『やべぇの、夜のニュースのさ、天気予報!』
電話口で嬉々とした声が言う。
伊月が引っ越してから早三ヶ月が経っていた。直接話せなくなって、一緒にバスケが出来なくなって、触れられなくなって、三ヶ月。ゆっくりだったのか早かったのかと言われれば、さぁどうなんだか。
『聞いてる?ひゅーがぁ?』
「聞いてるっつの、んで?」
伊月は新しい高校で主将になった。全国大会で戦う高校でスタメンで出ていたぐらいなのだから、別に不思議ではないし文句もない。
ただ気に入らないのは、勝った時に肩を抱くのもハイタッチするのも、負けた時に涙を共有するのむ励まし合うのも、俺じゃなくなってしまったこと。勿論、女々しくて言えはしないけど。
『天気予報の人がさ、毎日ダジャレ言うんだけど。超すげぇよ、もう神』
「ダァホ、本業の天気予報で褒めてやれ」
『え、だってそこそこだし』
「おい」
音を発する携帯電話を投げ捨ててしまいたい衝動。三ヶ月前なら、三ヶ月前なら帰宅中にでも話せたようなくだらない会話を、掌サイズの機械に頼って聞かなければならない苛立ちがじわじわと襲う。伊月の声はこんな無機質じゃなくて、綺麗なテノールの柔らかい声なのだと知っているのに。
『今日は、明日は日焼け止めをしないといけない日やけどなぁ、だったかな?』
「は?明日雨だろ?」
『こっちは晴天、暑くなるって言ってた』
天気すら共有できない、苛立ち。友人も授業もバスケも、何もかもが噛み合わなくなっていく。そしてきっと、こんな電話さえもしなくなってしまう気がして、そう思う自分にまた苛立った。
そうして表には出さずに苛々していると、そういえば伊月が黙りこくっている。物思いに耽って何か無視してしまっただろうかと慌てて呼び掛けると、三ヶ月前に聞いたような、か細い不安げな声が耳に響いた。
『……ひゅーがに逢いたい』
目を見て話しながら、同じ空の下で同じボールを使って同じゴールを狙いたい。
そう言う伊月は、一体なにを思っていたのだろう。
俺の左隣はひゅーがだった筈なのに、俺の左手の先はひゅーがの右手だった筈なのに。今はさ、その左手でケータイ持ってる。
俺は右手で携帯電話を持ったまま、暫く動けなかった。伊月の弱気な発言がなんだか懐かしかった。
日向は寝転んでいたベッドを立った。勉強机に少し積まれている教科書を退けて奥から有りがちな貯金箱を引っ張り出し、躊躇いもなくそれを開けて中を出す。自分の財布の中身を頭で思い出して、なんとかなるだろうと難しく考えずに実行に移すことにした。
女々しいけど、こうしてたらね、ひゅーがが近くにいるような気がするんだ。
エナメルの大きな鞄に合宿と大差ない荷物を突っ込むのもそこそこに、制服のポケットから財布を出して貯金箱の中身を入れて再びポケットへ。慣れた手つきでエナメルを肩に背負って、履き慣れた靴を適当に履いて。木吉ンち泊まるから、なんて大嘘を親に向かって言い、わざとらしく玄関の扉を大きな音が鳴るように開けて、閉めた。
『ひゅーが…?出かける?』
「おー、ちょっとな」
向かう先は、駅。右側に人一人分だけ間を開けて、エナメルを揺らしながら歩く。
『じゃあ、電話切るよ』
「伊月、あのさ、」
コンクリートの道路がぽつぽつと色を変えはじめて、あー降ってきた、なんて天気予報の話をしていたのに傘を忘れてきた自分に内心ダァホと呟きつつ、降られるのは勘弁なので走り始める。あのさ、の後は息も絶え絶えに、斑点の出来たコンクリートをぐしゃりと容赦無く踏みつけて、
「明日は晴れだな!」
そう言い切った。
右手のケータイが、そっちは雨なんだろ?とかなんとか、困惑気味な伊月の声を発している。
(その手があるのはいつだって)
(同じ空の下の筈だ)
20120424