『ただひとつの幸せ』




「わぁ、すごいですね。総司さん」

助手席では千鶴がきゃっきゃっとはしゃいでいる。もう年齢としてはすっかり大人の女性なのだが、彼女の瞳はいつまでも少女のようにきらきらと輝いている。それは出会ったときも、そしてこれからも変わらないことだろう。




四月半ばの平日。休暇が同時に取れた僕と千鶴は、東北の山道を車で走っていた。

『ふたりでドライブでも行こうよ』と僕から誘った。千鶴が僕からの誘いを断るわけがなくて、二つ返事で今回のデートが決まった。


しかし、これはただのドライブデートなんかじゃない。千鶴には内緒だけど、実は僕にとっては大勝負だったりする。もちろんその勝負に負ける気はしないけれど、それでもかなり緊張していた。その証拠に僕の手は汗で微かに湿っている。ハンドル操作を誤らないように気をつけないと。



「総司さん、何処に行くんですか?」

開かれた窓から吹く風が、千鶴の黒髪を揺らす。その風に森林特有の空気とやわらかい千鶴の匂いが運ばれてきて、僕の肺を満たした。

その昔(と言っても生まれる前なのだけど)、僕の病を和らげてくれた空気は今も健在らしい。

「ん、秘密だよ。着いてからのお楽しみ」

僕はふふっと笑った。だって、今ここでバラしてしまっては元も子もない。

千鶴はそうですか、とだけ言ってそれ以上食い下がろうとはしなかった。普段は鈍いのに(特に色事や恋愛に対しては天然記念物級だ)、妙に察しがいいときがある。それは彼女が聡明で気遣いの出来る人間だということを表していた。

そう、千鶴は優しい。そして物好きだ。僕を愛するなんて。今も昔も、僕に……いや、僕を捕まえるなんて。

だからそんな優しい君に、今日は僕からの贈り物。ほら、もうすぐ着くよ。










「はあ、空気がおいしいですねぇ」

そう言いながら、千鶴は大きく伸びをした。

普段都会に住んでいる人間にとって山の空気というのは新鮮で、僕も深呼吸する。


車を駐車場に置いて、山にある自然公園を散策する。平日でさらにまだ春の大型連休には間があるためか、園内の人影は疎らだった。



僕は千鶴の手を取り、指を絡める。すると千鶴もきゅっと握り返してくれた。小さくてあたたかな手。とてもとても愛おしい手。

「千鶴、目、閉じてて」

「目を、ですか?」

「うん。僕がいいって言うまで開けちゃダメだよ?」

千鶴は首を傾げていたが、結局は素直に言うことを聞いてくれた。僕はそれを確認すると、千鶴の手を引いて歩を進める。

「わっ、総司さん!いきなり歩き出さないでください!!」

「大丈夫だよ。ゆっくり歩くから。あ、そこ段差ね」

「え………きゃっ」

「おっと」

段差に躓いてバランスを崩した千鶴を慌てて抱き留める。転びそうになっても律儀に目を閉じたままの千鶴に、思わず笑いそうになったけどそこは堪えた。さすがにそんなことしたらお姫様のご機嫌が悪くなっちゃいそうだからね。

「ほら、ちゃんと掴まっててね」

「うぅ……」

今度は千鶴が僕の右腕にしがみつくように掴まって、再び歩き出す。





他愛もない会話をしながら歩き、目的地に着いた。どれくらいかかったなんて知らない。千鶴と過ごすといつも時間の感覚が狂うから。つまりは楽しくて、心地好くて、あっという間に過ぎていくってこと。


「千鶴、着いたよ。目、開けて」

そう耳元で囁くと、千鶴はちょっと擽ったそうに首を窄めた。そして、ゆっくりと瞼を上げる。

「………!!」

「どう?気に入った?」

「総司さん、此処って………」

「うん、似てるよね。あの場所に」

目の前は麗らかな陽射しに照らされて光り輝く野原。草に混ざって色とりどりの花も見える。

此処はあの場所、僕たちが昔ふたりで暮らした雪村の地によく似ていた。



この自然公園のパンフレットに載っていた写真を見たとき、もしかしてと思った。だから、来たかったんだ。ふたりで。

そして、君にもう一度誓いを立てたかった。



「千鶴」

僕は千鶴の瞳を真っ直ぐ見つめて、千鶴も僕を見つめ返してくれた。互いの瞳に互いが映り込む。

右手でごそごそとポケットから四角い小さな箱を取り出す。

「僕たちは昔、ここで共に暮らした。決して永い時間ではなかったけど、僕は幸せだった。君が僕の傍にいてくれたから」


胸が一杯だ。何を言おうか何回も考えてきたっていうのに、そんなの何の役にも立たない。


「今度は、もっとずっと一瞬でも永く一緒に居たいと思ってる。そして、君を必ず幸せにするよ。だから―……」

そこで一旦言葉を区切り、大きく息を吸う。

「だから、もう一度僕のお嫁さんになって」

僕は持っていた箱を開いてリングを取り出し、千鶴の左手薬指に填めた。勿論そのリングっていうのは、よく『給料三ヶ月分』とか言われるアレだ。

「……っ……総司さん」

「なぁに?君に拒否権なんかないんだからね」

千鶴が涙を零しながら左手を大事そうに包み込んだ。

「私も、幸せでした。短い時ではあったけど……総司さんが、隣にいてくれましたから」

「うん、僕も」

「だから、私も……現世でも、来世でもその先もずっと、総司さんの傍にいたいですっ……」

しゃくりあげながら、それでも一生懸命想いを紡ぎ出してくれる千鶴。そんな姿に愛おしさがこみ上げてきて、僕は千鶴を思いっきり抱きしめた。

「総司さん。私の、お婿さんになってください」

「言われなくたって、君以外のお婿さんにはならないよ」

「……なっ、それを言うなら私だってそうですよ!」

「そうだね。そもそも君が僕以外のお嫁さんになるなんて許すはずないじゃない」

僕はそっと千鶴の目尻に唇を寄せ、涙を吸い取る。ここが公衆の場だとか、そんなの気にする余裕はないみたいで、千鶴はちょっと照れ臭そうに、そして嬉しそうに微笑んだ。








互いの指を絡ませて、それを空へと伸ばした。一粒石ダイヤが陽光を受け、きらりと光を反射する。


野原を見渡すと、まるで波打つように草花が風に揺れていた。


そんな些細なことにさえ感動してしまいそうになるのは、きっと千鶴がいてくれるから。






今日は僕から千鶴に贈り物をするつもりだったのに、結局もらったのは自分の方だ。


千鶴というただひとつの幸せを、僕は受け取ったのだから。









fin.

沖千オンリー企画作品。

幸せな沖千って書いたことがなかったので出来るか不安だったのですが、こうしてかたちにできて良かったです!


作中の自然公園は完全に管理人の妄想の産物で、モデルなどは特にありません。


ただ沖田さんにプロポーズさせたかっただけの作品。




最後になりますが、主催してくださったトノコ様、そしてこの企画に関わってくださった全ての皆様、ありがとうございました!






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