私が、やらなきゃ、完璧で、いなくちゃ、一人でも、頑張らなくちゃ。
幼い頃から礼節と頭脳だけが優れていたせいか、私は小中高変わらず皆のお手本でいた。
教員にも知らず知らずの内に気に入られ優秀な生徒としても評価も高い、スカートの丈も髪の毛の長さも規則に沿って忠実に。
すると教員達は"流石名字だな"とか"名字は学校の見本だな"とか誇らしそうに笑いながら誉める。
私は教員達のこの笑顔が虫酸が走る程大嫌いだけど愛想笑いで返す。
そうすれば、此方が毛嫌いしているのなんか気付かないし余計な問題を起こさなくて済むから。
今日も教員達は気持ち悪い笑いを浮かべて、校門をくぐる私を見る。
それに、お早う御座います、と我ながら上手く笑いつつ教室に向かった。
教室に一歩足を踏み入れれば同じクラスの生徒から挨拶、それにもお馴染みの笑顔で応じて自分の席に着く。
椅子に腰掛けたと同時に右側から聞こえてきた声。
「名字さん、おはよう。」
「おはよう、白石君。」
隣の席の白石蔵ノ介、ハッキリ云って私は彼が嫌いだ、彼が何かしたのかと云えば何もしていないし、私自身も何故彼を嫌っているのか分からない。
只、本能的に合わない人間だって処理したんだと思う、兎に角そんな彼にこれまた十八番の愛想笑いで答える。
すると、彼は挨拶以外に何か口にしようとしたけど騒がしく入ってきた教員によって遮られた。
彼はどこか残念そうな顔をしながらノートに目を向ける。
私は特別それを気にはせずがらがら声の教員の授業を受けた。
全ての授業を終え、生徒達はバラバラと帰っていく中、私は静かになった教室で学級日誌を書く。
何時もなら軽快に走るシャーペンが何故か今日は動かない、理由なんか分かってるんだけど。
それは、とある授業の問題でこれといって得意ではない教科ではあったが間違える程難しいものではなかった、なのに、私は何を勘違いしたのか完璧に答えを間違えてしまったのだ。
思い出しただけでも心臓辺りがモヤモヤして気持ちが悪い、皆の見本でいなきゃいけない私があんな間抜けな間違いするなんて。
私は下唇を噛みきる勢いでギリッと噛んだ。
微かに血の味がしだしたから切れたんだと思う、口端から垂れてきたそれを指で拭って舐める、鉄の味がじんわり口内に広がって変な感じ。
取り敢えず、日誌に何か書かないといけないので再び目を向けてもあの出来事が頭を占領して何も書けない。
「…くそっ!」
気が付けば私は日誌の乗っかった自分の机を思い切り蹴りつけたた。
机は大きな音をたてて前の椅子を巻き込みながら倒れる。
今の誰かに見られてたらきっと私がずっと積み上げてきた色んな事が崩れていくな、って柄にもなく考えた。
すると、後ろのドアからガタンと音が聞こえてきて、私はゆっくりと振り返る。
「あー、見付かってもうたか。」
そう云ってヘラヘラ笑いながら教室の中に入ってくる私の嫌いな彼。
誰にも見られたくなかった私の本性をこいつ見られた。
私は眉間に皺を寄せながら彼に、何、とだけ聞いた。
彼はすたすたと自分の席に行って机の中を漁り、ノートを取り出してそれを見せるように私に向けた。
「忘れ物しててん。で、戻ってきたら名字さんおって入ろうとした瞬間に机蹴りあげたんが見えて…。まさか名字さんがなー。」
「…悪い?」
「別に。普通なんと違う?」
その発言に少なからず驚く。
普通なら幻滅したり他人に云ったりとかするのかと思っていたのに彼は私の行為が"普通だ"と云った。
可笑しい奴と思いながら彼を見ていると彼は、あー…と云いながら視線を上に泳がせた。
「何。」
私がそう問い掛けると彼は、いや、気に障ったら悪いんやけど…と言葉を濁しながら云った。
「あんまり無茶せんとき。」
彼は何を云ってるんだろうか、私は無茶なんかしていない。
今の生活に多少は息苦しさを感じてはいるがそれはもう当たり前、私がそう云おうと口を開きかけた瞬間に彼が呟く。
「名字さん、見てて痛々しいねん。」
「っ、」
本当に彼は訳が分からない。
私の事なんか何にも知らないくせに全て知ってるみたいな顔して喋る。
何も云えずに、只小さく口をはくはくさせていると彼は、たまには肩の荷下ろしても良えんと違う?と云って私の肩を軽くぽんっと叩いた。
そして忘れていたノートをヒラヒラさながら教室を出ていった。
私は彼が出ていったドアを焦点の合わない目でぼーっと見た。
気付いたら頬に生暖かい液体が流れ出して制服の袖で拭っても次から次へと溢れだす。
最終的には拭うのを止めてその場にへたりこんでしまった。
「…う、ぁあっ!…っ、」
彼が云っていた事は強ち間違いじゃなかったのかも知れない。
今まで沢山の期待や評価の目に晒されてそれに答えなければいけないという自分の中の圧力で私の心はとっくに壊れていたのだ。
外からは野球部の練習している声が聞こえてきて、私はそれに負けない位大きな声で泣いた。
静かな教室には私の泣き声だけが響いた。
2012/01/22