不動は、鬼道の居るサークルと掛け持ちでサッカー部に所属することになった。春の間に入部したそうだ。その事について鬼道が知ったのは、たった今である。
「――で、この間見学に来て、そのまま入ることになった」
そう言って、豪快に麺を啜る源田。源田は他大学の学生だが、今日はたまたま鬼道の大学に顔を出す用事があり、そのついでに会おうということになったのだ。
「あいつにしては随分あっさり決めたな」
「ずっと勧誘してたからな」
「…連絡を取り合っていたのか?」
「ん?あぁ、会うたびに鬼道の事を聞かれたぞ。メールぐらいしてやればよかったのに」
苦笑しながら言う源田に対して、鬼道はいささかショックを受けた。目の前の旧友は、べらべらと余計な事を喋る男ではない。ただ単に、鬼道が聞いてこないから言わなかっただけなのである。それはわかっているが、どうしてもわだかまりの様なものが頭をもたげ、鬼道は手元の食事に視線を落とした。
「あいつ、結構本気でサッカーやりたいみたいなんだ。高校では勉強漬けで部活も出来なかったし。まぁ、自主トレ続けてたおかげで衰えはさほどないが。うちのチームにとって、かなりの戦力になるんじゃないかと期待してるんだ。」
「…そうか」
「次の試合では一年生でスタメン出場の噂もある。凄いだろ?」
「その時には応援しに行く」
よっぽど不動とプレイ出来るのが楽しみなのか、源田は満面の笑みで頷いた。残酷な笑顔だ。鬼道は御曹司の役割を果たそうとサッカーへの想いを封印し、もう彼らとは無縁の世界で生きているというのに。
みるみるうちに減っていく源田のラーメンを一瞥してから、鬼道は窓の外へと目をやった。その眩しさに、思わず目を細める。

太陽は我関せずといった調子でアスファルトを照り付け、空は憎いほどの快晴。
しかし、鬼道の胸中は雨曇りであった。













電車に揺られながら、不動は軽く瞼を閉じた。
眠気はあるのに、深い場所へグッと意識が沈む感覚は一向に訪れない。実は、鬼道と再会してからしばらく眠れない日々が続いている。いざ寝ようと布団に入っても息苦しさのあまり夜中に起きてしまうのだ。そろそろ睡眠薬に頼るしかねぇか、と小さく舌打ちをする。
光が遮られた世界で、不動は瞼の裏に映像を映し出していた。どんなに頭から追いやろうとしても、結局鬼道の事を考えている。想像以上に男らしく成長していた鬼道には、少しだけ影山の面影があった。自信に満ち溢れ、いよいよトップに立つ人間として磨きがかかってきたのだろう。エリートの素質を持ち、頂点に君臨すべく教育されてきた人間はやはり違う。

駅名がアナウンスされると同時に、ポケットの携帯が震えた。
思わず鬼道からかと緊張したが、相手は源田。期待してしまった己を自嘲してメールを開くと、内容は、飲みに行かないかというもの。しかし、最後の一文に「鬼道も一緒だ」と書かれているのを見て、不動は息が止まるかと思った。女々しいと言われても自分ではどうしようもない。一旦携帯電話を閉じて、電車が駅に到着するのを待った。ホームに降り立ってから、もう一度開き、電話をかける。源田の低い声が耳に届いた。
「―もしもし」
「俺」
「どうした不動」
「何時に集合?今日5時までバイトなんだけど」
「じゃぁ6時にこの間行った沖縄料理店でどうだ」
「…鬼道、来んの」
「あぁ。授業が終わり次第来ると言っていた」
「わかった。行く」
あとでな、と優しい声色の余韻を残して電話は切れた。
源田は、この数年間で不動にとって無くてはならない存在になっていた。受験生の不動を支え、サッカーへの情熱を絶やさぬよう応援し続けてくれたのは他でもない源田である。不動が勉強で煮詰まると決まってメールをしてきたし、長期休暇に入れば、暇だからと言いつつ地方まで会いに来た。時々佐久間も一緒に来たが、3人揃うと日がな一日サッカーばかりしていたのを覚えている。俺なんかには勿体ない程いい奴だよな…と思いつつ、不動はバイト先へと急いだ。


仕事が終わり、源田が贔屓にしている店に着くと、鬼道と源田の二人はすでにドリンクを注文して待っていた。ぶんぶん手を振って存在を示す源田の横で、鬼道は表情一つ変えずに座っている。
「お疲れ、不動」
「遅かったな」
労わりの言葉もなく遅刻をほのめかす鬼道に、不動はカチンときた。本人に悪気はないが、どうも皮肉ではないかと発言の裏を勘繰りたくなる言い回しをするのは昔と変わらない。久しぶりに味わう感覚である。鞄をぞんざいに投げ捨てて、ドカリと席に座った。
「どーも遅れてすみませんねぇ」
「機嫌が悪いな。何かあったのか」
「…だから、なんでそうやって偉そうなんだよアンタは」
「そう聞こえるだけだ。俺は別に自分が偉いとは思っていない」
「はいはい、鬼道先輩の言うとおりでございますー」
源田は微笑みを浮かべて二人を見守っていた。いそいそとメニューを不動の方に押しやりながら、嬉しそうに目を輝かせる。
「ほら、不動。何か飲み物頼めよ。せっかくこうして3人で会えたんだ、今日は喧嘩はナシだぞ」
源田のオーラに毒気を抜かれ、不動も素直にメニューを手に取った。それを見ていた鬼道は、喉に綿を詰め込まれたような心地になる。源田と不動の間に流れる空気は親友のそれで、ともすれば愛情に近いものを感じたのだ。
鬼道は留学中の話を、不動は浪人生時代の苦労話、源田はサッカーの動向を酒の肴にして大いに盛り上がった。夜9時を過ぎた所でお開きにしようと、会計をしに源田が席を立つ。その姿を目で追ってから、不動は勢いよくテーブルに額をぶつけて伸びた。びっくりした鬼道が顔を覗き込んで来る。
「おい、不動。寝るな。」
「……おー」
「またこれか…全くお前は。寝るなと言っているだろう」
「わーってる。けど、すげぇ眠ぃんだもん…」
「もん、じゃない。置いて行くぞ」
鬼道の傍は何故かよく寝れた。ふわりと香る鬼道の香水と体臭を、肺一杯に吸い込んで息を止める。このまま吐き出さずに居たらどうなるだろう。血液に溶けて体の一部になればいいのに。そんな事を考えながら面倒くさそうに身を起して、ため息をついた。
「鬼道はそんなことしねぇよ」
だろ?と目で問いかけてやると、鬼道は言葉に詰まる。これで会話は終了かと思いきや、何の前触れもなく、おもむろに口は開かれた。
「またサッカーを始めたらしいな」
「…おう」
「楽しいか」
楽しいと言えば、楽しい。だが、今の不動は些細な嘘でもつく気にはなれなかった。

「お前とプレイしてた頃が、人生で一番楽しかった。」

ぽつりと呟くと、鬼道の目が見開かれる。美しい朱色が揺れ、目玉ごとこぼれ落ちそうだった。
「俺だって変わろうと頑張ったんだぜ。思い出にしがみついたりしねぇで、新しくやりたいこと見つけないとダメだと思った。でも、やっぱサッカーが好きだし。馬鹿みたいに、またフィールドに立つ夢を見ちまった訳だ。」
ふ、と厭味ったらしく笑って見せたが、鬼道は真面目な顔を崩さない。ポーカーフェイスにも磨きがかかり、考えを読み取るのはほぼ不可能に思えた。不動は諦めて視線を外し、きらきらと輝く琉球ガラスのグラスを覗き込んだ。連日の不眠も相まって急激に眠気が襲ってくる。早く源田が戻ってくる事を願った。

「……馬鹿なんかじゃない」

テーブルに投げ出されていた不動の腕を軽く掴んで、鬼道はゆっくりと伝わるように話す。今度は、その声の真剣さに不動が驚く番だった。
「俺はもうサッカーを諦めたが、それでもまだ好きだ。お前が続けると言うなら、ずっと応援する。」
「…きど…」
「お前との繋がりを取り戻したみたいで、俺は嬉しい」
鬼道は切なげに微笑んだ。本当は、もう一度不動とサッカーがしたい。その想いはずっと前に仕舞い込んだはずなのに。
「好きな事を好きなだけやって、幸せになってくれ…頼む。」
それだけが鬼道の願いだった。何年経とうが、絶対に変わることのない願いだ。そこに自分が存在して居なくても構わない。男の自分では叶えられないこともわかっている。相手が誰であろうと、不動が幸せならそれで良かった。

掌に感じる不動の体温は、業火となって心臓を焦がす。

源田が戻ってくるまでの間、鬼道は手を離さなかった。



そして不動も、その手を振り払わなかったのである。








END


今回ちょっと長くなりましたが、源田登場の回でした。さぁ楽しい三角関係の時間だぜ…。でも源不には絶対なりません。
大人になればなるほど無駄に期待しなくなる半面、執着心が強くなったり、一定のものに対して諦めが悪くなる気がしますね。一度両想いになったノンケ二人が、別れた後もまだ好きなのに男同士だから一緒になれない…って書いてて凄い楽しいです。GOAL同様じわじわと距離が縮まっていく予定でございます。展開が遅くてすみません。

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2010/7/23