その日はすこぶる調子が良かったものだから、僕は近所の公園を散歩していた。お手伝いさんに見つかったら怒られちゃうだろうなと頭の隅で考えつつも、僕は新緑に誘われるかのように部屋を出た。外の空気がすごく美味しく感じる。やっぱり来て正解だったなと思う。
だけどそこで、幸か不幸か君に出会ってしまったんだ。
『……約束だよ』
僕が言うと笑顔で頷いてくれたのに、いつも君が腰掛けていた椅子は空いたまま。
「……嘘吐き」
だけど、僕はそれ以上に卑怯者だ。
事実を告げないことは、嘘を吐くことに等しいのか。はたまたそれより重いのか。
そんなことを考えながら瞼を閉じる。
独りは寂しい。そんな当たり前を教えてくれたのは君だ。今となっては知らない方がよかった気がするけれど。
――…少し眠ろう。目覚めたら君がいてくれるかもしれないから。
「………」
「…ねぇ」
「……………」
「……ねぇってば。君、いつまで無視するつもり?」
声をかけても、目の前で手を振っても反応なし。そんな少女に苛立ちが募っていく。
遡ること数分前。
気持ちよく公園を散歩していた僕はベンチにぽつんと座る女の子を見つけた。普段なら放っておくのだけど、とても気分がよかったし、何よりその瞳が心ここに在らずだと物語っていたからそのまま素通りなんてできなかった。
で、声をかけたものの反応なしで今に至る。僕は痺れを切らせて軽く肩を揺すった。その頼りなさに驚いているとはっとしたように黒目がちな瞳が僕を捉えた。
「ねぇ、ぼーっとしてたけど大丈夫?それとも僕のこと無視してただけ?」
「……あ…」
「…ん?」
彼女は言葉にならない声を出し、少し怯えているようだった。僕は息を吐いてから彼女の目の前にしゃがんで顔を覗き込んだ。
「君も散歩?」
「……え?」
「ほら、今日はいい天気だし、散歩日和だよね」
「そうですね」
やっと成立した会話に僕は満足して、人一人分の距離を空け彼女の隣に座った。
「あんまり顔色良くないね。具合でも悪いの?」
「………」
彼女はどこか遠くを見つめながらゆるゆると顔を横に振った。
「そう。じゃあお腹空いたとか?」
言い終えるやいなや、隣からくぅと何とも頼りなさげな音が聞こえてきた。僕はにやりと口角を上げる。
「……図星だね」
「…違います。少しお腹の調子が悪いだけです」
「具合悪くないって言ってたじゃない」
「……少し空いてるかもしれません」
「ははっ。最初から素直に言えばいいのに」
僕がけらけらと笑っている隣で、君は顔を赤くしながら黙ってた。そんな姿が愛らしくて、他の表情も見てみたいと思ってしまった。
「おいで」
僕が手を差し出すと、彼女の頬は少し膨れていた。それにまた笑いそうになったけど、これ以上機嫌を損ねるのはよくないなと思って堪えた。
「僕もお腹空いたし、何か食べに行こう」
少し迷ったあと彼女は僕の手を取った。温かな体温に、何故か僕はとても安心した。
近くの喫茶店に入って彼女はナポリタンを、僕はケーキセットを頼んだ。確かに体調は良かったけど、やはり食欲はあまり無かった。
「……すみません」
「何が?」
「お腹、空いてませんでしたよね?」
「ああ、僕小食だから」
「………」
どうやら見かけほど鈍いわけでもないみたいで、彼女は少し申し訳なさそうに眉を八の字にしていた。別にそんな顔させたかったわけじゃない。ただ、僕が君に構いたかった。それだけなのに。
「……あ」
「何ですか?」
僕がにやりと笑いながら口の脇を指差すと、彼女は顔を赤くしながら慌ててそこを拭いた。それはもう期待以上の反応で、僕は我慢しきれず吹き出した。
「う、嘘だったんですか!?」
「ごめんごめん、君ならきっといいリアクションしてくれるだろうなぁと思って」
ああ、面白いなぁこの子は。久々に笑って満足してる僕とは対照的に、彼女は目を潤ませながら怒ってた。全然怖くないけど。
でもこれ以上はやりすぎかなと、何とか宥めた。そこでふと思い出して彼女に聞いてみた。
「ねぇ、名前は?」
「……?」
デザートのプリンを食べる手を休めて彼女がこちらを見た。きょとんとした目は思っていた以上に大きくてどきりとする。
「僕は沖田総司です。君は?」
「わたしは……」
今考えると僕が他者に対してこんなに興味を持つなんてかなり珍しいことだった。身内である姉を除くと、彼女のほかには一人しかいない。
もし、もしもこのとき、彼女の前を素通りしていれば、あんなにしつこく声をかけていなければ、今こんな思いをしないで済んだのかな?
「……ちづるちゃん」
寂しいよ。僕は兎というより猫だけど、寂しくて死んじゃうよ。
目頭が熱い。嗚呼、涙を流すのなんていつ以来だろう?
瞼の裏側にあの日の緑色が甦る。
もう見ることはないだろう、鮮やかな光。