さらさらと、先刻から結わえた髪をすき続ける指先。下の方を結っていたリボンは既に、ひとつ奪われてしまった。
セッツァーは何も言わず、ただただエドガーの髪に触れ続けている。

もう夜半を過ぎようとしていた。
エドガーは机に向かって書類の処理をしており、その椅子の背にやや寄り掛かるようにして、セッツァーが立っている。
彼は右手で金糸を弄び、左手では青のリボンを持ったままワイングラスを口に運ぶ。なにも言わずに。いや、彼の言いたいことは、エドガーは十分承知しているのだけれど。

「わかったよ」
ペンを置き、負けた、というように両手をあげると、後ろから満足そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。
書類を片付けてエドガーが立ち上がると、セッツァーはすたすたと窓辺に歩き寄ってしまう。仕方がないので机に置いてあったもうひとつのグラスを手にとり、その後を追った。
「なんの用だい」
こちらの問いに答える気はないらしいセッツァーは、見てみろと一言、顎で窓をさす。
いぶかしみつつ、飛空艇の丸窓から外を覗いた。

「綺麗だ…」
そこには、そう思わず呟いてしまうような美しい夜景が、広がっていた。
「奥に見えるのがオペラ劇場だ」
そういえばジドールの近くにとめると言っていた。昔は夜景など珍しくもなかったが、今となってはすっかり貴重だ。大地が引き裂かれて以来、こんなに煌々と明かりが点っているのはこの辺りだけになっていた。
「他の連中は騒いでたぜ」
お前を待ってたら朝になっちまうからな、とセッツァーは窓の外を見ながら呟く。夕刻から食事時以外は書類に向かっていたので、景色が全く目に入らなかったのだ。
「外、出るか」
迷う余地はなかった。頷いて、グラスとボトルを持ち二人で甲板に出る。
もう春先なのに思ったよりも風が強く、そして冷たかった。リボンを一つ奪われたために、いつもよりまとまりのない髪の毛が好き勝手に揺れる。風に添って舞うセッツァーの銀髪。暗闇の中でぼんやりと浮かぶその色が、美しい、だなんて。

手すりにもたれ掛かり、並んで遠い光を見つめた。
「君にしては珍しいんじゃないか、こんな」
風景から目を逸らさずに問えば、セッツァーがちらりとこちらを見る。
「アンタには俺が見せとくって言っちまったからな」
エドガーが国務処理のため部屋に籠ったあと、甲板に出て皆で夜景を見たらしい。エドガーの邪魔は出来ないがこの景色は見せたいからと、リルムまでもが彼を待つと言う。しかし彼の作業はいつ終わるかわからない、おそらく遅くなるのだろう。
明日も早いから寝ろ、アイツには俺が見せておくから、と。セッツァーがそう言って、ようやく皆を解散させたのだ。
そして実際日付が変わってもまだ机に向かっていたエドガーを、セッツァーが半ば無理やりここへ連れてきたというわけだ。
「連中、後でうるさいからな。」

それに、二人きりになりたがってる輩もいたようだし。
その言葉に納得して、なるほどと頷く。ロックとセリスが微妙な距離をあけて並んでいる姿が浮かび、思わず微笑んだ。
「……これで隣にいるのがレディなら、本当に文句はないんだが」
「同感だ」
俺からするとロックは全くなってない。はぁと大きく嘆息すると、隣の男もくつくつと喉を鳴らす。
「さすがのロックも、口説き文句のひとつくらいは言えたんだろうな」
「怪しいもんだぜ」
互いに笑って、乾いた唇をワインで湿らせた。

数瞬の間の後、目をあわさぬままセッツァーが唇を開く。
「……アンタの金の髪は、暗闇の中でも綺麗だな」
思わず目を見開いて横を見れば、にやりと上がる口角。ロックの奴も、これくらいは言ったんだろうよ。そう、彼の言葉は続いた。
「おや、口説かれたのかと思ったよ」
肩をすくめてみせれば、セッツァーは声を出して笑う。口説いて欲しいか。遠慮しとく。くすくすと笑いあえば、なんだか愉快な気分になってくる。

「そういやフィガロじゃ、金髪碧眼が貴ばれるんだったか?」
笑いを含んだ声のままセッツァーがそう尋ねるものだから、なんだよ急に、とふきだしてしまった。
金の髪は砂漠の色。碧眼はその砂漠では貴重な水の色だ。
にやり口角を上げたまま、傷の走る顔が近付く。
「俺にとっちゃアンタの瞳は大空だ。金色は、その空に浮かぶ太陽ってところだな」
俺が帰るべき空の色。そしてそこに射す光の色。
そう言ってセッツァーは、エドガーから奪った青いリボンに恭しく口づけるのだ。
ただ、見上げてくる彼の瞳には悪戯っぽい色がひらめいている。もうその手には乗らないぞと言うかわりに、対女性用のとびっきりの微笑みを浮かべた。
「君の瞳は、夜明け前の空の色に似ているな。そして銀の髪はそこに浮かぶ月の色だ。危うくて、儚くて…それでいて、美しい」
傷跡をゆっくりとなぞる。一瞬アメジストの瞳が見開かれて、そして。

勢いよくふきだした。二人同時に。
「腹が捩れる!」
「これ以上笑わせるな!」
互いに顔を背け、声をあげて笑う。
「恐れ入るぜ色男さんよ」
「お前こそいつもあんなこと言ってるのか」
「アンタじゃあるまいし」
「失礼な、女性に挨拶するのは礼儀だろ」
なんだか無性に可笑しくて、肩を揺らし目に涙さえ浮かべて二人して笑った。

「はー疲れた」
「自分で言い出したんだろうに」
まったくこんな時間に、いい歳した野郎がなにやってるんだか。
グラスもボトルもとっくにあいていて、セッツァーは伸びをひとつ。景色に背を向け、甲板の手すりに背中を預けて両肘をのせる。そして空をあおぎ、あー、と意味のない声。

エドガーは体勢を変えず、それを横目に頬杖をつき、またくすくすと笑う。
「わかった気がするなぁ」
なにが。セッツァーが視線を青い瞳に戻した。
「レディの気持ちが」
なんだそりゃ、と呆れた声。それを聞き流して微笑む。
「だって、好きになりそうだ」
おまえのこと。
そう言ってキスをひとつ、彼の唇へ。
嘘つけ、と先程夜空に例えた目が楽しそうに細められる。
「とっくの昔に惚れてんだろうが」
返ってきたキスも、触れるだけの優しいもの。
「うん、そうだった」
「ばーか」
くすくす。今度は恋人同士の笑み。

笑い疲れた俺たちは、けれど、眠ることなど出来なくて、甲板で日の出を見ることになる。

その後揃って風邪をひき、女性陣に盛大に怒られることになるのだが、それはまた、別の話。



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