『業』


「……千鶴」

骨と皮だけになった手を握り締めながら呼びかけると、何ですか?なんて呑気な声が返ってきた。
薄い桜色の滑らかだった肌も、今では青白くその潤いを失ってしまった。僕はその桜が散っていくのが悲しくて、寂しくて、悔しくて憎らしくて、肉の削げてしまった頬に手を伸ばす。

「本当にどうしたんですか?」

僕の手に自分の手を重ねながら微笑まれると何も言えなくなる。


どうして、こうなってしまったのか。
本当はその白いベッドに、この無機質な部屋に伏せているべきなのは僕のはずなのに。

いつ灯火が燃え尽きるのかに怯えていたのは僕で、か細い腕で支えてくれたのは君だったのに。
だからこんなこと、あってはいけない。


開けていた窓から風がそよいで、それにのって一枚ひらりと薄紅色が入ってきた。くるくると舞った後に、それは彼女の頬へと不時着した。不時着して、それはすぐにまた落ちてしまった。

「もう、桜も終わりですね」

釣られるように外を見れば、数日前まで桃色に染まっていた町並みも、日常を取り戻しつつあった。

いやだ。まだ終わらないで。まだ散らないで。
だって、これではまるで……。

「今年、総司さんと桜が見れて良かったです」

「……」

千鶴は少女のようにふふっと笑った。いつか見たそれと重なって消える。
また来年も、とは言えなかった。返ってくるであろう答えを聞くのが怖かったから。

「総司さん、私は幸せだったんです」

どうして過去形なの?

「また生を受けて、こうして総司さんと出会えて、総司さんも変わらず私を想ってくれて。幸せでした」


……だけど、幸せすぎたんです。
実の兄を、育ての父を捨てた、貴方に沢山の人を殺めさせてしまった私が、人間に生まれ変わるなんて、まして幸せになるなんてことは、あってはならなかったんですよ。


そう言った後に見せた彼女の笑顔は切なそうで、でもどこか安らいで見えた。




窓の外は青々としている。換気のために窓を開けるとさわさわと葉のぶつかり合う音がする。からりとした空気が初夏の訪れを告げていた。

「千鶴……」

そっと触れようとして、やっぱりやめた。白い布に包まれた小さな箱が愛おしい。そして恨めしい。これが今の彼女の姿。元々華奢だったけど、随分と小さくなってしまったものだ。

桜が散り終わるのを待っていたかのように、彼女は逝ってしまった。



今なら、あのときの笑みの理由が分かる。
残されるって、こんな気持ちだったんだね。

きっと、僕よりずっと、もっと辛かったはずだ。寂しかったはずだ。僕は君にそんな思いをさせてしまったんだね。


だから、違うんだよ、千鶴。千鶴が悪いんじゃない。
これは君を独りにしてしまった僕の業で、僕が報いを受けることなんだ。

なのにひどいじゃない。彼女を連れて逝くなんて。


窓から燦々と注ぐ日差しに目を細める。
この抜けるような青の先、あの子は何を想っているだろう?

空に手をかざしてみるもそこにあるのは命を刻む血脈だけで、いつか見たあの生気のない青白さはなかった。

fin.







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