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職場体験が始まってから名前の声をあんまり聞いていないなと思っていた。
ヒーロー殺しが捕まった次の日、名前からメールが来た。
それを見て無性に声を聞きたくなってしまった俺は、何も考えずに名前に電話をかけていた。
けど、まさかこんなに名前の勘がいいなんて思いもしなかった。
公にできない情報だったとしても、名前に嘘はつきたくなかった。
気がついたら俺は大雑把ではあるがヒーロー殺しの事を名前に喋っていた。
不自然に切られた電話にまさかと思ったが、そのまさかで夕方頃勢いよく扉が開くとそこにいたのは名前だった。

「名前!?なんで…、」

「えっ苗字さん!?」

肩で息をしている名前は、俺を視界に捉えると真っ先に近づいてきた。

「名前、」

どうしてここにと聞きたい事は沢山出てきたが、それよりも名前の様子がおかしい。
言葉で表すのが難しいくらい、複雑な顔をしている。
授業が終わってからきたのだろうか?
学校から新幹線であまり時間がかからないとはいえ、多少金もかかっただろう。

…心配、してくれたのだろうか、
名前はいつもそうだったから、今日病院にきたのも心配してくれたのかもしれない。
息が切れている名前に急いで来てくれたのかと少し嬉しく思った。
しかし、その嬉しさは次の瞬間全て罪悪感という感情に塗り潰されてしまった。

「名前…っなんで、泣いて…、」

名前は静かに涙を零していた。
つい先ほどまで感じていた嬉しさは一瞬にして罪悪感と焦りに変わった。
初めての出来事に俺はどうしていいか分からなかった。
何で泣いてるのかも、今何を思っているのかも分からず、ただただ名前の流れる涙を凝視するしかなかった。
そうしているうちに、何も言わない名前は扉へと歩き始めた。

「名前!待ってくれ…!」

とにかく今は名前と何か話をしなければと引き止めたが、何を言えば彼女は答えてくれるのかとそんな事ばかり頭に浮かんだ。

「……その…悪かった。」

結局考えに考えて出た言葉は謝罪で、俺自身何を謝罪しているんだと自問自答した。

「…それは、何に対しての謝罪?」

その考えを見透かされたのか、ようやく喋ってくれた名前の声は震えていた。
涙で震えている声ではない。
これは恐らく怒りからくる震えだと、直感でそう思った。

「っ、!」

「苗字さん!轟君を巻き込んだのは僕なんだ!!だから!」

「いや違う!!元はと言えば僕が原因なんだ!!だから彼は悪くない!」

緑谷と飯田が必死になって説明してくれるが、名前は眼中にないようで、俺を真っ直ぐ見ていつかの日のように静かに問いかけてきた。

「ねえ、焦凍君、これでヒーロー?」

ずっと引っかかっていた言葉。
俺が名前に貰った考えさせる言葉。
ずっと考えてたその言葉は、もう答えが出ていた。
これを答えてしまったら、俺はあの日をなかった事にしてしまうのかもしれない。
それでも、今日この日緑谷と飯田と戦ったことだけは、後悔していなかった。
飯田を助けられて良かったと、心から言えるから、

「…俺は、後悔していない。」

「…そう。」

あの日は寧ろ後悔だらけで、だからこそ次の時にはそうしないようにとそう願って出た答えだった。
だから、逆に名前に怪我をさせてしまった日の事は一生忘れない。
後悔しないように、なりたい自分になれるように、俺はヒーローを目指す。

名前はそう呟くと、少しだけ纏っていた激情が治まったように見えた。
燃えていた炎が鎮火したみたいだ。
ああ、いつもと逆だなと頭の片隅でぼんやりと思った。
名前に少しでも理解してもらえたのかと、胸を撫で下ろした。

「分かった。
…でも、ごめん。
頭冷やしたいから、しばらく連絡してこないで。」

「え、」

一切の思考が停止した。
遠ざかる名前の足音を聞きながら、他人事のようにすら感じていた。
何を言われたのか理解が追いつかなかった。
名前の納得のいく答えではなかったのだろうか?
いや、名前は分かったと言った。
しかし、頭を冷やすとはどう言う事なのか。
いつもはちゃんと答えてくれる名前が、今日はほとんど喋らず、何かを我慢しているようにも見えた。
彼女は何を我慢しているのか、どうして何も言ってくれないのか…
初めての出来事と感情に、戸惑うことしかできなかった。

「轟君!お、追いかけなくていいの…!?」

「彼女は大きな誤解をしているのかもしれない!俺が弁解を…、」

今までのやりとりを見ていた2人は有難いことにこうして声をかけくれるが、今多分名前に声をかけても意味がないだろう。
それ以前に、俺もどうしていいか分からないと言う方が大きい。

「…いや大丈夫だ。悪りぃ、変な空気にしちまって。」

「僕達は大丈夫だけど、轟君、本当にいいの?」

「ああ…俺も、どうすればいいか分かんねぇ…」

「彼女は確か、普通科の…」

「苗字名前、友達だ。」

「そうか…彼女…苗字君は、どうして病院に?」

名前が去った病室は、先程とは打って変わり少し重たい空気になっていた。

「俺が少し喋ったんだ…名前に、嘘はつきたくなかった。」

「そっか、だから苗字さんここに来たんだね。
……でも、なんか凄い怒ってた?」

「ああ、僕も言葉を交わさなかったが怒っていたように見えた。」

「怒ってはいた、と思う。
けど、いつもならちゃんと言葉にするんだ。
だから今余計に、名前が何を考えているか分からねぇ…。」

何を間違っていたのか、頭を冷やすとはどう言う意味なのか。

「頭を冷やすって事は相当怒っていたか、それ相応の感情が爆発しそうになってたって事なんじゃないかな?」

「そうだな、僕もそう思う。
だから彼女はその怒りを轟君に向けない為にああ言ったんじゃないか?」

そう言って一緒に悩んでくれる2人に、感謝しかなかった。
…助けられて本当に良かったと思う。

「そう、だといい。」

もし仮にそうだとしたら、俺はその感情を全部、ぶつけて欲しかった。

「とにかく、もう一度苗字さんと話した方がいいよ。
ちゃんと言葉にしないと分からない事って沢山あるし!」

「そうだぞ!
誤解しているようだったら俺が弁解をする!!」

「ああ、助かる。」

いつも、欲しい言葉をくれる名前のありのままの言葉を、感情を聞きたかった。
なんで、何も言ってくれなかったんだ。
名前の言葉なら、なんでも受け止められる自信はあった。
けど、何も言ってくれないとどうすることもできない。
あの言葉の答えだってあれで良かったと思ってるし、名前なら笑ってそっか、と言ってくれるって思っていた。

……だから、いつもみたいに答えてくれよ。