ウィル・オ・ウィスプの談


  現代における「ハロウィン」とは、信仰や生活様式などによって大小の違いが生まれるものだが、統一されたイメージとしては「子供が様々な仮装をし、地域の大人達からお菓子を貰う」行事である。
 このような習慣が爆発的に広まったのは19世紀のアメリカとされている。キリスト教の祭りとしては設定されておらず、またケルトの祭事が基というのも、現在のケルト人が2000年前の名前を同じくする民族の血を引いていない事実から微妙なところではある。とにかくイギリスにハロウィンの習慣はない。


『なあジョナサン、この記事を見たまえ』
 朝のジョースター邸。部屋の窓から日のささやかな光が降り注ぐのを夜のランプ代わりに、ナマエはロンドン・タイムズの高級紙を捲っていた。
「すまない兄さん、昨日の研究で思い付いたことをメモに纏めている最中で」
『なら題を読み上げよう。

 “ロンドン近郊にてウィル・オ・ウィスプの幽霊現る”』

 体躯と比べて小さく見えるメモ帳に一心不乱に書き込んでいたジョナサンは、好奇心をそそられるタイトルに思わず顔を上げた。ナマエは更に、新聞の活字をこう読み上げる。
『“10月31日深夜23時半、○○番街にある「赤毛の馬亭」亭主ガス・バッカスは表通りから聞こえた悲鳴に勇敢にも店の外へ飛び出した。通りに人影はなかったが南の方角からライトを持って歩く影を発見、呼び止めようとしたところ深くフードを被ったその女性は死んだ妻に瓜二つで……”なんだこの記事は? 小説なら別の雑誌に書いてくれよ』
 表情の読めない顔で紙面を叩く兄に、それでもジョナサンはわくわくと子供のように声を弾ませる。
「けれどそんなに大きく新聞に乗ったんなら、とてつもない大事件じゃあないか」
『嬉しそうだねジョナサン。気になるかい?』
 頷く弟の顔は朝日に照らされ、ナマエはそれがいっそう眩しく思えた。



 その日の昼間に立ち込めた曇り空が、夜の闇でいっそう重苦しくなった。
 ジョースター邸の正面で動く人影は三人。外套を羽織り鹿討帽を被ったジョナサン、ポークパイのナマエ、羽飾りをつけたコートのディオ。
『……ディオ君。何故キミはここに?』
 心底吐きそうなのを堪えて問う。答えたのはディオではなく、
「僕が誘ったんだ。深夜の幽霊探し、とても面白そうだろう?」
『……あ、そう……』


 さ迷う亡霊ウィルは生前堕落した人生を送っていたがゆえに、死後天国の門の番人に地獄行きを通達される。しかし彼は言葉巧みに番人を騙し再び人間としての人生を送るが、そこでも悪行の数々を侵したため、罰として天国にも地獄にも行けずカブのランタンを持って今もこの世を徘徊している。
「馬鹿馬鹿しい。現代のイギリスにそんなものが彷徨いていたら、近隣の住民が通報して警察が逮捕しているだろう」
『法律家らしいジョークだ』
 真顔で軽口を叩き合う義兄弟はいっそ幽霊より不気味だ。

 問題の宿場はすぐに見つかった。新聞を読んだ人が押し掛けたのか、はたまた亭主の徳のお陰か、一階の酒場は大盛況だ。秋の夜で冷えた体を暖めるため、三人はカウンターに座り酒と軽食を注文した。
『亭主、ひとつお聞きしたいのだが』
「ああはい、件の幽霊騒ぎでございましょう」
 話し飽きたとでも言うように疲れ果てた髭の男。目の下に隈がある。
「あれのことはもうお忘れなさい、旦那がた」
「ど、どうしてですか? 幽霊が何か……」
「おい、説明しろ。新聞にもあんたの証言が載っているんだぜ」
 ジョナサンがやんわりと、ディオは今にも掴みかからんばかりの剣幕で問い詰めると、心底辛そうに彼は話した。
「悲鳴は無かったし、私が見たのは酒の幻覚だ。もう亡くなった妻の魂を安らかに眠らせたいんだ……」 
 こう言われてしまっては引き下がる他無い。実際彼らの心の内では愛する家内を亡くしたが為の妄想だったのかもしれないと考え始めていた。


 ──ッぎゃアアアアアアアアアァァァ────ッ!
『なんだ!?』
 カラスの断末魔のような女の声。ドアを振り返ったのは三人だけだった。
「兄さん、ディオ。今のは」
「ああ。亭主、代金だ。受けとれ」
「な、何ですかぁ? 急に……」


 鉄の輪っかのドアノブが軋んだ音を立て、バダンと急に開け放たれたためにドアは激しく蝶番を揺らす。酒場の中の明かりが道に広く照らされた。
「どっちから聞こえた?」
『南だ。新聞にもそう書いてあった』
 ナマエのいう通り、南の街道からコツリ、コツリ、と軽く規則的な足音が聞こえてきた。……ヒールよりもっと鈍い音だ。ほの明るいランタンを持っている。
 人影がすぐに姿を現した。肩幅が狭く、女のようだ。黒い外套とフードが彼女をすっぽりと覆っている。顔は暗くてよく見えない……しかし、
『懐かしい顔のような気がする』
「兄さん、彼女は幽霊だ。僕らに幽霊の友達はいないよ」
「ジョジョォ……そういう話ではないだろうが」
 しかし三人ともじっと彼女に釘付けだ。ドレスを着ているのか、街灯の裾はふんわりと広がっている。足元が見えないが、今もコツリ、コツリ、鈍い音を立てて歩いている。

 顔が見えた。
『「「母さん」」』
「母さん、母さんだ。おれの」
『僕の母さんだ。間違いない、馬車で最後に見た母さんの──』
 最初に気づいたのはジョナサンだった。彼は写真と肖像画でしか母の顔を見たことがないので、一番に目を覚ましたのだ。
「二人とも! 足を見てくれ!」
『母さん、』
「母さん……」
「いいから!」
 腕力に任せて彼らの視線を床に落とす。ディオから見れば売っぱらってしまったあのドレスの下は──ただの足の骨だった。靴よりも鈍く響く音を出していたのはこのせいだ。
「あいつ、どこであのドレスを」
『ディオ、私にはあれが母の着ていたドレスに見える。あれは亡霊の幻覚だ』
 もう一度顔を見て、彼らは仰天した。さっきまで母の顔があったそこには、ただの腐った土のついた頭蓋骨が居座っていたからだ。外套もただのぼろ切れだ。手に持っているのは別の……赤ん坊の頭蓋の中に何かが燃えていた。
 彼女、いや最早彼とも判別できないその亡霊は、三人をじっと見つめた。

 瞬きの一瞬、骸骨は消え失せた。ジョナサンはディオと顔を見合わせ、その後ナマエに視線を移した。

 ──あああーぅぅうーあうー…… ああぁぁー 
 微かに、ジョナサンの耳に子供の泣き声が聞こえた気がした。……ずっと前に聞いたような気がする。
『ジョナサン』
 兄の顔は、多分三人のなかでもいっそう青ざめていた。
『念願の幽霊は見られたんだ。もう帰ろう』
「僕も賛成だ」
 ディオも珍しく弱っていたようだった。……父のジョージから話は聞いていたが、ディオも早くに母親を亡くしている。顔色も悪くなるはずだ。

「帰ろう、ジョースター邸へ」
 






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