過ちの後始末さえできず、俺は濡れた唇を拭った。どちらのものとも分からない欲のあとが手を汚す。それにさえ酔ってしまう俺は気がふれているのだろう。

早く逃げなければ。彼女の心に溺れてしまう前に。全て奪われてしまう前に。


それでもふたりの影絵は無駄にもつれ合うばかりで離れることはない。


嗚呼、なんて女々しく、浅ましい。


結局、俺は彼女を斬るなんてできなかった。





恋わずらい





川面に映る太陽とその本物とが溶け合い、空を朱に染め上げる。俺は河原に座ってその様をただ眺めていた。


首に巻いた襟巻きも、自身の肌も、漆黒の着流しさえ夕暮れ色をしている。

燃えるようなその色はまるで自分の焦燥や醜い嫉妬を表しているようで、自然と嘲るような微笑が浮かぶ。



「斎藤さん」

振り返らずとも誰のものか分かる声。

とたとたと忙しなく小さな足音が近付いてきて、俺の前でぴたりと止まった。

「斎藤さん、探したんですよ」

俺を覗き込みながら彼女が困ったような笑みを見せる。


彼女は俺のことなど想っていない。なのに何故名を呼ぶのか。微笑みかけるのか。その一挙一動がどれほど俺の心を焦がすのか彼女は知らない。


「もうすぐ夕餉の時間ですし、帰りましょう?」

そう言いながら彼女が俺の肩に手を掛けたから、それを振り払った。

「斎藤さん……?」

とても驚いたような、傷付いたような彼女の顔。そんな顔をされるいわれはない。何せ彼女は俺ではなく他の男を想っているのだから。

「……先に帰れ」

何とかそれだけ絞り出し、俺は彼女に背を向け歩き出す。


「………っ待ってください!!」

俺の着流しを掴む白く細い指が視界の端に入る。

「……何か用か?」

「……斎藤さん、最近変です。私を避けています。……私が気付かないうちに何かしてしまったでしょうか?」

俺を見上げてくる瞳は揺れていた。

彼女に非はない。ただ、俺に好意があるわけでもないのにこうして向けられる優しさや気遣いは苦痛でしかないのも確かだ。それが故意でないにしても。


「私に何か至らないところがあったら言ってください。ちゃんと直しますから」

「………」

「だから………だから、私を見てください。訳も分からず避けられるのは悲しいです」

堪えきれなくなったのだろう。彼女の頬に一筋涙の線が描かれた。




「きゃっ!!」


その表情はまるで彼女が自分に思慕の念を抱いているようで、しかしそんなことあるわけがないと知っている自分がいて、たまらず彼女の腕を掴み物陰へ引き込んだ。その勢いのままに押し倒す。



「……斎藤さん?」

彼女の潤んだ瞳に、俺の独占欲にまみれた瞳が映り込む。

「………あんたが悪い」

「え?」


深く、深く、口付ければ千鶴から苦しげな声が漏れた。口内の生温い感触にすがるように舌をその奥へと滑らせる。


「…ふっ…ん、さ…いとさん?」

「千鶴……」


――………愛してる。

次に続くべき言葉が口から出そうになり、慌てて唇を結んだ。


しかしその想いに抗う術などなくて、全ての留め金が外れていく。




――斎藤さん――

花が綻ぶような笑顔で俺を呼ぶ千鶴の姿。

直接頭に響くような記憶。それさえも要らないくらいに思えた。



あるがままの彼女の姿を晒し、紅の夕焼けが滲む。

そのとき、嗚呼、俺は泣いているのかと気付いた。










中庭に出て、三日月の下にしゃがんだ。

あれからどうやって屯所に戻ってきたのか、ほとんど覚えていない。




彼女は――…千鶴は、もうあの真っ直ぐな瞳を俺に向けることはないだろう。


ただ、ひとつ願えるなら笑ってほしい。俺への笑顔ではなくていい。そうして、せめてもの救いを残してほしい。そう考える自分はなんと滑稽なことか。




結局、斬ることなど出来ないのだ。自分の心に巣くう彼女という存在を。


もう既に、俺は全てを彼女に奪われていたのだから。






容易く消し去れない恋が

また俺の中でちらついた






fin.

何だこれ?

意味が分からんww


椿屋○重奏の『恋わずらい』でお話を書いたらこうなりました。



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