「おはようございます」

ニコリと皆に笑顔で挨拶をするのは数ヶ月前に新選組預かりとなった少年――…のふりをする少女・雪村千鶴。

屯所に来たばかりの頃こそ怯えていたがここでの生活にも慣れたようで、今では細々とした雑務をこなすようになっていた。本日も朝餉を作り、ちょうど広間へと運んでいるところだ。

「おはようさん、朝から精が出るな」

「原田さん、おはようございます」

「おはよう!いつもありがとな、当番でもないのに」

「おはよう平助君。いいの。私にはこれくらいしか出来ないし」

「『これくらいしか』なんて思うこたぁねぇんだぞ?千鶴の飯はうまいからな」

ちょっと困ったような笑みを浮かべる千鶴の頭を原田が優しくぽんぽんと撫でる。

「千鶴ちゃんは料理上手だからなぁ。それに比べて土方さんの飯といったら……」

「土方さん、お料理苦手なんですか?」

新八がうんうんと頷きながら答える。

「京に来てからは勝手場に立つことはなくなったが……アレは食い物じゃねぇよなぁ」

「し、新ぱっつぁん!後ろっ後ろ!!」

「あん?何だよ平助。俺は今千鶴ちゃんと話して……」

平助に肩を叩かれ、新八は渋々振り返る。

「ほう、俺の料理がどうしたって?」

そこには眉間に深々と皺を刻んだ土方が仁王立ちしていた。その表情や纏う空気は『鬼副長』の二つ名に恥じない。

「お前ら、こんなところで油売ってねぇでさっさっと席に着きやがれ!!……それから…新八、お前はあとで俺の部屋に来い」

真っ青になる新八をからかう原田と平助。隣でくすくすと笑う千鶴。その様子を配膳をしながら見守る者がいた。


「お前たち、邪魔ばかりしていないで少しは手伝ったらどうだ」

「あ、一君、いつからそこにいたんだよ。吃驚するじゃん!」

「俺は先程から膳を運んでいた。あんたが気づかなかっただけだろう?」

淡々と答えつつ、斎藤はチラリと視線を千鶴に向けた。

「斎藤さん?」

千鶴はどうかされましたか?と訊ねながらことりと首を傾げる。

「……いや、今日は一雨来そうだ。外に洗濯物は干さない方がいいだろう」

「あ、はい」

言うだけ言うと、斎藤は何事も無かったかのように広間へと消えていった。


千鶴が廊下から空を見上げるとそれを待っていたかのようにポツリポツリと雨が降り出した。









朝から降り出した雨は夜には本降りになった。今でも止む気配はなく、打ち付ける雨は視界を狭め、世界から音を奪う。




「……眠れない」

千鶴は布団の中で寝返りを打ちながらぼそりと呟く。その独り言さえも雨音にかき消されてしまいそうだ。


――ひとりきり――


そう、私はひとりぼっちだ。どんなにみんなが笑いかけてくれても、共に過ごしても、私は仲間じゃない。部外者だ。仲間どころか、むしろ厄介者。不都合な存在になったら顔色一つ変えずに私を斬るんだろうか?――…昨日までの笑顔も忘れて。


思考は深く深く、潜り込む。だんだんと心の奥へと進んで行き、外の光が遠退いていくのを感じた。

考え出したら止まることはなく、千鶴はどんどん心を闇に染め上げる。不安、恐怖、そして何より孤独感。外から忍び寄る雨音と冷気はそれらを煽るには充分だった。


「――…雪村」

自分を呼ぶ声にはっとし、千鶴は体を起こす。

「起きているか?」

「……はい」

千鶴が答えると、静かに障子が開いた。途端に雨音が大きくなる。そこにひとつの影。雨雲で月が隠れており、辺りは闇。そのために顔は見えなかったが声と動作で誰だか分かった。

「今日は斎藤さんだったんですね」

最近では千鶴に対する態度も軟化してきたものの、夜には部屋の前に見張りが付く。今晩は斎藤の役割らしい。

斎藤は部屋に入り、千鶴の前に座した。

千鶴は顔に笑みを貼り付ける。もし自分が暗い顔をしていれば夜目が利く斎藤に気取られてしまうだろう。無意識での行動だった。

斎藤は少し間を置いてから口を開いた。

「……眠れないのか?」

「ちょっと、寒くて……。大分暖かくなってきましたけど、やっぱり夜は冷えますね」

ずっと笑顔でいる千鶴を見、斎藤は僅かに眉間に皺を寄せた。

「……あんたは、いつも笑っているな」

「?……そうでしょうか?」

千鶴は不思議そうな顔をしている。今笑顔でいることだって、本人の自覚はないのだ。

「ああ。そして不平不満も全く言わない」

「………」

「俺もあまり感情は面に出さない方だが……あんたはある意味俺以上だ。苦しみも不安も、全て笑顔で隠している」

「……そんなこと、ないです」

千鶴は俯き力無く言葉を紡ぐ。それは斎藤にというよりは自分自身に言い聞かせているようだった。

斎藤にまるで自分すら気づいていない心の底を見透かされているようで、千鶴は怖かった。

「……あんたが違うと言うのなら、それでいい。ただ、ひとつ――…」

そこで斎藤は言葉を区切り、千鶴の瞳を真っ直ぐ見つめた。

「あんたが泣いても、誰も責める者などいない」

「……!」



「明日もある。早めに休むといい」

千鶴が目を見開き言葉を失っていると斎藤は立ち上がり障子戸に手をかけ、振り向くことなく告げた。


斎藤は来たときと同様、静かに障子を閉め退室した。また室内は雨音と闇に包まれる。

千鶴はそっと障子戸に背を預け、膝を抱えて座り込む。

頬にあたたかなものが伝う。手で拭い、腕の間に顔を埋めた。自然と嗚咽が漏れてくる。




だけど、今宵は雨だから。


きっとこの雨が私を世界から隠してくれるだろう。


だから、今だけ。



そんなことを考えながら、千鶴は涙を流した。






零したで潤う






斎藤は外を見つめつつも、障子の向こう側へと耳を傾ける。雨に紛れても微かに聞こえてくる啜り泣く声。


人は感情の生き物だ。しかも彼女は普通の少女。平気なわけがない。それなのにいつも笑っている。その姿が健気ながらも痛々しく思えた。



せめて、今宵だけでも――…


雨が包み隠してくれている今だけでも、彼女が弱さを見せるのを許してほしい。

流した涙が彼女の心に雨となって降り注ぎ、乾いた大地を潤すことを願う。


自分らしくない考えだと思い、斎藤は自嘲気味に笑った。




雨は、まだ止まない。





fin.

恋愛未満な二人。


千鶴ちゃんが屯所に来てから3ヵ月くらいの頃を想定。

あの頃は屯所での生活に順応しつつも精神的に不安定だったと思うんですよね。

泣くくらいいいじゃない。


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