私の神様は、まだいない。
私の最初の神様はお母さんだった。
お父さんが早くに亡くなってから女手ひとつで育ててくれた、学費や生活費を稼ぐためにお母さんは朝から晩まで休まずに働く、私もそんなお母さんの役に立ちたくて、学校から帰ったら全ての家事を下手なりにこなした。
決して裕福な暮らしじゃなかったけど、それでも私はお母さんと一緒にいられるだけで幸せだった、けど、そんな日常は一瞬で砕けて消えていった。
会社に向かう途中のお母さんに大型のトラックが突っ込んだ。
即死だった。
原型も殆ど残らない位惨たらしい姿に変わり果てたお母さん、私の世界はどす黒く染まる、沸々と涌き出す憎しみと悲しみ。
お母さんをこんなにした相手を殺してやりたかった、けど、そんな事したって誰も喜ばない、負の連鎖が続くだけ、結局何にも出来やしない、私は、お母さんのぼろぼろの手を握りながら泪と声が枯れるまで泣いた。
それから一ヶ月、私は、お母さんの実家の有る大阪にいた。
お祖母ちゃんとお祖父ちゃんにお母さんが死んだという報せが行き、私を引き取ってくれると云ってくれたのだ。
私はお祖母ちゃんとお祖父ちゃんを知らない、記憶の片隅にぼやけて、殆ど他人同然だった。
それでも、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんは笑顔で迎え入れてくれた。
誰かがいる家に帰るのは何年振りだろう、何て思いながら深くお辞儀をした。
それから、あれよあれよという間に新しい学校に通う事が決まって、学校はお祖母ちゃんとお祖父ちゃんが私の希望を聞いて決めてくれた。
私は、特に行きたい学校なんて無かったが、将来何が名前ちゃんの役に立つかは分からへんけど、取り敢えず行ってみましょ。それで駄目ならまたその時考えれば良えんやから。名前ちゃんは名前ちゃんらしくあればそれで良えんよ、と笑いながら云うから、私もそんなお祖母ちゃんに甘えた。
入学式当日、新しい制服に身を包み、鏡で身なりを整えているとお祖父ちゃんが、ほな、もうそろそろ行くで、と私に声を掛ける。
着いた学校は厳つい門構えとは裏腹に、一歩足を踏み入れればわいわいと皆騒いでいた。
違う所から来た私には勿論知ってる子なんていなくて、体育館前に張り出されているクラスを確認して靴からスリッパに履き替えて教室に向かった。
教室にはまばらにしか人がいない、まだ他の人は外で何かしているらしい。(写真撮影とか)
私は、黒板に書いてある通りに席についた。
何にも入っていない鞄を机の上に置いて溜め息を吐く。
そのまま暫く、ぼーっとしていると後ろの扉ががらがらと音をあげながら開いた。
「何や、まだ全然人おらへんやんかー。」
「和君もいーひんし。どないする?」
「戻ろかー。」
どうやら同じクラスの女子だったみたいだけど、友人かはたまた他人なのか定かではないが目当ての人物がいなかったため早々に何処かに行ってしまった。
すると、また直ぐ扉が開いた。
今度は目付きの悪い男子で、その男子は黒板に書いてある自分の名前を探し出して席についた。
とは云っても、わたしの前だ。
私は黒板に書いてある前の男子の名前を見た。
…ひとし?…いちし?
よく分からない、聞いてみたいが、如何せん怖い。
バンダナが作る薄い影のせいで更に目付きの悪さを強調させていた。
私は話し掛けるのを諦めて廊下の方を眺める。
暫く眺めていると前方から、おい、と声を掛けられた。
勿論私に話し掛けたのは"ひとし"か"いちし"か分からない男子で、私は少しだけ間をおいて、小さく。何…?と聞き返した。
その男子は相変わらず鋭い目付きで私を見ている。
数秒間ばかり見た後、男子はゆっくりと口を開いた。
「お前、関西の奴や無いやろ。」
「え、」
「何や、誰とも話そうとしいひんし。」
「あ、ぅ…。」
「何やねん。日本語喋れや。」
「ご、めん、」
「何で謝ってんねん。」
私はその男子の勢いに負けて、ついつい謝ってしまった。
男子は心底不機嫌そうな顔をしながらも、また私に話し掛ける。
「どっから来たんや。」
「…県外から。」
「…まぁ、良えわ。なら、何で此方に転校して来てん。」
「…い、色々、有りまして…。」
何故此方に来たのか、その質問にだけ吃ったからなのかそれとも私の受け答えが極端に下手だったのか分からないが、男子は「ま、世の中何があるか分からへんからな、と云いながら頬をポリポリと掻いた。(もしかしたら、この人怖い人じゃないかも知れない)
そんな事を考えながら、ひとし君(分からないから取り敢えず)を見ると、ばつが悪そうに目を泳がせてふいっと目をそらされた。
何か変な事したかなと思いひとし君をまた、じっと見る。
そしたらひとし君は、私の目を自分の手で押さえた。
少しだけ指の間から光が入るが殆ど真っ暗だ。
私がひとし君の手をぺたぺたと触るとひとし君は小さい声で、あんま見んなや、と呟いた。
指の間から少しだけ見えたひとし君の顔はほんのり赤く染まって見えたけど私の勘違いかも知れない、私が抵抗しないので、ひとし君は暫く手を退けてくれなかった。
抵抗するのが面倒なのも有ったけど、何となくひとし君の手が気持ち良くて退かすのが少しばかり勿体無かったから敢えて何もしなかった。
私がひとし君の手に目を細めていると急に視界が明るくなる。
幾ら光が漏れていたとはいえ、目が少し痛かった。
ごしごしと制服の袖で目を擦っているとひとし君の手が、またにゅっと伸びてきた。
私は咄嗟に自分の手で自分の目を覆い隠す、流石に何回もされると目が疲れてしまう。
しかし、何時まで経ってもひとし君の目潰し(違うと思うけど)がこないので恐る恐る少しだけ指の間を開けてひとし君を見る。
すると、そこにはひとし君の手が差し出されていて、ひとし君の手をぽけーっと眺めているとひとし君は、お前も手出せや、と云いながら私の手をとって自分の手と繋がせた。
私が訳が分からずに首を傾げていると、ひとし君は面倒臭そうに云った。
「俺がお前の此方で初めての友達になったるわ。」
「友達…?」
そう聞き返すと、せや、と少しだけ笑いながら返した。
そんなひとし君の表情にちょっとだけ胸が高鳴る。
私は、只重ねていた手に少しばかり力を入れる。
するとひとし君は「これから宜しゅう。」とさっきとはうってかわって無愛想な感じで云った。
私も慌てて「宜しく、」と返した。
「そういえば、名前聞いてなかったわ。」
「あ…、名字。名字名前、です。」
「ふーん…。名前か。俺は一氏ユウジや。そっちも名前で呼びや。」
「名、前…!?」
ひとし君改めて一氏君は一人でどんどん話を進めていく。
私は兎に角頷くしか出来なかった、だけど、そんなのも良いかも知れないと思った。
ピンポンパンポーン
「新入生の皆さん、今日は御入学誠におめでとう御座います。只今より新入生歓迎会を致しますので、新入生の方は体育館まで移動して下さい。」
校内放送を聞いた一氏君は、ガタンっと席を立ち上がりすたすたと教室を出ていく。
私も行こうかな、と思いゆるゆると立ち上がると後ろのドアから、早せえや、と声がした。
勿論その声は一氏君のもので、私は急いで一氏君についていった。
私の神様はまだいない、けど、新しく始まる生活の中で大切な神様を見付けられそうなそんな予感がした。
(自分鈍いな。もうちょっときびきび動けへんのか?)
(ご、ごめんなさ、うぎゃっ!)
(何で何にもない所で転けんねん…。)
2011/11/12