少年は恋を患い息の苦しさを知る



ふと、幼い頃よくお世話になっていた近所のお姉さんを思い出した。お姉さんといっても、2つしか変わらないのだけれど。名を、名前さんという。名字は隣の人だったから、ええと、何だったか。…そうだ、苗字。苗字名前、だったと思う。小学校の頃、よくその名前さんの家の庭で二人でキャッチボールをして遊んでもらったことを鮮明に覚えていて、そのときの名前さんとのやりとりは僕の中で根深く残っている。名前さんは中学に持ち上がると同時に遠い遠い東京に引っ越してしまい、毎日のように遊んでいた日々が嘘のようにとんと会えなくなってしまったのを小学校高学年ながら、あの頃の僕はあまり理解していなかったと思う。やっぱり本土は暑いんだろうか。そんなことを思いながら一人キャッチボールをする。目の前には誰もいない、コンクリートの壁。名前さんの面影だけが僕の脳裏に強く焼き付いていて、今はどうしているだろう、と謎の胸の締め付けに不思議に思いながら見えない遠くの相手に思いを馳せ、中学三年生。名前さんから一通の手紙が届いた。シンプルな封筒、シンプルな便箋に綴られた綺麗な文字は名前さんが今も尚変わっていないのだと言ってくれているようで、僕はなんだか、少しむず痒かった。



「来たねえ、暁くん!」

黒く整った髪、運動部とは思えないくらいの白い肌、嬉しそうに笑う目の前の女性にわしわしと頭を撫でられる僕は今一体どんな顔をしているのだろう。

「それにしても、暁くんは大きくなったなあ。今いくつくらい?」
「15です」
「いや、身長……」
「名前さんは、変わりませんね。」

そう素直に伝えれば少し下の位置で「そうかな?」と首を傾げた。
ころころと表情を変える女性、そう。苗字名前さんに、久々に会って気付いたことといえば、昔より、かなり縮んでいた。同じくらいの身長で、目の前にいる名前さんと話していた小学校時代の記憶しかない僕はなかなか名前さんが一致しない。なぜ縮んだ……あ、そうか、僕が伸びたのか。

でも、よく分からないけれど、名前さんの本質的な部分はあまり変わっていない、そう感じている。

「それにしても本当に来てくれるなんて思わなかった。手紙…読んでくれた?」
「はい」
「東京においでーなんて、突飛なことも言ってみるもんだねー」
「元々、ここに通いたいって思ってたんで」
「あ、そうだったんだ?へえー、暁くんが来てくれて嬉しいよ!頑張ろうね!」
「はい」
「一般で来たなんて、なかなかガッツがあってよろしい!」

やはりこの人は変わらない。そう思いながら見下ろせば、楽しそうな笑顔が返ってきた。懐かしい。
だから思ったこともぽろぽろと口から溢れて行く。普段からも、あまり我慢はしないけれど。

「名前さんは、マネージャー、だったんですか」

名前さんは一瞬少し戸惑ったように怯み、また何事もなかったかのように僕を見上げた。

「そうだよ」
「あんなに野球上手いのに……」
「男女差はついていくものだよ、暁くん」

そうやって笑う名前さんはどこか寂しそうで、確証もないけれど、僕を伺っているのだろうかと思った。

確かに、見下ろした先にいる名前さんは細く、非力に見える。こんな人だったっけ、と思ってから、名前さんの言葉の額面の通りにお互いの性別を考えれば、納得がいった。
僕にとっては憧れていたお姉さんだったけれど。今はもう違う、同じ高校生なんだと分かった。僕は、小学校の頃の記憶から、ようやく名前さんと同じ土俵に入ったのだろう。

しかし、やっぱり昔と同じようにはいかないのか。そう考えていたのが伝わったのか名前さんは少し眉をひそめて心配そうに僕を伺う。心配しなくてもいいのに。

「暁くん」
「はい?」
「わたしはね、この青道の支えになれるだけで楽しいし、やり甲斐もある。わたしは、ここに入ってマネージャーをさせてもらって後悔はないし、本当によかったって思ってるよ。」
「はい。」
「暁くんは…後悔してる?」
「そんなことは、」

ない、とはっきり言い切れば、名前は嬉しそうに笑った。

「ならよかった。暁くんのことを受け入れてくれる人間は、ここにはたくさんいる。もうわたしだけじゃない。」

雑誌で見た 御幸一也、の文字が頭に浮かび、消えて行った。

「暁くん、信頼してるよ。」

真っ直ぐに見据えられながら、そんな真っ直ぐなその言葉に、僕は、少しばかり目を見開く。
そうだ。いつだって名前さんは、こうやって僕のことを信頼してくれていて。目の前で笑う名前さんが小学校の頃に見た彼女と重なる。やっぱり、名前さんだ。

身長はとっくに抜かしてしまった。体格だって、力だって。いつの間にか僕はこの人に憧れていたものを全て抜かしていた。

それでも快活に笑うその姿に少しばかり動揺する。動揺?なんで。
昔感じていた、胸を締め付けられる気持ちとはまた違う。今はそれより満たされているような、何か。
ああ、なぜだろう。どうしたって先を行くこの人は常に僕の前を走っていて、抜かしたものだけが憧れじゃないのだと心の内で僕が叫ぶ。よく分からないけれど。

僕は、この人の隣へどうしても行きたい。今はそう強く感じた。

「待っててください。すぐ僕も追い付くんで。」

名前さんは 昔の笑顔のまま、あどけなくわらった。



少年は恋を患い息の苦しさを知る


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糖分が欠落している……


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