教えてあげる
――――任務(ミッション)。
早朝のヴァリアー邸キッチンへ侵入せよ。
言うのは簡単だ。これぞ正しく、言うは易し行うは難し。…あれ、こういう諺なかったっけ?
もちろん、不法侵入しようって訳じゃない。あたしはヴァリアーの一員だしね。
けど、"侵入"って言うからには誰にも気付かれてはいけない訳で。
つまりあたしは、一緒のベッドで寝ている恋人のベルを起こさないようにして部屋から出ないといけないのだ。
息を殺す。ベルが熟睡しているのを確認してから、スプリングを軋ませないようにしつつベッドから出る。
パジャマのままだけど、着替えるなんてことはしない。なるべく早くキッチンへ行って、なるべく早く用事を済ませて何事もなかったかのようにベッドに潜り込まなければいけないからだ。
無事に部屋を出られた。安堵の息を吐き出すこともそこそこに、あたしは足音を立てずにキッチンへと駆け出す。
とりあえず、任務は成功かな。後はキッチンで本題に取りかかるだけ。
△▼△▼
―――なぜあたしが早朝のキッチンへ侵入しようとしたのか。
それは、今日がベルと付き合ってから3ヶ月の記念日だから。
ほら、3ヶ月っていうと世間一般では倦怠期とか言われてるし。まあ、あたしとベルはそんなのとは無縁だと思いたいけど……。
だから、サプライズでクッキーを焼いてベルに喜んでもらおうと思った訳。倦怠期回避!ってね。
ルッスが暇だと入り浸ってるキッチンだけど、時間が時間だし人気はない。あたしは急いでクッキー作りを開始した。
卵やら小麦粉やらでクッキーの生地を作っている最中に、不意にあたしを襲ったのは――くしゃみ。
「――っやばくしゅっ!」
間一髪でクッキーの生地に背を向けて生地にくしゃみの直撃を阻止したものの、寒い。
日中は大分暖かくなってきたとはいえ、朝はまだ冷え込むこの季節に、パジャマだけはやっぱり寒かった。
でも上着を取りに戻るとか危険すぎるしなあ…………あ、いいもの見っけ。
キッチンと併設するような間取に位置するダイニングのソファーに、誰かの隊服が置き忘れられている。
あたしは駆け寄ってそれを拝借することにした。あ、このデザインはフランのだ。サイズもそこまで大きくないしラッキー!
という訳でクッキー作り再開。
フランの隊服のおかげでそこまで寒くなくなったし、クッキーの型を抜くのは楽しいしで自然と鼻歌を歌ってしまう。
ただ1つだけ気になるのは、服の香り。フラン、アイツ香水なんてつけてたんだ。
あたしはやっぱりベルの匂いが一番好きだな……とかちょっと恥ずかしい、けど。
……そんなことを考えつつ、あたしの意識は今オーブンに入れたばかりのクッキーの方へ全面的に向いていて。
だからなのだろうか、オーブンを覗き込むあたしは全然気付かなかった。
さっきから、ベルがキッチンの入り口に立ってあたしをじっと見ていることに―――。
「ししっ、こんな早くにどーした訳?」
洗い物を始めたあたしの耳に、突然ベルの声が入ってきて思わず肩をピクリと揺らして反応した。
振り返ってベルの姿を確認して、慌ててオーブンの前に立ってクッキーを隠そうと試みる。
さりげなく、あくまでさりげなく。ヴァリアー舐めんなよ、……と思ったけど、ベルには敵わなかった。
「なーにしてんのかな、愛ちゃんは。」
危険な甘さを含んだベルの声が、あたしの鼓膜を震わせる。
キッチンに足を踏み入れたベルが、確実にあたしとの距離を詰めてくる。
何ってクッキー焼いてます。ベルにサプライズでプレゼントしたくて。
…って言いたいけど、それじゃあサプライズにならない。今更サプライズも何もないかもしれないけど、やっぱり最後まで足掻いてみなきゃ。
―――だって今日は、記念日だから。
「何で黙んの?王子の質問聞こえなかった?」
直ぐ目の前まで迫ったベルに、横に押し退けられた。
ということは、必然的にあたしが背中に隠していた正にクッキーを焼いている途中のオーブンが露になる、訳で。
あ、呆気なさすぎる……!!
「…クッキー?――…ふーん、そういうことかよ。」
低く吐き捨てるような口調で言うベルを、え?と思わずまじまじと見つめてしまった。
「……嬉しく、ないの?」
クッキーが嫌いって話は聞いたことなかったはず、なんだけどな。
すると、再びベルがあたしの前に立って。そのまま肩を押されて、ドンッと背中を冷蔵項にぶつけられた。
「嬉しい?何でオレが嬉しがんなきゃいけねーんだよ。」
前髪で隠れているけど、でもベルの瞳があたしを強く捕らえて離さない。言葉が胸に刺さる。
「愛さぁ、誰の女だが自覚あんの?」
クイッと顎を持ち上げられて、至近距離でベルが囁く。
恥ずかしすぎる。…恥ずかしすぎるけど、どうしてベルがそんなことを言うのかわからない。
困惑をあたしの表情から読み取ったのか、ベルがうっすらと冷たい笑みを口元に浮かべて、
「頭の悪い愛ちゃんには、もっかい王子がイチから教え込んでやんなきゃダメなの?『愛はベルの女です』って。」
チロリと赤い舌が覗いたかと思うと、不意に噛み付くようなキスをされる。
離れたくてもできない。苦しくなっても離してもらえない。けど、あたしの後頭部を支える手は、凄く優しい。
いよいよ酸欠でボーッとしてきた頭。その時視界に入ったのは、さっき勝手に借りたフランの隊服で。
―――あ、もしかして……。
ようやくキスから解放されたあたしは、呼吸を整えるよりも何よりも先に、ベルの誤解を解こうと急いで口を開いた。
「ベル聞いて、お願い。あのね、フランの隊服着てるからって別に浮気とかそんなんじゃないから。たまたまそこに置いてあったから借りただけで、そもそも……、」
言い淀んでしまったのは、このまま続きを言ってしまったらサプライズを計画してたことまで話さなくちゃいけないから。
「そもそも、何?」
でも、ベルに促されたら話さない訳にもいかなくて。
結局あたしは、サプライズ計画のことを全て話した。
「今日は3ヶ月記念日だから…サプライズでクッキー焼いてプレゼントしようかな、って。ほら、3ヶ月って倦怠期とか言うでしょ。だからこんな時間に部屋抜け出して作ってたの。」
言い具合にオーブンからクッキーの焼けるいい匂いが漂ってきて、やっとベルの表情も和らいでくれたみたい。
そっと伸びてきたベルの手が、ふわりとあたしの頭を撫でる。
「……そっか。ごめんな、オレ愛のこと疑って。」
「ううん。あたしってベルに愛されてるなーって実感できたから平気!」
確かにちょっと怖かった部分もあったけど、それはベルの想いの大きさなんだろうなって思ったら、ね。
満面の笑みで答えるあたしに、ベルもニヤリと口元を笑みの形に緩めてズイッと顔を近付けてくる。
「何、愛は今まで王子に愛されてる実感なかったの?」
「い、いやそういう訳じゃ……。」
「ししっ、オレこーんなに愛のこと好きで好きで堪んねーのになあ。なのに倦怠期の心配までされてやがんの。」
ペロリ、ベルの赤い舌があたしの唇をなぞる。
ぞわりと背筋を走る甘い痺れに、あたしはもう背中に当たっている冷蔵庫に全体重を預けているような感覚。
「やっぱ愛ちゃんにはもっかい教えてやんなきゃダメだな。王子がどんだけ愛のこと好きなのかって。クッキー食べんのはそれから。」
軽々と持ち上げられて、気付けばお姫様抱っこされてる状態。
急な展開に着いていけず、目を白黒させるあたしにベルが一言囁きかけてくる。
「とりあえずベッドに戻って、……な?たっぷりオレの愛を愛に刻み込んでやるから。」
教えてあげる
(え、ちょ、ベル、クッキー!)
(だから後でっつってんだろ。)
*あとがき*
愛様、この度は企画に参加して頂きありがとうございました。お待たせしてしまって本当に申し訳ありません…!
ベル+10の甘夢ということでしたが、いかがでしょうか…。前半は殆どベルも出てきていませんし、出てきた後半も甘いんだか何だかイマイチ自信がありません……。
お待たせしたくせにこんな出来で愛様に申し訳なさすぎるので、苦情は遠慮なくどうぞ。(もしして下さるのならば)お持ち帰り等も愛様のみ可です。
では、今回は本当にありがとうございました。これからも、M.D.と絵茉をどうぞよろしくお願い致します。