった神楽ちゃん

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