お手本というからには勝つつもりであるのだろう。台で公然と言い放つとは思えない、とんだビッグマウスだった。 それは焼け付くような挑発行為。 自ら己に火を放っているようなものだった。 ダニエルとディーラーが視線を交わす。互いの視線の中にはまだ、目立った感情はない。恐怖も、怒りも、何も。 ただ推し量ろうとしていた。 こいつは何者であるか、という問いだ。 微笑を崩さないディーラーはゆっくりと台を撫でてから、 「……どうぞ、ミスター」 そうダニエルを促した。ダニエルはお礼を言う代わりに笑みを濃くした。ポッドから五枚、コインを取る。そうしてそのままポッドはレイチェルに預けてしまった。 その意味を理解したものは少ない。 ダニエルとディーラー、そしてレイチェルだけが正確に理解していた。 たった五枚。 お手本を見せるためには五枚で充分だと言うのだ。 ディーラーの瞳が一瞬、細められた。掠めた感情がなんであったかレイチェルには分からない。 ただ、レイチェルは僅かに半歩、引いた。そうすることで台全体が視界に入る。 余さず全てを見取ってしまおうとしていた。 そこまで来て、ようやくレイチェルの大当たりに惹かれて台に近づいていた他の客も空気を察する。 ダニエルがそっと、クリスタルを赤のマスに置く。アウトサイド・ベット。典型的な様子見だった。 他の客達もあやかろうとしているのか、次々と賭けていく。この機に乗じて大儲けしようという腹積もりなのだろう。 ディーラーは台に置いた手をどけぬまま、じっとそれを見ていた。冷然。そう呼ぶに相応しい表情だった。 「さ、行こうかね」 ベルの音とともに、女の手がルーレットを優しく撫でた。一瞬で赤と黒の並びが融け合って一つの円を描く。その回転の中、ボールが差し込まれた。 しゅるるるる、と蛇のような音を立ててボールが踊る。 全員の視線が一つのルーレットに集められた。 その回転が僅かに緩まった頃合いで、ベルが二回鳴らされる。 「そこまで」 これ以上賭けてはならぬ、とディーラーが言い放ち、後はただボールが落ちるのを待つだけだった。 ごくり、と誰かがつばを飲んだ。 否応なしに高まった緊張感が場にひしめく。 ボールが二三度、不規則に跳ねてから、ポケットに落ち込んだ。 そしてそのマス目に記された番号をディーラーが言った。 「――黒の11」 ひゅっ、とレイチェルの喉が鳴る。しかし即座に取り繕い、ポーカーフェイスを崩さない。 ただ心中で思うのは、やられた、ということだった。 誰も賭けていない空白の一目。 しかしそれは先ほどレイチェルが引き当てた大当たりのマス。 偶然なはずがなかった。はっきりと彼女は明示したのだ。 ここでは私とこの台が支配者だ、と。 赤に賭けていたダニエルのコインが回収されていくのを見て、レイチェルは彼の横顔を伺う。 彼の提示したコインは後四枚。 しかし彼は薄く笑っていた。瞳には確信の光。挑みかかるような表情だった。 ぞくぞくとレイチェルは鳥肌が立つのを感じていた。 何を持って、そんな表情が出来るのか。 それはなんとなく分かるような気がした。奥底に刻まれた闘争本能が昂ぶる。 ダニエルは指先にクリスタルを挟んでいる。退く気はない、という仕草だった。 宥めるように、ディーラーの指先が台に触れている。 ダニエルが笑った。 ディーラーの視線はしっかりとダニエルを見ていた。 レイチェルには分からなかったが、それは我が子を侮辱された時の母親の表情だった。 |