心臓が口から出そうとは、まさにこのことだと思う。
どきどきばくばくと、そこだけが自分の身体から離脱して勝手に動き出したように激しく脈打つ。息苦しさに呼吸を荒くして、何をやってるのだと眼鏡を外した眼を両手で覆った。
「っ……くそ」
愛用のペンを握って書類と格闘するも、レイムの頭にその内容は一切入っていなかった。レイムの頭に思い出されるのは、たった一人の友人の顔だけだった。
いつからだろう、友人を友人と思えなくなって、同性を、所謂恋愛対象にしてしまってから、何となくそのような目で相手を見るのが失礼に思えて自然に避けてしまっていた。
だからだろうか、逢わない分だけどうしようもなく恋しいのだ。表情の一つ一つが馬鹿みたいに思い出されて、事あるごとに彼奴ならどうしただろうかなどと無意識に考えている。
「………ザクス…」
暫く呼んでいなかった名を小さく呟いてみた。やがて空気に溶けたその言葉が本物のブレイクを連れてきて来るのではないかと扉を見やるも、よくよく考えればあの変人が扉を使うことなんてそう滅多にないではないか。
レイムは大きな溜め息を零して徐に眼鏡を外すと、そのまま机上に突っ伏した。目を閉じれば―…瞼の裏には、真白な彼がいるのだ。
「れーいーむさーんっ」
むぎぅっ、とか、そんな効果音を引き連れて走ってきたブレイクは、レイムの腰辺りに後ろから抱き付いた。例に漏れず大量の書類を抱えていたレイムは、それらを盛大に廊下にぶちまける。
「あーあ、なにやってんですカ」
お前のせいだろうと怒鳴りながら、片付けを手伝ってくれるブレイクに密かに感謝する。そして最後の一枚、面白味のない小説のように指と指が重なって、レイムさんのえっちぃ〜♪などという台詞に再び怒鳴りつけた。
「ハイ」
最後の一枚と、何処からともなく現れた苺キャンディが、なんとも細く白い指から渡される。有り難うと受け取って、苺キャンディを口にすると、ブレイクはどうしようもなく優しい顔をするのだ。
桃に濡れた唇は緩やかな弧を描き、苺の眼は少しだけ細められて強い光を放つ。
そんなブレイクを見る度に、レイムは揺れる。その唇はどんなに柔らかくて甘いのか。クリームのような肌はどれほど滑らかで、その眼は何を見ているのか。
「……ん、ひ!?」
レイムが目を開けると、真っ青が視界に飛び込んできた。外した眼鏡を掛けて見てみれば、どうやらエミリーの顔だったようだ。
レイムが寝ている間にブレイクが部屋に侵入したらしい。エミリーを返すためには避け続けている訳にはいかなくなってしまった。
「ザークシーズめ…」
天然なのか策略なのか分からないが、兎に角ブレイクに会わなければならなくなってしまったのだ。せめて友人では在りたいレイムとしては、何をしでかすか分からない今出来る限り逢いたくないのは予想に難くない。
ひとまず仕事に逃げようとエミリーをつまみ上げて、エミリーの腕からころりと音がひとつ。
「……苺キャンディ」
恋煩
(もしもわざとだとしたら)
(彼は酷く罪なやつだ)