掌編集 | ナノ



穢れなくたおやかに


廊下を歩く音はいやに神経質に響いた。

ぐるぐると、体の中の人と異なる何かが蠢いている。猛禽類や猛獣の徘徊、或いはとぐろを巻くものが己の尾を飲み込もうとしているような、奇妙な高揚と絶望。

結論から言って――全てにおいて瑕、綻びの糸端など欠片も見当たらないと信仰したあの人は、その実ただの愛を振りまきたい莫迦だった。

自分が犠牲になってきたと思い込んで、献身的とは何かを定めきって、あまつさえ私にその何たるかを訓え、"阿久沢聡美というおんな"の定義をしたくせ、簡単に愛に裏切られて死んで逝った。

まだ動いているあの体の中にもはや、私の崇めたうつくしい精神など欠片も宿ってあるものか。

ええ、当然、私よりも全てに優れていた、その点だけは譲れない。
今、脳の檻に暴れ狂う全てを、常時に放つことなく形の上で閉じ込めておけるのは、紛れもなく彼の人の功績だ。

だからこそ、あのうつくしかったひとよりももっと私が執着するに足る誰かを探さなくてはならない。

そうでなければ私、人から外れてしまう。

ただでさえ、全てにおいて劣っているのに!
誰かを探さなければ、そう、完璧で絶対で辿り着けない高みに存在する、そんな、気高き超人を――


「××××」


さらりと耳に、蕩けるドラッグを流し込まれた。
確かに薬だ、俺の見立てに間違いがあるかよ。及第点は超えている、その声を出せ台詞を吐けるなら脳は良い、気になるのは立ち振る舞いだ。

視認したのは、やわらかい笑みと纏う群れ、それから怖じのない姿勢。

今、私の求めていたもの、全てだ。

震える呼吸、歓喜の波にじわりと浸って、快哉を上げるのを堪える。

嗚呼――そうだ。
あんな人を、私は希っていたのじゃないか!


頭の中で暴れ狂う化け物たちを抑えながら、踵をそろえてくるりと背を向けた。
名前は拾った。
あとは調べればわかるだろう。
そう、だってこれから、ずっとずっとずっとそばにいるのに、今のこんなボロボロの私でお目を頂くわけにはいかないから。

せめて共通の趣味くらい、なにか持って、それであの人の前に現れなくちゃ。
そばにいる許しを乞うて、誠心誠意仕えなきゃ。

私は執着しようと決めたんだから、その程度、できて当たり前、そうだものね。

ああ、衝動が膨れ上がっていく!
ええ、これは執着したいというその気持ち。


決して――決して、卑しい私は、彼の人に、勝らないのだから。

参加企画 hunter 阿久沢聡美






prev :: next もどる