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花の君


※似非大正浪漫注意



 桜の散る校門の前に一人佇む。
 視線はこの日のために新調した鼻緒。
 どこか落ち着かない気持ちで幾度も鏡を確認する。
 黄桃の色の大きなリボンは、あの人に少しでも意識されたいから。

「やあ、……待たせてしまったかな」
 待ち望んだ心地良い低音に顔を上げれば、焦がれていた彼が緩く微笑んでいた。
 
 花京院典明さん、彼はあたしの初恋の人。
 父様の仕事場に駄々をこねて無理矢理着いていった先で知り合った。
 
「いえ………今、来たところでしてよ」
「そ、そうかい?えっと……」
 恥ずかしくてお顔を拝見することは叶わないけれど、あたしと同じように林檎とそっくりの赤い頬をしているのかしら。そうだったらあたし、どれだけ嬉しいことか。口をもごもご動かして、言葉に詰まってしまっていると、典明さんが咳払いをエヘンとひとつして「行こうか」と仰ってくれた。なんて素敵なお声でしょう!

「え、ええ」
 薄紅色の何かが私の胸を占領してしまって、絞り出したのはたったの三文字。典明さんとお話しできるのは、学校の正門からあたしの家の前まで短い距離しかないというのに、お顔を見ようとするだけでも胸を打たれたように苦しくなる。彼があたしのようなあほんだら女のどこを気に入ってくれたのか、今だにとんと検討はつかないけれど、この桜が全て散ってしまう前に典明さんと……。

「………無理かしらん」
「えっ?ど、どうしたんだ?」
 鳩が豆鉄砲を食らったように彼がこちらを向いたのを、衣擦れの音で聞き取った。けれどあんまり急に話しかけられたので、一寸だけ声が裏返ってしまった。
「いっ!……いいえ、なんでもないのよ」
「そ……そうか」
 これきり典明さんはまた前を向いてしまったけれど、毎日典明さんのことで頭がいっぱいなあたしは、昨日よりも一言多く会話できたことに舞い上がった。

 


 典明さんと出会ったときの衝撃といったら、四歳のとき初めて父様に連れていって貰った銀座の大きいビルヂングよりも高く心臓が鳴っていた。

 男の兄弟がいないあたしの家では、あたしが結婚して婿を貰い受けるぐらいしか父様の事業を次ぐ方法しかない。鳥頭で作法もなかなか上達しない自分では、女手一つで会社を経営するのは無理だ。
 せめて仕事場がどんな雰囲気なのかってことでも知れたら未来の旦那様のお役に立てるかと、我が儘を通して同行した先で、調子に乗った成金の息子がちょっかいをかけてきた。……女学校の教師でもあたしの腕っぷしと足に負ける人はいなかったので、すぐさま米神にお見舞いしてやり、さっさとその場を離れようとして、前の角を曲がろうとしたときにぶつかったのが典明さんだった。
 
 後ろから追いかけてきていた阿呆な男共を、女の尻を追っかけている悪漢だと勘違いしなさったのか、私を自分の背に隠した彼は口八丁で彼らを怯えさせて(頭の悪いあたしには何を言っているのかさっぱりだったけれど)退散させてしまった。
「何もされていないだろうね」
 そう優しく労ってくれた赤毛の人に、今度こそあたしは惚れた。


「名前さん」
 昔に想いを馳せていたところに典明さんの音が耳にさわって、びくりと震えてしまった。
「すまない、何か……」
「あの、少し別のことに集中していて」
「そうか、それは悪いことをした」
 あまりに残念そうに彼がいうものだから、何も考えずに顔を上げて貴方のせいではないと否定しようとして、驚いた典明さんのまんまるな瞳とかち合う。
「あ」
「あ」
 歩くのも忘れて彼の紫色の目に魅入る。桜の散るのに合わせて一部だけ伸ばされた典明さんの前髪が、風に揺れる炎のように緩くなびくのがとても優美だ。
「…………」
「あ、あ、その」
 不躾にじろじろ視線を送ってしまっていた。閉まりの悪い口もそのままに典明さんに見惚れていたなんて、仮にも一企業の娘がはしたないったらありゃしない!両手で口元を抑えるふりして、彼から見えないように熱をもった顔を覆った。
 どうしよう、行儀の悪い女だと罵られるかもしれない。いいや典明さんは優しい人だから、口には出さないけれどがっかりしたかもしれない。「ああ、僕は好きになる人を間違えたのかもしれない」なんて考えていたらどうしよう!


「……ああ、もうすぐ貴女のとこの邸だ」
「えっ」
 目の前に見知った形の鉄門があらわれた。あそこまでこの体を運んでしまえば、もう今日に典明さんと話せる時間はない。なんてこと、まだ彼に気持ちを伝えてさえいないのに。それどころか今日のあたしはこのざまだ。明日からも典明さんと一緒に歩くこともなくなってしまうのではないか?

 ……ああ、そうこうするうちに着いてしまった。
「典明さん」
 一縷の望みをかけて彼の名を口にする。
「明日も、きっと来てくださいませね」
 優しい彼はああ、きっと、と言ってくださるだろう。それだけでいい。その言葉さえ聞けたら、内心彼がどう思っていようとあたしは幸せだ。
「……明日も、桜の花は散っていないだろうか」
「ええ、勿論」
「ならば……そのリボンをまた付けて待っていてくれるかな。桜ん坊は僕の好きな果物なんだ」
 顔を上げる。確かに今日付けてきていたリボンは桜の実をつけたそれの色だ。黄桃、つまり桜ん坊は彼の好物らしい。それを聞いて胸の中で何かが弾けたように嬉しさが込み上げた。

「はいっ、きっと!あたしも好きだから!」
 彼は細い目を猫のように丸くして、それから頬っぺたを真っ赤にして笑った。







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