堂郁
恋人期間
*
「ねぇ笠原!明日の夜暇!?」
今日1日の仕事を終え、同室の柴崎とゆったり湯船に浸かっていると、同期の業務部員に洗い場からそう声をかけられた。
「まぁ…仕事終われば暇…かな?」
別段用もないし、その日は何時もより早く終われる予定だ。
次の日は公休でもある。
郁の返事を聞くやいなや、その友人の顔がパッと華やいだ。
「よかったぁ…頼みごとがあるのよ!」
「なに?」
体を洗い終えたその友人は、湯に足をつけて2人の横にゆっくりと腰を落とした。
「実は今度防衛部の男と合コンあるんだけど女が1人足んなくってー…。
頼む!きてくれ!!」
「はぁ;!!?」
合コンという言葉に郁の思考が止まる。
パニック中の郁を見て、それまで黙って見守っていた柴崎がため息をついて口を挟んだ。
「だったらあたしが行くわよ。
あんただって知ってるでしょ?このこ…」
「教官のことは知ってるわよ;!
でも1人足んなくって…って柴崎はだめ!男全部持ってかれちゃうから!!」
柴崎の申し出に友人は慌てて手を振った。
確かに図書隊内ではその美しさで有名な柴崎が行けば、これをチャンスとばかりに食いつかない男はいないだろう。
郁と堂上のことは、まだそれ程知れ渡ってはいない。
仲の良い同期などには話してはいるが、別に基地内の人がいるようなところでいちゃついている訳でもないし、いちゃついているとしても付き合い始める前とあまり変わらないため気づく者も少なかった。
その後も相当困っているのか、粘った友人を断りきれず、郁は麻子の溜め息が耳につきながらも了承するしかなかった。
「知らないわよ?何があっても。」
部屋に帰ってから、柴崎はスキンケアをしながら鏡越しに、ペットボトルのお茶を飲む郁を見つめた。
「んー…でも困ってたし…
あたしタダ飯食べてるだけでいいって言ってたし!」
「…あっそ。」
親友の直属の上司兼彼氏の堂上のことを考え、麻子は同情しつつもおもしろい展開にならないかと少しばかり内心で期待をした。
「ま、精々楽しんできな。」
「もっちろんよ☆」
そんなことを考えているとも知らず、郁は麻子の微妙な励ましにニカッと笑って答えた。
「笠原。」
翌朝、図書特殊部隊の事務室へ向かう廊下で呼び止められて振り返ると、大好きな彼。
パッと笑顔になっておはようございますと言おうとして少し後ろめたさが首をもたげた。
「…どうかしたか?」
微妙な表情をしていたのだろう。
訝しげな篤の顔が郁を見上げていた。
「あ、いえ。
えっと…あ、ちょっと朝食食べ過ぎちゃって。」
しどろもどろに適当に嘘をつき、また後ろめたい気持ちが増した。
そんな嘘を見抜いているのかいないのか、篤は深く突っ込まないでいてくれた。
「そうだ…今日仕事の後空いているか?」
その言葉に郁は心臓がぎゅっと締め付けられたような錯覚に陥った。
「す、すいません。
今日は…同期の友達と飲みに行く約束しちゃいまして…;」
申し訳なさで全部吐露してしまいたかったが、余計な心配をさせるのも嫌だったのでなんとかごまかした。
「そうか…」と残念そうに呟く篤に罪悪感を抱きながらも、郁はそのまま黙っているしかなかった。
心の中では謝罪の言葉が渦巻いていたけれど。
「それじゃ行ってきます。」
そう後から部屋に帰ってきた麻子に言うと、郁は普段はかないヒールの少しある靴を持って部屋を後にした。
手を振って親友を見送った麻子は、1つ溜め息をつくとテーブルの上にある自分の携帯に手を伸ばす。
「…この場合…情報提供したほうがいいのかしら?」
手元の携帯を見つめては、閉じたり開いたりを繰り返して考えこむ。
しばらくそれを続けて、麻子は結局携帯をスウェットのポケットに入れて夕飯を食べに食堂へと向かった。
「あ、笠原ー!こっちこっち☆」
雑踏の中で名前を呼ばれて振り返ると、そこには既に友人たちが揃っていた。
「ごめん。待たせた?;」
「ううん、みんな今きたとこ。
それより希望を聞いてもらえて良かったわ。」
満足げな友人の視線の先には、郁のスラッと長い生足。
「別にスカートじゃなくても良くない;?」
そう言う郁は、少し恥ずかしそうに持っていたバッグで足元を隠す。
「いいじゃない!
あんたの最大の武器なんだから☆」
他の友人たちも楽しそうにウンウンと頷いている。
「武器って…;//」
「ほら中入るわよー?
男どもが待ってるんだから♪」
戸惑う郁をよそに、友人は郁をグイグイとオシャレな居酒屋へと押し込んだ。
ロビーの自販機にお茶を買いに行くと、先程まで考えていた上官が缶ビールを買っていた。
「堂上教官!」
「柴崎か。
なんだお前は飲み会に行ってないのか?」
その堂上の言葉から柴崎は郁の言ったことを察し、思わず溜め息が出そうになった。
(…ったくすぐボロの出そうな嘘つくんだから。)
「えぇ、体調が優れないのでやめときました。」
ニコッと笑うのを忘れずに言うが、目の前の顔はしかめっ面だ。
ちょっと面白いかも…と思っていた麻子だが、今は微塵も思ってはいなかった。
郁と堂上の2人だから楽しく見守ってきたのだ。
それに気になることを耳にしていた。
(やっぱり…あいつは笑ってる方があってるしね。)
「嘘ですよ飲み会なんて。」
「は?」
いきなり何を言い出すのかと、ついていけない堂上は風呂上がりの髪を拭いていたタオルを床に落としてしまった。
「合コンなんです。」
落としたタオルを拾おうと伸ばした手がピクリと動きを止める。
「ついでに…昼間業務部の友人と防衛部の男が打ち合わせしてる話も聞いちゃったんですよねー。」
「…。」
タオルを拾う体制のまま、堂上は固まって動かない。
頭にやや血が上り、顔が赤くなっていた。
「その男…やたら笠原がくるかどうかを気にしてましたけど…あ、あとスカートで来るかどうかも。
でもあのこ、ただの人数合わせに呼ばれたとしか思ってないから…何かされるかもなぁ。」
堂上の反応を見て若干にやけそうになるのを堪えながら言った麻子の言葉に、堂上が過剰反応するのは仕方のないことだった。
(みんな…酔っぱらってきてるなぁ;)
甘いカシスオレンジをチビチビとのみながら、郁は自分たちのテーブルを見回した。
一緒に来た友人たちと防衛部の男たちは酔っているのか楽しそうに騒ぎながらどんどんグラスを空けていた。
郁はというと、柴崎にキツく言われたため軽めのものを一杯だけでとどめている。
それにしても…
「笠原さん、本当に普段着可愛いね。
あれ?あんま飲んでないけどつまんなかった?」
郁よりほんの少し背が高いこの男性隊員は先ほどからずっと郁の隣に座って話しかけてくる。
しかもたまに手や肩に触れてくるのが気になっていた。
「ちょっと酔っぱらいすぎ;!
あたしのことはいいからみんなと騒いできなよ。」ほんの少し迷惑だという気持ちを混ぜながら言うが、男は気づいてないらしい。
「まぁまぁ…あ、お酒弱いの?」
なだめるように言う男は、ここを離れる気は無いらしい。
「…そうだけど…」
「じゃあはい。お水。」
そう言って差し出されたのは透明な液体。
「これ…お酒じゃない?」
テーブルの上には焼酎の中瓶が2、3本ある。
「ん?あぁ、みんなこれ芋焼酎だよ。
これ液体黄色みがかってるでしょ?
こっちはただの水。」
確かに誰かが飲んだ形跡のある水割りグラスにはやや色のついた液体。
それを見て、安心したのか一気に水を流し込み、
男の肩にもたれた。
「はれ…?」
「あ、透明な麦焼酎もあったみたい。」
ニコッと笑った顔は、イタズラが成功して満足げだ。
(やられた…)
朦朧とする意識の中そう思っていると、男に肩を担がれた。
「ぅ〜…?」
「笠原さんダウンみたいだから俺先に帰って寮まで送るよ。」
男はそれだけ酔っ払いと化した仲間たちに言うと、郁の荷物を持って店の出口へと向かった。男のもう片方の手は、郁の細い腰へと回されていた。
「笠原さん本当にお酒弱いんだね。可愛いなぁ。
俺、前から笠原さんと話してみたかったんだ。」
上機嫌な彼は、嬉しそうに話しながら店のドアを押し開く。
郁はというと、意識が朦朧としているため、きちんと歩けない。
「笠原さん…このまま2人でどっか行こうか?」
下心丸出しな声でそう問いかけるが、郁からの返事はない。
その代わり、後ろから低い声が明らかな敵意を持って男に投げられた。
「俺の郁を…返してもらおうか?」
やや息を切れさせたその声は、男もよく知るものだ。
振り返ってその顔を見て、確かめておののく。
男も郁と同期の防衛員である。訓練生だった頃は小牧が教官であったが、横で自班を一喝していた姿をよく見ていた。
「ど、堂上教官…。」
驚きで目を見開く男を後目に、堂上はその手から自分の恋人を奪い返した。
「え?なんで教官が…俺のって…え、まさか…」
混乱する男をひと睨みし、堂上はその腕に彼女を躊躇うことなく抱きしめた。
「…これでわかったか?」
「!!」
理解はしたが納得はいかない…けれど相手は上官なため、男は黙っているしかなかった。
黙っているのを肯定ととったのか、堂上はそっと腕の中で目をつぶる郁の名を呼ぶ。
「郁…
しっかりしろ、このアホウ…。」
その堂上のあまりにも優しい声と愛しげな目を見て狼狽する。
そして無理矢理に納得させられた男は、背を向けて一人、店の中へ戻ることしかできなかった。
「ん…ぁれ、…きょ…かん?」
大好きな匂いがして郁が目を開くと、見慣れた後頭部があった。
ガバッと起き上がると、途端に頭に痛みが走る。
「うっ…」
「起きたか。全くこのど阿呆が!!」
大きな声で怒鳴られ、酒で痛む郁の頭にガンガン響いた。
「頭いだぃ…。」
「ったく…飲めないくせに強いのでも飲まされたんだろう?」
どんな表情をしているのか、背中に背負われた郁からは見ることは出来ないが、その声は不機嫌そうでいて郁を気遣っていた。
そう思うと申し訳なさがこみ上げてきて、郁はぎゅっと篤の首に抱きついた。
羽織らせてくれた篤の上着にシワがよる。
「…ごめんなさい。迷惑かけて。」
「…まったくだ。報告してくれた柴崎に感謝しろ。」
照れくさいのかほんの少し素っ気なく言う篤に、郁はバレないように苦笑を漏らした。
「走って…きてくれたの?」
温かい背中は、ほんの少し汗ばんでいた。
「…当たり前だ。
酒を飲まされた後に郁に何かされたらたまらないからな。郁は…俺のものだ。」
「教官…///」
照れくさいし恥ずかしいしで顔が真っ赤になる郁だが、それよりもただ嬉しかった。
見えないけれどしかめっ面をしているだろう彼が、愛しくてたまらない。
「…もう…行かないから。」
「あぁ。」
「お酒もあんまり飲まないようにする。」
「あぁ。」
「教官…。」
「大好きです。」
吹く風はやや冷たい。
けれど彼の背中の温もりは温かい。
真っ暗な道を照らす街灯の明かりは、郁を背負う篤の耳が若干赤いことを教えてくれた。
「…知ってる。」
その言葉に、郁はまたバレないように小さく笑みを漏らした。
しかめっ面
照れ隠しをする顔が、見えないけどわかったよ。
*
ニヤニヤ