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空条承太郎と元・本の虫


 うちの学校の図書館は学内一、人が来ないことで有名だ。
 隣の校舎に日光を遮られて薄暗い室内に、カラカラに乾いてワックスの剥がれた机、椅子、天井まである本棚。窓を全開にしても拭いきれない埃と古本の化学物質の匂い。結構好きだ。
 特別教室の多い棟、二階と三階の踊り場に隣接しているのも人が来ない要因だ。ほとんどの生徒は華々しい高校生活を、この墓地のように奇妙な静けさを持つ場所とは無縁に過ごしていくに違いない。
 
 僕はそんな忘れ去られた図書室に三年も勤務している。

「……おい」
「はいはい」
 耳に心地いい低音がしんと響く。
 空条承太郎、17歳、うちの生徒。装身具を身に付けなくともモデル並みにギラギラしている彼は意外なことに、大型船などの機械工学や電子工学の本に興味があるようだ。この前は一緒に『星の王子さま』も借りていた。
 どんな本を読もうが当人の勝手なのだが、彼のような長ランに鎖なんて見るからに本を傷つけそうな生徒がうちを利用するなんて。人は見かけによらぬものだ。

「『モーター力学の歴史』、『コンピュータの一般化〜その変遷〜』、それと『家庭でできる機械修理』の三冊ね……」

 尖らせた鉛筆を貸出用紙に押し付けて本の名前を書いていく。よく字が汚すぎて読めないと言われるが、図書関係の書類なんて僕か真面目に来てくれる委員会の子ぐらいしか目にしないのだし別にいいだろう。廊下に張ってある僕のお薦め図書の書かれたB紙だって、司書の仕事だというからやったのであって誰も見てくれない。

「はい、あとは君のサインだけね」
 くるりと鉛筆ごと用紙を彼に向ける。空条くんは薄いその紙を手にとって見て、
「相変わらずテメーの字は人に読ませられる字じゃあねえな」
と眉を歪めた。
「そこまで酷いか?」
「とても図書館司書の字とは思えねーぜ。生徒も理解できる言語で書きな」
「本当に空条くんは手厳しいぜ」
 そんな彼もあまり達筆では無いということを僕は知っている。
 規格外にデカい体を折り曲げてちまちまと黒鉛を紙に押し当てる作業は、想像以上に腰がやられそうだなと別のことを考える。彼専用の椅子と机の必要性を考えたこともあるが、一人の生徒のためにそこまでするのは面倒だ。ダメ教師と罵ってくれてもいい。

「そういやてめー、ここの生徒だったのか」
 返された書類と共にそんな疑問を吹っ掛けられた。
「そうだ。どうして分かったんだ」
 男子生徒は黙って本の裏の見返しを開いた。先程彼が借りた本の一冊で、半分に切って貼り付けられた封筒の中に、借りた人の名前を書く小さなカードが差し込んである。そのカードの一番上に、我ながらクソのような字で“名前”と記されていた。
「なんて読むのかさっぱりだが、この潰れた羽虫とそっくりな黒文字は間違いねえ。観察する必要もなかったぜ…………」
「なんだそのノリ」
 にやり、と笑えば年相応になる彼はさながら推理小説の探偵役のようだ。
「随分前に似た筆跡の文字がおれの借りる本全てのカードに書かれているのに気づいてな。工学系だったのか?」
「そうじゃあない。活字中毒って言うんだろーか、とにかく読めれば何でも良いタイプでね。ここの蔵書が大きく替わってなけりゃあ200冊は読んでいるぜ」
「そりゃたまげた」
 楽しげに話している僕達を咎める者はここにはいない。寄り付くこの生徒が相当変わり者なのだろう、僕の名前を発見するほど暇を持て余して図書室に来るなんてよっぽどだ。

「そんなに本が好きなら、今の仕事は天職だろうな」
「あー……でも思ったよりやりがい無いぜ。今時の高校生は小説より漫画の方がお好きのようで」
 皮肉を込めて恨み言を吐く。推薦図書だとか有名な文豪の新装丁だとかはとどのつまり活字好きに向けての情報であって、興味の無い層を引き込めるのはドラマ映えなどする一部の大衆小説だけだ。それでも面白いものはあるし、読めれば良い僕はそういう軽めのものはさらっと行けて好きだ。また話が逸れた。
「せめて本に関係した仕事に就けたら良かったんだけど、もう教諭で三年だし……世知辛れーったらありゃしねえ」
「大人の事情ってやつだな」
「あーっ校長には言わんでくれよ!今職無くなったら死ぬ」
「誰が言うかそんなくだらねー事」
「ひでえ!」
 からからと笑う僕に、空条くんは文句もなしに耳を貸してくれる。穏やかな笑みはまるで親しい友人に向けられるもののようで、僕も教師と生徒の関係であっても、彼とは腐れ縁のような友情を感じている。

「なあ、卒業したらここに来いよ。処分用って偽って一冊やるから」
「それは教師として良いのか」
「僕も前の司書さんにそうして貰ったんだよ。あれはマジに古くて廃棄行きのだったけど」
「この不良教諭が。いいぜ、てめーの電話番号つきなら考えてやる」
「おうよ、それぐらい卒業祝いでくれてやる」
 空条くんは帽子の下の秀麗な顔を悪人面に歪めて、三冊の貸出図書を手に取った。

「二週間後までに返却お願いしまーす」
「おうよ」
 本を抱えた腕と反対の手で一時の別れの挨拶をひらりと交わしあって、白木の引き戸が閉じられたっきりこの部屋には静寂が訪れた。
 しばらく微動だにしなかった僕は、肺の中の息を大きく吐いてすうっと鼻から空気を取り入れた。室内が埃っぽいのは変わらないが清々しい気分だった。 



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 リアルの教師の方々はここまで勤務態度は悪くないと思います。そして教職についてあまり調べずに書いています。もし学校の図書室にお勤めの方がいらっしゃいましたらごめんなさい。
 それと廃棄本は申し出のあった生徒にあげるのはOKだった気がします。たまに古本市を開いたりする学校もあるらしいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。







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