昔の夢を見た。

初めて体を繋げたあの日、俺はあいつの手を握り締めて“愛してる”と言った。その後も数回に渡って同じ言葉を伝え続けたが、最後まで不動が返してくれることはなかった。挙句の果てに、俺の留学が決まった時のセリフ。アメリカで金髪美女とよろしくやってこい、だと?ふざけるな。俺はお前さえ居れば…
だが、その時に縋りつかなかったのは俺だ。みっともなく地面にひれ伏して、別れないでくれと泣いて頼んでいたら、結果は違ったかもしれない。本当はその場で崩れ落ちそうだったのに、理解のあるフリをしてあいつを手放したのは、俺も潮時だと思っていたからだ。関係を清算し、友人に戻るには丁度いいタイミングだった。
俺たちは、後退出来ない地点に立たされていたのである。残された選択肢は、同性愛が発覚するリスクを背負いながら依存の関係を続けるか、無かったことにして道を断つか。互いの幸せを願うなら、未来を潰す可能性のある前者より、後者を選ぶのが妥当であった。身を引くのも愛だ。

しかし、夢の中で俺は前者を選んでいた。
不動の足元に蹲り、現実ではあり得ないほど咽び泣いて、何度も何度も別れたくないと懇願している。場所はエレベーターか何か。箱型の空間内には俺と不動だけが存在していた。あいつは黙って俺を見下ろしている。その口が奇妙に歪んで、ぽっかりと穴が開いた。



「お前、だれ」








春U







今朝の目覚めは、かつて無いほど最悪だった。
寝る直前に不動から届いたメールのせいではないかと思われる。内容は、俺の所属しているサークルを見学したいというものだった。サークルそのものは起業やビジネスに関する活動を中心としており、規模も大きく実績は確かだ。俺は顔を洗って支度をしてから、いつでも見学できる旨を伝えた。近いうち、もう一度不動に会えるのかと思うと妙にそわそわしてしまう。


メールを返したその日のうちに、不動はサークルに顔を出した。新入生の中でも慣れ合うような気配は見せず、腕組みをしてツンとしている。かと言って、和を乱すような事もしないのでクールさだけが際立っていた。それがまた好奇心をくすぐるのか、不動の周囲には女子が集まる。サークル活動後の歓迎会で、俺の彼女もしきりに質問してきた。
「凄いねあの子、中学の友達なんでしょ?彼女居るの?目茶苦茶カッコいいじゃん、でかした有人」
「別に俺は何もしていないが…」
「さっきちょっと話したんだけど、もうね、声がいいの。声がすごい渋くて―」
俺の言葉など一切聞こえていないのか、他の女子と騒ぎはじめる。仮にも彼女のくせに、俺の前で他の男を褒めそやすとはいい御身分である。そこで初めて気付いたが、不動はいわゆるイケメンという部類の人間らしい。確かに顔は整っているし、何といっても色気がある。遠巻きに観察していると、同期が不動の肩を抱いて話しかけているのが見えた。
「お前、不動明王だろ?もしかして中学でFFI出場した不動?」
「…はぁ。そうですけど。」
「やっぱな!鬼道の友達っていうからさ。俺、オンタイムで見てたぜ!友達んちで集まって観戦したもん。超すげぇマジで本物かよーあの鬼道と不動が揃うとかうちのサークルやばくね!」
実年齢では同い年だが、サークル内では先輩。そんな相手にも不動は敬語を使っている。その様子を見ながら、胸のあたりがジンとするのを感じた。


歓迎会がお開きとなり、俺と不動は連れ立って近くの公園へと足を運んだ。一緒に来ようとする女子に対して、不動が丁寧に断っている姿が印象的だった。昔なら何て言っただろう。来るなブスとか何とか言って、相手を憤慨させていたに違いない。酒の力もあってか、俺たちは気分が良かった。
「春奈が、木暮と旅行に行くと言い出してな」
「へえぇー!あいつら付き合ってんの」
「もう結構長い。俺が大学受験中に付き合い始めたから…2年か?一泊ならまだしも、一週間だぞ。しかも海外。あの二人だけで行けるとはとても思えん…」
たわいもない話をしながら、電灯の下にあるベンチに2人で腰かけた。向かいのベンチには泥酔したサラリーマンが横たわっている。一瞬会話が途切れ、不動は少し躊躇した後、伏し目がちに話し始めた。
「なぁ……俺、鬼道のこと忘れてなかったぜ」
「…そうか」
「どっかで会えると思ってた。会えたら何言おう、とか…でも、いざ会ってみると全部吹っ飛んじまって」
「その割には一切連絡してこなかったなお前」
「タイミング逃したんだよ。お前にもお前の生活があんだろ。そっちだって連絡して来なかった訳だし」
「それは…」
「俺なんか、人生の邪魔になるだけだって。お荷物になるぐらいなら別れた方がましだ。現にアンタは今、俺がいなくても十分楽しそうにやってる。結果オーライじゃねぇの」
突き放すような口調で答えてしまった俺に対して、不動も淡々と返してくる。それが逆に不動の本心を包み隠さず表しているようだった。言葉の端々から聞き取れる悲しい響きに、俺の心臓は締め付けられる。邪魔になるのが嫌だから別れたというのか。なら俺の気持ちはどうなる。
「安心しろよ、別にヨリ戻したいとか言わねぇからさ。」
みっともない真似はしない、そう言って不動は大きく欠伸をした。先程から口を効かない俺に焦れるでもなく、じっと黙っている。久しぶりの沈黙だった。付き合っていた頃も、こうして会話が途切れる事がよくあった気がする。
「ちょっと酔った…ねみぃ……」
「ここで寝るなよ。春とはいえ夜は冷える。風邪をひくぞ。」
「くく…ほんと真面目…きどうくん、変わってねぇなぁ…」
不動の笑い声は、酒のせいで少し掠れていた。目をこすって起きようとするのだが、ついに項垂れて船を漕ぎ出してしまう。俺はその肩を掴んで、軽く揺すった。互いの体が密着し、不動はぼんやりと目を開く。
「ぁー…この、におい……」
それだけ言うと、本格的に眠りの世界へ沈んで行ってしまった。歓迎会の時点で、既にかなり眠かったのかもしれない。不動は他人の傍で眠る事を極端に嫌う。ただ一人俺を除いて。
「不動、起きろ」
「ん…さんじゅ、ぷん……」
「ったく…30分したら叩き起こすからな。いいな、わかったか。」
念を押すと、小さく頷いてすうすうと寝息を立て始めた。
ゆっくりと不動をベンチに横たえて、俺は端に腰かけた。不動のか細い吐息が聞こえ、懐かしい匂いが広がる。酒臭い口臭にげんなりするどころか体中が疼くのを感じた。今まで付き合った女に対して、こんなにも喉の渇きを覚えた事はない。曝け出された細い首筋に噛みついてやったらどうなるだろう。傍の草むらに押し倒して、嫌がろうとも無理やりに蹂躙すればもう一度俺のもとへ帰ってきてくれるんじゃないか。酒で朦朧としている今なら…。
「バカか俺は…」
声に出して言うと、さらに自分の愚かさを自覚する。物騒極まりない考えを吹き飛ばすため、大きく深呼吸をして理性を総動員した。そんな事をしたら俺は犯罪者だ。不動は俺の恋人ではない。その事実に打ちのめされながら、ベンチに横たわる不動に自分の上着をかけてやった。

その時、左耳のピアスに気が付いた。
先日、大学キャンパスで会った時にもきらりと光った深緑のシンプルなデザインのピアス。何故か違和感を感じて、しばらく考えにふける。すると一つの記憶にぶち当たり、俺は心拍数がぐんと上昇するのを感じた。何故今の今まで忘れていたのか。それは、中学3年生の別れ際に、俺がプレゼントしたものだ。
ヨリを戻す気などないと言ったくせに。
4年経った今でも俺が贈ったプレゼントを大切にしているのは何故だ。
その答えを聞いてしまったら、今まで築き上げてきた“普通”の生活が崩壊するのはわかっている。けれども、問い質したくてたまらない。
不動の前髪に触れて、そっと撫でる。頭がおかしくなりそうだ。

湧きあがる衝動を発散させるため、強く目を閉じた。





不動、お前の存在は 俺を 狂わせる。









END




年を重ねた鬼道は、昔よりも経験値が高い上に、欲望に忠実でサディスティックだといい(笑)彼女も居るのに不動に手を出すなんて人でなし!って感じですが、不動を大事にしたい、幸せになって欲しいという思いはGOAL時代と変わりません。せっかく不動を忘れて、彼女作って普通の生活をしていたのに、急に戻ってこられても鬼道だって辛い…っていう話でした。


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2010/7/16