あの日。世界が引き裂かれた日。
ブラックジャック号も大破し、エドガーが目覚めたのは半年以上たってからだった。ニケアの女性が、重症を負って倒れていたエドガーを看病してくれていたのだ。
そこでフィガロが、砂中に閉じ込められていることを、知った。
目の前が真っ暗になるとは、ああいうことを言うのだろう。
国を守れずして、民を守れずして、何が王か。
ああそれでは私は何のために、今まで。

あの日に負った怪我のせいで、まだ動くことは出来なかった。今この瞬間にもフィガロの民は苦しんでいると思うと、歯痒さと焦燥だけがつのっていく。
はじめは目が冴えて全く寝付けず、次第に、眠るといつも同じ夢をみるようになった。城の、夢を。
皆が苦しんでいる。助けて、陛下、助けて、エドガー様、助けて。
待ってろ、今いくからと、そう叫んで手を伸ばすのに、足はその場から一歩も動かない。そうしているうちに、城は砂に押し潰されて、誰の声も聞こえなくなるのだ。叫びながら砂を掘る。すると、幼かった頃の弟の声がする。
残ったのは、兄貴ひとりだよ。もう、誰も助からないよ。

眠るのが怖くなった。しかしそれさえも、罪のように思えてならないのだ。フィガロの民の苦しみは、こんなものではないはずなのに、それなのに。私はあの日城にいることすらできず、惨状を知ってなお、どうすることもできない。
無力な自分を、ベッドの上でただひたすらに呪って過ごす。
死んでしまいたいと思った。国をこんな状態にしたのは私だ。例えそれが事故だとしても、私の責任なのだ。もう何度目かわからない吐き気を堪える。目眩がする。何度も何度も、押し潰されてしまいそうになった。

しかしこれは10年前、自ら選んだ道なのだ。
私は、フィガロを救わねばならない。なんとしても。それが私の使命だから。
フィガロに、フィガロの民に、この存在が必要とされている限り。
なんとしても、生きて、そして、必ず。




「神官長様!」
フィガロの衛兵が駆けてきた。おそらく、また何か問題が起きたのだろう。神官長は溜め息をつく。王が不在の今は、彼女や大臣が中心となって城を治めていた。
時計はあるが、なにぶん砂の中だ。朝も夜もわからず、身体に変調をきたす者は数多かった。そしてこの圧迫感、食糧の備蓄が減り、酸素が薄れてく先の見えない恐怖感。人々の精神はささくれだち、毎日小さな争いが絶えない。皆不安なのだ。
民のいさかいで怪我人が出たと報告する衛兵を下がらせ、彼女はまた溜め息を吐いた。
「しんかんちょうさま!」
「おや、プリシラ」
衛兵とすれ違うように、小さな少女が泣き声をあげながら駆けてくる。少女は神官長に抱きつくと、涙も拭わずに叫んだ。
「みんなひどいの!」
「なにか言われたの?」
神官長は腰を屈め、落ち着かせるように少女の頭を撫でた。彼女は目を擦りながら頷く。
「へいかは帰ってくるもん!帰ってくるって言ってたもん!」
プリシラは泣きながら、そう繰り返した。
おおかた大人たちの会話を聞いたのだろう。そうなのだ。フィガロが砂中に閉じ込められてもう半年以上が経つが、未だ国王は不在。
あの日。世界が引き裂かれた日。エドガー様がどうなされたのか、今は知る術がない。もちろん疑心暗鬼に陥る者もいる。彼は我々を見捨てたのではないか、と。
しかし彼らも、本心からそう言っているわけではない。不安なのだ。救済を信じられなければ、とっくに気が狂っているだろう。
エドガー様はきっと、生きていらっしゃる。そして、私たちを助けてくださる。陛下が城の外にいらっしゃるということは、私たちにとってたったひとつの、そして最後の希望だった。
フィガロの民は皆、そのたったひとつにすがって生きている。
「プリシラ、しっかりなさい。誰に何を言われても、あなたが思うことを信じれば良いのです」
「……おもうこと?」
赤く腫れた少女の瞳がこちらを見上げる。疑うことなど、考え付きもしないような瞳が。
「陛下は私たちを置いていくような人ですか?」
「ちがうよ!へいかはゼッタイ帰ってくるもん!」
少女の言葉に大きく頷いてみせる。
帰ってくる。エドガー様は必ず、帰ってきてくださる。幼い頃から彼らにお仕えしている私には、わかるのですよ。
「ええ。帰ってきますとも」
「そうよね。わたし、ずぅっと待ってる。へいかのこと待ってる!」
エドガー様は、私たちの希望です。でもそれはきっと、残酷なことなのでしょう。彼一人に全ての営みを、命を、心を、背負わせてしまう。
それでもあの子は、信じさせてくれるのです。
私たちに、笑ってみせるのですよ。
「さ、プリシラ。顔を洗ってらっしゃい。陛下がお帰りになったときそんな顔じゃ恥ずかしいわ」
「うん!」
少女の笑顔には、一点の曇りもないのだ。




「助けにいく…待ってろよ…」
呟きは、誰に聞かれることもなく空に消えた。
その言の葉は風となって、砂となって、きっとあの砂漠の地に。彼が愛してやまない人々の、もとへ。

そしてまた彼も、愛されているのだと。それは大地と、青い空が誰よりも知っている真実なのだということ。
届け、貴方に。私たちの、たったひとつの光に。
届け、さあ、貴方に。
愛している、と。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -