『味噌汁談義』
ある春の日の朝。
新選組屯所の広間には朝食を摂るべく、主立った幹部たちと新選組預かりの男装の少女・雪村千鶴が顔を揃えていた。
各々が席に着き、局長の挨拶の後、食事を開始する。
永倉や平助によるおかず争奪戦はさておき、本日も平和に食事を終える……はずだった。
事の発端は新選組局長・近藤勇のひとこと。
「やはり味噌汁には白菜だな」
トシもそう思うだろう?、と言いながら近藤は隣に座する土方に笑顔を向ける。邪気のない、相変わらず人好きのするものだ。
本日の味噌汁の具は白菜と豆腐だった。
「あ?そうだな。俺はワカメも好きだが」
味噌汁の入った茶碗を手に持ち、のぞき込みながら土方が答える。
しかしそんなふたりのやり取りを気に入らないとばかりに土方を睨みつける者がひとり。
「そうですか?僕は白菜の方が美味しいと思いますけど?ワカメってあんまり好きじゃないな」
沖田だ。
彼は言葉の端々に棘を含ませながらふたりの会話に加わる。
尤も、その棘はすべて土方に向けられたもので、近藤はその棘の存在にすら気づいていないのだが。
「土方さんってワカメばっかり食べて、そんなに白髪になるのは嫌なんですか?」
「総司、朝から突っかかってくんな。」
土方はそもそもそんなに食ってねぇとぼやきながら軽く沖田を睨みつける。
「そうだ総司。そもそもあんたは好き嫌いが多すぎる。」
そこに斎藤も加勢する。
「そんなことないよ。だったら一君だって好き嫌いあるんじゃないの?」
「俺は常に均衡の取れた食事を心がけている。言っている意味がわからんな」
斎藤は特に表情を変えることもなく、味噌汁をすする。
そんな彼をふーんと言いながら沖田はチラリと見たが、すぐ自分の膳に視線を戻した。
「それじゃあ、ひとつ気になってたことがあるんだけど、いい?」
「何だ?」
「今日の食事当番って一君だよね?」
「そうだが」
沖田の問いに、僅かに斎藤の眉間に皺が寄る。
もしや食事が不味かったのだろうか?
いや、自分は雪村ほどでもないが、隊内でもそれなりの腕は持っているはず。
しかしその自信のせいで自分の失態に気づかなかったのでは……。
などと斎藤の脳内に良からぬ想像が浮かんだが、沖田は構わず話を続ける。
「一君、これ見てよ」
そう言って沖田は自分の味噌汁茶碗を斎藤の方へ見せた。
「味噌汁がどうかしたのか?」
「一君のと比べて、僕の少ないと思わない?」
「そんなこともないだろう。それに足りないのならまだおかわりもあるはずだ。」
「ああ、味噌汁全体の量はね。僕が言ってるのはそれじゃなくて」
「何だ?」
「豆腐の量だよ」
斎藤はピクリと僅かに肩を揺らした。
「……………気のせいだろう」
「ああそうだね。僕のが少ないんじゃなくて一君のが多いだけか。」
僕のはみんなと同じ量だもんね、とニヤニヤと不敵な笑顔を浮かべながら独り言のように言う。
「僕はてっきり一君が自分の茶碗にだけ多く入れてるのかなぁって、前々から気になってたんだけど、違うよね?」
「…………」
斎藤はそれに答えられない。
「総司、一君にだって好みはあるだろう?」
ここで平助が助け船を出した……つもりなのだが、この言葉がさらに斎藤を追いつめたことを本人は知らない。
「俺は油揚げが好きだな。」
出汁が出て旨いし、と言いながら平助は斎藤をみるが、斎藤はただただ遠いところを見ていた……。
「具もそうだけどよ、味噌も大事だろ?俺は白味噌より赤味噌だな」
ここで見かねた原田がなんとか話を盛り上げようと話に加わる。
「ああ確かにな。特に二日酔いの朝に啜る赤味噌とシジミの味噌汁は絶品だしよ」
「新八っつぁんがシジミなんて小さいもんチビチビ食うのかよ」
原田の思惑は成功したらしく、話に乗ってきた永倉にさらに平助が突っ込みを入れる。
しかし、この話題は原田の思った以上の盛り上がりを見せた。
それまで黙っていた山南や井上などまで加わり、先程から上の空である斎藤を除く幹部ほぼ全員が味噌汁に対する持論を繰り広げた。
みな自分の意見にはこだわりがあり、一歩も譲ろうとしない。
そこでふと平助が先程から黙っている千鶴に目を向ける。
「そうだ!千鶴は!?千鶴はどんな味噌汁が好きなんだ?」
突然話し掛けられ、千鶴はえっと言いながら目を見開き、驚いた顔を平助に向けた。
それまで議論を繰り広げていたみなも、千鶴の意見を聞こうと沈黙し、彼女に熱い視線を送る。
千鶴はみなからの視線に気恥ずかしさを感じながらも困ったような笑みを浮かべて言の葉を紡ぐ。
「……あの、私は正直、何でもいいんです」
その言葉にみなが呆気にとられた。みな心の何処かで彼女が自分の意見に賛同してくれることを期待していたのだ。
「その、何でもいいんだぜ?味噌の種類とか具とかよ」
「別にみなに遠慮する必要などないのですよ、雪村君」
永倉と山南がやんわりと千鶴に意見を促すが、千鶴は困惑の色を深めるばかりだ。
それでも何とか答えなければならないと、千鶴は自分の思いを口にする。
「本当に、これといってないんです。強いて言うなら、みんな好きで……」
そこで一旦、言葉を区切り、みなに視線を真っ直ぐに向ける。
「何より、こうしてみなさんと食事ができるなら、それ以上に望むことなんてないんです。私には賑やかで楽しく食べるのが一番美味しいんですから。」
言い終えると、千鶴はふわりと笑みを見せた。その笑顔が彼女の気持ちを何より雄弁に語っていて、みな先程までの自分たち所行が恥ずかしくなった。
『みなで楽しく食卓を囲む』ということの大切さを、忘れかけていた。
「お前には適わねーな」
「ほんとに、君って変わった子だよね」
口々に千鶴に対する感嘆の言葉が漏れるが、千鶴自身はその言葉の真意に気づけない。
助けを求めるように隣の井上を見上げるが、彼はただ満足そうな笑みを浮かべるだけで、千鶴の求める答えは与えてくれなかった。
それから季節は巡り、明治と呼ばれる時代になった。
千鶴は戦乱の世を共に駆け抜けた愛しい人と、その人と自分の間に生まれた子どもたちと共に、静かに暮らしている。
朝、千鶴は勝手場で朝餉の準備をしていた。
最近、味噌汁を作っていると、思い出すことがある。
それはまだ千鶴が新選組に身を寄せていたころのことで、ある日の朝食の場でみなが味噌汁について持論を繰り広げたのだ。
千鶴は議論には参加せず、その様子を穏やかな気持ちで眺めていた。
千鶴は父子家庭であったし、京に出る直前は父親の綱道が行方知れずであったため、あのように賑やかで楽しい食事というのは経験のないことだった。
新選組に属していたあの時から多くのものを失ってしまったが、今は『家族』というかけがえのない大切な人たちがいる。
その『家族』たちと共に食卓を囲んでいる自分は実に果報者だと千鶴は思う。
朝餉の支度が済んだところで、家族を起こしに行く。
彼女は今、『みなで楽しく食卓を囲む』という幸せを噛みしめている。
fin.
斎藤さんが豆腐好きという以外のみんなの好みは全て捏造です。
最後誰と家族をつくりあげたのかはみなさんの想像にお任せします。