見えるのはぼやけた世界と歪んだ顔。
「名字ってホンマに目悪いんやな。」
「…そうだけど。」
私が本を読んでいると急に前の席の一氏君が話し掛けてきた。
確かに私は目悪いけどそんなに表には出してない。
黒板の字が見えなくても目は細めないし(前にした時に"睨んでるの?"って云われたのがトラウマで)ピント合わせるために眼鏡押さえたりだってしてない。
私が情けないような申し訳無いような顔をしていたからなのか一氏君が、別に、名字は何にもしてへんけどな、と云った。
私はそんな時々優しい一氏君が好き。
一氏君を好きになるのに特に理由なんかなくて、何時の間にかどんどん好きになっていった。
でも一氏君は金色君の事が好きで、金色君も一氏君の事好きだから私の入る隙間なんて無いんだよなぁ…ってそんな事じゃない。
私は苦笑いしながら一氏君に、何か変な癖とかしてたかな?と聞いてみる。
一氏君は、違う、と一言。
じゃあ、何なんだろうと首を傾げると不意に視界がぼやけた。
何事かと思って眼鏡に手を掛けようとしても肝心の眼鏡がない。
「何や結構、度強いんやな。」
「ちょ、一氏君、眼鏡返して。」
私が一氏君から眼鏡を取り返そうとわたわたしているのに一氏君はその眼鏡を掛けてそれを躱す。
眼鏡がなくてぼやけるせいで一氏君は一向に捕まらない。
寧ろ一氏君は今のこの状況を面白がっていた。
これ以上追いかけたら何時かきっと転んでしまう、と我に帰って足を止める。
多分足音が聞こえなくなったから一氏君も走るのを止めたんだと思う。
私は一氏君(であろう)を見た。
一氏君が今どんな表情をしているのか全然分かんない。
離れている距離なんて高々1メートル位しかないのに見えないって私どんだけ視力悪いんだろう。
そんな事考えてると一氏君が近くに来て「ほれ。」と私に眼鏡を渡す。
「あ、ありがと、」
「の前に試したい事有るんやけどやっても良えか?」
私の手が眼鏡に触れるか触れないかのギリギリの所で、ひょいっとそれを躱す一氏君。
空を切った自分の手に虚しさを感じながらも「良いよ、と返事をした。
すると、一氏君はいきなりずいっと顔を近付けてくる。
余りにいきなりの事だったから私の顔の前にあるのが一氏君だと理解するのに数秒掛かったけど分かった瞬間には情けない声を出しながら必死に後ずさった。
心臓が無駄に早鐘を打ち始めて顔に熱が集まるのが自分でも手に取るように分かる、多分、今私はとてつもなく赤い顔をしてると思う。
私が逃げてしまったせいか一氏君は不機嫌そうに、そないに驚かんでも良えやんか、と云いながら私の所に歩いてくる。
最初の距離に戻ると一氏君は、ほな、試させてもらうわ、と云ってまた顔を近付けようとして来た。
これ以上何かされたらきっと爆発してしまう。
私は手で待ってと合図して一氏君に聞いてみた。
「そ、いえば、一氏君の試したい事って何か聞いてなかったよね?何試したいの?」
私がしどろもどろながらも問い掛けると一氏君は当たり前みたいに答える。
「名字は何処まで見えへんのかと何処まで近付いたら見えるか。」
「じゃ、あ…顔じゃなくて、手とかでしてくれると…助かります、」
「そんなんオモロないやろ。」
面白さよりも私の心臓のために手にして下さい、とは云えないまま結局一氏君の云いなりになってしまう私はやっぱり甘いんだと思う。
何て考えてると何時の間にか近付いていた一氏君の顔。
一氏君が私が逃げないようにガッチリ腕を掴んでいるせいで離れたくても離れられない。
もう何か私ばっかりドキドキして狡い、せめてもの反抗として少しだけ睨んでみても、何やねん、その顔、と簡単にあしらわれてしまった。
一人でおろおろしてると一氏君は「この位でどや?」って聞いてきた。(聞かなくても完全に見えてるの分かってるくせに)
私はあまりの距離の近さに呆然としながら、見えてるよ、と返す。
一氏君は、ふーん…と云ってじっ、と私を見る。
何処に視線をおけば良いのか分からなくて只々キョドっていると唇に柔らかい感触。
何、これ、どういう、状況?
可愛いリップ音とともにひらく距離。
ほんの数秒だけだったのに酷く長く感じた。
未だに現状が掴めていない私に一氏君は少しだけ笑って「自分、今ごっつ阿呆面やで。」と云いながら私の唇をつーっと触る。
一氏君の指が案外に冷たくて少しだけ肩が跳ねた。
「何や、もっとして欲しいんか?」
「な!違、う…っ!」
何これ何これ、私の知ってる一氏君じゃないよ。
私の知ってる一氏君は金色君にベッタリで女の子なんか眼中になくてだから女の子の扱いとか慣れてなくて…でも、それが全部嘘だったら?本当の一氏君はこんな風に女の子を扱い慣れてたら?私が一氏君を知っていた気になっていただけで本当の一氏君の顔は此方だったら?もう、訳分かんないよ。
「な、何で泣いてんねん…!」
「あ、」
何時の間にか頬を伝う滴、幾ら拭っても拭っても次から次へと溢れ出てきて止まらない。
そんな私を見て、一氏君が慌てて指やら袖やらで私の泪を拭う。
だけど中々止まらない。
わんわん声をあげて泣いていたら一氏君はどこか辛そうに云った。
「嫌やったんなら何で抵抗せえへんねん…。泣く程嫌やったんなら何で噛んだりせえへんねん…!」
一氏君はなんて意地悪なんだろう、そんなの私に出来る訳無いのに、それすら云える訳無いのに、やっぱり泪は止まらなくて、さっきより視界が悪くなるのが分かる。
けど何故か耳だけはやけに敏感になってて、一氏君がぽつりと、嫌いにならんとって…っ、と洩らしたのは私の勘違いじゃないって思いたいです。
2012/02/24