千昭→真琴
映画より前
*
忙しなく鳴き続ける蝉の声が五月蝿すぎるなんて
なんて贅沢な悩みだ
照りつける太陽を阻む雲が見当たらないことが恨めしいだなんて、
なんて贅沢な考えだ
服を汚す土埃が鬱陶しいだなんて
なんて贅沢なわがままだ。
ただ…あの絵を見たくてここへ来たのに…。
欲がでてしまったんだ。
学校に通ってみたいと思った。
でもそこで、功介っていう悪友ができた。
でもそこで…あいつに出会った。
女の癖にバカみたいに野球をしたがって、
他の女子みたいにオシャレや恋愛に興味を持ったりしない。
変なやつだった。
けど、気持ちのいいやつで
けど、かわいいやつだと思った。
贅沢な日々
「千昭ー!ボール!!!」
「あ…あーすまねーなっ!!!」
名前を呼ばれた少年・千昭は、右手に握ったままだった白球を目の前にいる少女・真琴に向かって放り投げた。
パシッと受け取った真琴は、相変わらずの女投げ。
「あいつおせーなぁー。」
「あーなんかー女の子にー呼び止められてたよー。」
「またかーー。」
少し離れているせいで、二人は大きな声で会話を交わしていた。
いつも3人で立つグラウンドに今日は2人きりで嬉しいと言えば嬉しいが、やはり野球はいつもの3人でするのが一番いい。
真琴もキャッチボールばかりで少しつまらなそうだ。
あいつ…功介は女子にもてる。
頭もいいし、同じ歳には思えないほど大人びたところもあった。
ただ、功介の好きなやつを知ってるだけに、女子に告られようが千昭は何にも気にならなかった。
「おっし。いくぞ真琴ー俺の魔球!!!」
「あ…ちょっと待ってー!どわっ;!?
待てっていってんでしょーが!!!(怒)」
制止の声も聞かずにボールを投げられ怒った真琴を笑って見ながら、真琴に来たのと同時に自分にも送られてきたメールを見ると、予想したとおり功介からだった。
「功介こないのかぁ。」
ものすごく残念そうな真琴にすこし胸が騒ぐ。
功介からのメールは、部活の仲間に捕まったから行けなくなったという内容だった。
本当かどうかはよくわからない。
「帰ろっか…。」
ポツリと言った真琴に、千昭も頷くとグローブを外した。少し土のついた鞄を肩にかけると、2人して千昭の自転車に跨る。
「…お前漕ぐのやだからってチャリおいてくるなよ。」
「いいからいいから。」
ヘラヘラ笑って手を振る真琴に渋面を作って見せたが降りる気配はないらしい。
本当はすこし嬉しいけど、黙っとく。
「なぁ…お前あいつに彼女できて2人っきりになっちまったらどおすんだ?」
「え…?」
河原の土手を自転車で走ると夕方の涼しい風を感じる。
日は傾き世界はオレンジ色に染まっていた。
空には赤いとんぼがちらほらと飛び交っている。
夜を前に鳴き納めとばかりに、蝉は尚も鳴き続けているが、空気は徐々に暑さを失いつつあった。
「あたしは…。」
すべての音が消えたように思えた。
どこか緊張しながらじっと真琴の話を待つ。
心とは裏腹に、頭は冷静で。
「3人で野球できなくなるのは…やだ。
けど…そのときは
千昭と2人で遊ぶよ。」
消えていた音が返ってきた気がした。
真琴らしい返答に笑いつつ、最後の言葉に期待をしてしまう自分がいて少し自分でも可笑しく思った。
「そっか…。」
どこか安心して、でもどこか残念で…。
「千昭がいなくなったら…ひとりでやる。」
心臓が跳ねた気がした。
必ず…自分はいずれ、この世界(時代)からいなくなる。
(あぁ…長居をしすぎちまったな。)
この感情が
この切なさが
苦しいだなんて
なんて贅沢なんだ。
「…そっか…。」
自分の背中に当てられた真琴の額に、また心臓が高鳴るなんて、自分はなんて単純なんだ。
その気持ちを誤魔化すようにただひたすらに自転車のペダルをこぎ続けた。
願わくば…あと少しだけ、ここに居させてくれ…と
願いながら。
*
切なく片想いな千昭、好きです。