ダニエルは何もしなかった。
 ただ目の前で増えていくコインを見ていた。沸き立つ客や青い顔をするボーイに囲まれて、彼は表情一つ動かさない。
 石のようだった。
 動かない。
 ディーラーもただそれを見ていたが、不意に紅を引いてある口を開いた。

「台は私の子どものようなものですが……。ミスター、貴方のお陰で子どもの教育方法を思い出しましたよ」

 きっとディーラーの耳にあるイヤフォンからはフロアマネージャーの叱責が響いているに違いない。
 一人勝ちさせるな、それ以上したら馘首だと。

「すみませんが、私はまだ子どもと離れたくないんですよ」

 ディーラーの瞳が冷えきった。それは事実上、もう勝たせない、という宣言だった。
 次にどのような読みをされようとも、絶対に勝つという自負。
 レイチェルにはそれがどこからきているのか分からなかった。
 言葉を受けてダニエルは柔らかに微笑んだ。

「もう一度だけ付き合っていただいても、レディー?」

 彼はそう言った。
 ディーラーは目を細めた。

「……どうでしょう、あと一回、私に回す時間があるかどうか」

 ちらりと彼女はバックルームの方を見る。交代要員が送られて来るのだろう。
 ダニエルはにっこりと笑った。

「では、こうしましょう」

 彼は大きく手を広げる。役者のような仕草は、場の興奮と融け合って様になっていた。

「今勝った分のコイン、それを全て、一目に賭ける、ということは?」
「……。赤か黒か、というわけですか?」
「Red OR Black」

 ダニエルは微笑んで両手を握った。
 ディーラーがちらりともう一度、バックルームを見てから、片耳につけているイヤホンのコードを撫でた。

「いいでしょう。丁度、上からも二択を迫られています。辞めるか、代わるか。――その前に、乗りましょう、その勝負」

 ディーラーが言う。

「――Good!」

 にやりと笑ったダニエルがクリスタルを持ち上げる。そのまま、ぱちり、とマスに置いた。
 黒。
 回される前に置いては目打ちも何もない。だが確信的な動作だった。
 ディーラーは厳然とそれを見ていた。
 わっと周りの客が群がった。ダニエルの置いた黒のマスが一杯になり、ある者は全ての黒に一つずつ置いていく。一攫千金の幸運を掴もうとする狂乱だった。
 ディーラーの目がレイチェルを捉えた。ぽつりと彼女は呟く。

「確率や数式だけで賭博は生まれない。――幸運。それで賭博は命を得る。人の命がけを吸い上げて、幸運は息づくのです。……お嬢さん、ミスターとどういう関係かは私には知ったことじゃあないですが、貴方が幸運の女神なのかもしれないですね」

 レイチェルが何か言い返すよりも早く、ディーラーがベルを鳴らした。

「――回すよ」

 破滅か、再生か。
 二択を迫られていてもなお、彼女はただ台に触れる。
 ひゅっ、と手先が滑る。赤と黒と緑が並ぶ円盤が回転しだす。もう誰にも止められない。
 彼女の手からボールが放たれた。




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