ミセス・ヴェデットの料理はいつも通りに最高だった。柔らかい肉を口に運ぶ瞬間は幸せだし、仕事の片付いた上司は疲れていてもそれなりに上機嫌で、+++が知らない銘柄のワインを開けてくれた。
食事が済んで食器を片付けようというところで「それはあとで」と腕を掴まれバスルームに連れて行かれるのもいつも通り。
そのままそこで遊ばれて、ベッドに縺れ込むのもいつも通り。
万事がいつも通りに爛れていて、間違っている。

苦しいくらいに突き上げられた感覚はまだ身体に鈍く、怠く残っている。急速に冷えていく汗を感じながら見慣れた天井から視線を横へずらすと、同じくベッドに沈む男の姿が見えた。
すっかりシーツもよれてしまったベッドの上で、俯せになり目を閉じている上司の顔をじいっと見つめる。
濃い隈は、この一晩の眠りではとても消えないだろう。こんなことをしないでさっさと寝てしまったほうが、疲れた彼のためになったはずだった。


「顔に穴が空きそうだ」


半分眠りの中にいるのか、上司の声は掠れていてよく耳を澄まさないと聞き逃してしまいそうだった。
ううん、と額をシーツにこすり付けて眠がっている様子はとても三十路もとっくに過ぎた伊達男には不釣り合いだ。
今にも眠りの中に落ちていきそうな男の腕をよけて身体を起こすと、俯せたまま鳶色の目だけがこちらを伺ってくる。

「どこへ」
「家に帰ります」
「今日はこのまま寝たい・・・泊まっていけばいいだろ」
「このまま寝ていていいですよ、一人で帰れます」

無駄に広いベッドの上をずりずりと移動していると、「そういうわけにもいかないだろう」と、ベッドから降りる前に長い腕が腰に回ってきた。
そのままずるずると引き戻されるものだから、抗議を込めてじろりと睨む。

「もう夜も遅い。一人で帰すには危険な時間だが僕も眠い」
「一人で帰るのに安全な時間が、ヘルサレムズ・ロットにあると思います?」
「泊まっていきなさい」

欠伸を噛み殺しながらも強い口調は、問答はこれで終わりだ、という意味を含んでいた。
これ以上会話を続けても、あとは睨まれて終わりだろう。経験から無駄だと判断し大人しくベッドに潜ることに決めた+++を見て、スティーブンの口が満足げに薄く弧を描く。
「いいこだ」掠れきった声でそう言うと、重そうな瞼がゆるゆると下がり、鳶色の目が隠れていった。

いつもは、帰りたいという+++を引き留めることはしない男だ。
爛れた関係が始まったときから、「事が済んだら帰る」というのはほとんど暗黙の了解だった。
スティーブンはこれまで一度だって+++を引き留めはしなかったし、+++がここに残りたいと言うこともなかった。

最初の夜は、重い身体を引き摺るようにして起こした+++へ、シャツとスラックスを身に着けたスティーブンが「ゆっくりでいいよ。支度が出来たら、送っていく」と。
その一言で浮かれていた頭に水を被せられたような心地になり、これが名前のつかない関係だということを、どうしようもなく思い知らされたのだ。
+++はきちんと、最初からずっと、物わかりの良い部下で、「良い子」だった。
それが、一体今夜はどうしたのだろうか。
「泊まっていきなさい」だなんて、いつも通りの爛れた時間のなかに突如現れたイレギュラーだ。

長い睫毛が鳶色を隠し、癖のある黒髪が額から瞼を隠す。薄く開いた口からは、規則正しい寝息がきこえてくる。
ライブラにおいては有能かつ冷静(かつ怒らせると死ぬほど怖い)な副官であるスティーブン・A・スターフェイズは、意外と我儘で気紛れ屋だということは、ここ1年半の間に嫌というほど理解している。
今夜のイレギュラーは、疲労した彼の気紛れの一部であり、特別意味のある夜というわけではないのだろう。

心の端っこで、消えたはずの恋心が「もしかしたら」と零すのを黙して殺し、+++も目を閉じることにした。
期待することはもうやめたのだ。




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