short | ナノ


▼ 生涯重なることのないあなたとぼくの唇について

※喫煙表現が苦手な方はご注意ください





火にかけたフライパンの中の適当に切り分けた野菜と肉を箸で混ぜながら、いい具合に焼けてきたのを確認して火を止める。棚から皿を取り出してフライパンから移していくけど、色どりとか綺麗な盛り付けとかを意識したわけでもないからなんとも地味なものが出来上がってしまった。男の料理なんてこんなもんだろう。彼女もそんなこと気にしたりしないから別にいい。窓辺に腰掛け咥えた煙草から白い煙を燻らせるその人に食べさせるため、湯気の立つ皿を持ち台所を出た。


「あるもので作ったからこれしか出来なかった」

「全然いいよ、ありがと」


おいしそう、と口元を緩めた彼女は最後に一回煙草を咥え煙を吐き出し灰皿にそれを押し付けた。この人がここに来た時には空っぽだった灰皿の中には既にフィルターの部分だけが小さく残ったものが数本入っていてヘビースモーカーぶりを露呈させている。禁煙すればいいのにと前に言ったことがあったけど、本人はやめる気はさらさらないらしいしそれならせめて本数を減らせばいいのに。まぁ俺自身煙草を吸うわけでもないのに、彼女のためにこうやって灰皿を部屋に置いてあげちゃうんだから言えたもんじゃないけど。
過去に心から大好きだった人が吸っていた銘柄を、自分も試してみたくて吸い始めたのが今のニコチン中毒な彼女を作り上げたきっかけらしい。当初はその彼を忘れられなくて吸っていたけど、今はただ強烈な依存性から抜け出せないだけ。それを初めて聞いた時、俺は出会ってから色々知った彼女の非道徳的な生き方と貞操観念の緩さから、本気で人を好きになったことがある事にひどく驚いたし、そういう当たり前の感情をちゃんと持っている事に安心したことを覚えてる。だけど同時に、その人のことは愛せても俺のことは好きになってくれないんだなと悲しくもなった。気まぐれに俺の元に現れてまた気まぐれに去っていくこの人に俺はずっと恋をしている。


名前さんに初めて会ったのは繁華街の路地裏。大学の友達との飲み会帰り、大通りから一本入るだけでがらりと装いが変わるこの道にはそういったホテルやお店が立ち並んでいて、如何わしい店の看板の文字を目で追い、馬鹿みたいな名前の店ばっかりだなと苦笑しながら歩いていたら、通りがかったラブホテルの前で男と揉めていたのが名前さん。後になって聞いたけど、訳ありで関係を切った客にばったり遭遇してホテルに連れ込まれそうになっていたらしい。男は彼女の腕を掴み、彼女はそれを必死で振り解こうとしていた。事情も知らないし申し訳ないけど、目でも合って巻き込まれたら面倒だし関わらないようにしようと俯いて通り過ぎようとした時「離して、!」と、逃げようにも抗えない彼女の拒否を訴える声を耳にした俺は気付けば二人に近付き、男の腕を掴んでいた。突然の第三者の加入に驚いて開かれた男の血走った目は物凄く恐怖を覚えるものだった。こいつめちゃくちゃやばい奴だ、と。腕を掴んだはいいけど、こういう修羅場みたいなものに自ら首を突っ込んだ経験もなかったし、『どうしよう何か言った方がいいのか』と考えていると憤怒する男は口汚い言葉を浴びせてくるが俺は冷静に何事かを言い返し、最終的には警察呼びますよ、と言うと男は丁寧に舌打ちを残して退散していった。
俺、意外と口が立つんだな、と非日常的な出来事がきっかけで気付いた自分の一面に感動してると彼女から頭を下げられ、お礼をしたいと言われたがそれを丁重に断り立ち去ろうとしたけど、不運続きの彼女は男に絡まれた事で終電を逃し、その場に名前さんを捨て置く事も出来ずに何故か俺は彼女を家に誘った。

始発が出る時間に帰ると言う彼女を大学生の一人暮らし特有のワンルームの狭い自宅に招き、ベッドを貸した俺は客人用の布団を床に敷きさっさと寝ようと思ったが、お礼をするという彼女がおもむろに服を脱ぎ出し焦ってそれを止めた。何故お礼のために服を脱ぐのかという質問に「こういうお礼の仕方しか知らない」と答えた彼女にこの世にはそういう生き方をしてきた人間もいるんだということを知った。謝意を示すために自分の身を明け渡すことしか方法を知らないなんて。無性にやるせなくなった俺はとにかくお礼なんていらないし、そう簡単に抱かせるようなことをしてはいけないと説いたけど、「そんなこと初めて言われた」と言う彼女は自分の身を捧げる対価に金を貰って生きていることを教えてくれた。男なんてそういうことしか考えていないと思っていた名前さんは俺を変な人だと言っていたけど、名前さんの方がもっと変だと思う。だけど、こういう生き方しか学べなかった彼女を単純にかわいそうだとも思った。
変に同情心の湧いた俺は、別に始発じゃなくてもいいからゆっくりしていけばいいということを伝え、次の日には朝ご飯まで振る舞った。俺の作った料理を食べた彼女は人に作ってもらったのは初めてだ、と言っていたけど、単に友達や彼氏から作ってもらったことはないということだとこの時は思っていた。別に凝った物を作ったわけでもないのに、おいしい、おいしい、と嬉しそうに食べるその笑顔がなんだか可愛くて、またいつでも食べにくればいいと俺が口走ったことで今の俺と名前さんの関係は出来上がった。

たまに顔を見せに来るようになった名前さんは、本当に暇な時に来る時もあれば仕事の後に来る時もあった。そういう時は、情事後の気だるさと男の匂いを身に纏っていて別世界にいることを実感したけど、俺の料理を食べる時の笑顔はいつも通り愛くるしくて安心したりもした。何回かこういった交流を繰り返していくうちに彼女のヘビースモーカーぶりを知り、ぽつぽつと今の生活を送ることになった経緯を話してくれるようにもなった。名前さんの過去の身の上話は想像を遥かに越えるもので、この時、本当の意味で手料理を食べたことがないことを知る。親の作った物も食べたことがなかったのだ。
そして、最初は同情心しか抱いていなかった俺も、徐々に彼女の危うさから引き立つ魅力に心を奪われていった。
身体を売るようなことをして欲しくないしまだ大学生で稼ぎがあるわけじゃないけど、彼女を幸せにしたくて、普通のことを教えてあげたくて、気持ちを伝えたことはあったけど、彼女はそれを受け入れてくれることはなかった。私にジミンは勿体無いって。告白を断られたんだし、もう二度とこの家に来てくれることはないだろうなと思ったけど後日名前さんは何も無かったかのように部屋を訪れて、呆気にとられたこともあった。本当に変なんだ名前さんは。






過去に思いをかせていると、彼女は地味な出来栄えの野菜炒めを前にしていただきます、と手を合わせた。箸を伸ばした彼女の手首に目を疑うものを見つけた俺は驚愕すると同時に咄嗟に掴んでしまったことでその手に握っていた箸が床に落ちる音がした。


「……な、に?どうしたの?」

「いいからちょっと見せて」


よく見えるように袖を捲ると、真っ白い手首を一周するように浮かぶ暗赤色の痕。痛々しくて眉間に皺が寄るのが分かる。確認したらもう片方の手首もひどい色をしていた。どうして今のいままで俺は気付かなかったんだろう。


「箸洗ってきてもいい?」


この状況で箸を気にするか普通。彼女からしてみれば、この手首に残る痕よりも飯を食べることが優先みたいだ。本当に自身に対して無頓着すぎる。眉間の皺がより深くなる俺に彼女は能天気にも怖い顔になってるよ、と指摘した。


「箸はあとで洗ってあげるからとりあえずこれ冷やさないと」


そう言って立ち上がり冷凍庫から保冷剤を出してタオルに包み、再び彼女のところへ戻って手首に当てた。
ちょっと冷やしたくらいじゃすぐに消えてくれたりはしないだろうな。


「どうしたの、これ」

「今日の相手が縛りたいって言うからじゃあどうぞって」

「縛らせたの?」

「うん」


ちゃんと追加料金貰ったよ、と弁解してくるけどそういうことじゃないだろと思ったが本人に言っても多分理解してくれないだろうし言わないでおく。
手首に残された痕が、この人を抱いた顔も想像出来ない男の存在を主張して腹の底が燃えるように熱くなってくる。こんなの消えちまえ、と上から重なるように彼女の手首を強く握ってみるけど、あまりの細さにこれ以上力を入れたら折れてしまうんじゃないかと怖くなり力を緩める。俺もこの手首を縛り付けて彼女が何処へも行けないようにしてしまえばいちいち嫉妬をすることもなくなるんだろうか。そもそも今の仕事をやめてくれない限り嫉妬は底をつかないんだけど。その内首を締めさせてくれと言われでもしたら躊躇いもなく締めさせそうだなと心配になってくる。


「いつまで続けるのこんなこと」


無数の男に抱かれてもなお、純粋さを感じさせる彼女の瞳をまっすぐに見つめる。その純粋さはきっと、無知故に自分の生き方は間違っていないのだという確信からくるものなんだろう。俺の質問に、微笑むように口角を緩く上げて彼女は「いつまでなんて分かんない」と答えた。


「知らない人に抱かれてるとね息が楽になるの」

「……らく?」

「そう、かわいい、好きって嘘を言われてた方がいいの」

「どうして?」

「本当はそう思ってないって分かるから。本当にそう言われたってどうすればいいか分からないもん」

「俺は本当に名前さんが好きだよ」


大好きだって言ってるのに。俺の気持ちだって嘘だと思ってるのか。悔しくて拳を握り締めると、彼女は悲しそうに笑顔を浮かべた。


「私もジミンのこと大好きだよ」

「じゃあなんで、」

「ジミンに好きだって言われると苦しくなっちゃうの。私にはジミンがきらきらしすぎて手に負えない」

「……」

「だけど会えなくなるのはいやだから、嫌いにならないで」

「……ずるいっ、」


ずるくてごめんね、とまた眉を下げて笑う彼女の肩を衝動的に押し床に背中をつかせて未だに痛々しい色をする手首を頭上で固定する。散らばった暗めの茶色い髪から彼女の瞳に視線を移すと、困惑や恐怖といった感情は全く浮かんでおらず、この行為を甘んじて受け入れようとしている。
俺がこの人を抱いたことは一度だってない。関係を持った事がある男達が皆知っていること、彼女が行為中どんな声で鳴くのかも、どんな表情をするのかも、俺は何ひとつ知らないんだ。今だって押し倒したはいいけど、そいつらと同じことを知りたいのに、同じようにはなりたくなくてこの唇を割って舌を突っ込んでやることさえ出来ない。項垂れて彼女の首筋に鼻を埋めると男を誘う甘い匂いがした。


「……ほんと、ずるいよ」


俺が発した声は僅かに震えていてまるで泣いているみたいだった。名前さんは幸せになるのが怖くて、愛の言葉を素直に受け取る術だって知らない。そんなどうしようもないこの人のことが大好きで仕方ない俺はもうどうしたって抜け出せないくらい沼の奥深くまで沈んでしまっていて這い上がる気さえも起きず、これからもずっとこんな不毛な日々を二人で繰り返していくんだ。





title:青春



prev / next

[ back to top ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -