『1分間に530回転の祈り』
スイッチを押すと、ウィーンと音を立てながら銀色の円盤が回り始めた。
CDを聴くなんていつ以来だろう。
昨今では『CD不況』なんて言葉が音楽業界を蔓延り、時代はディスクからデータへと移り変わろうとしていた。
僕自身、音楽はだいたいパソコンからダウンロードで買い、聴くのは携帯音楽プレイヤー。家ではそれをスピーカーに差し込む。
だから、CDを聴くのはかなり久しぶり。
ラックを見たら埃をかぶってたくらいだもん。あーあ、掃除しないと。
部屋に響き渡るのは重低音と掻き鳴らされるエレキギター。それから、男性のハスキーヴォイス。所謂『ロック』ってやつ。『ロック』にもいろいろと種類はあるらしいけど、僕は知らない。
何で久々にこのCDを聴いてるのかっていうと、ただの気紛れ。それと、少しの感傷。
僕はその感傷に浸りながら、そっと瞼を伏せた。
「お邪魔します」
「うん、適当に座って」
学校帰りで制服姿の千鶴ちゃんは辺りをきょろきょろと見回して落ち着きがない。
それも当然といえば当然。彼氏の部屋に初めて来れば、況してや千鶴ちゃんみたいな初な女の子なら普通の反応。
僕はそれを見ながらクスクスと笑った。可愛いなぁもう。
「お茶でも煎れて来るよ。珈琲?紅茶?あ、ココアもあるよ?」
「えっと、じゃあ珈琲で」
「え?珈琲大丈夫だったけ?苦いの駄目なんじゃ………」
「さ、砂糖とミルクを入れれば飲めます!!」
ぷくっと頬を膨らませながら千鶴ちゃんは僕を睨んで来る。ちっとも怖くない。寧ろ可愛いくらいで、だから僕はついつい君をいじめてしまう。『好きな子ほどいじめたい』って言葉が本当なんだってことを、君に出会って初めて知ったよ。
「はいはい。砂糖とミルクをたっぷりね」
「子供扱いしないでください!!」
僕は笑いを堪えながら部屋を出た。
二人分のマグカップとクッキーをお盆に乗せて部屋に戻る。僕のマグカップにはブラック珈琲。千鶴ちゃんのには砂糖とミルクをたっぷり入れた珈琲、というよりはカフェオレ。
ドアを開けて室内へ入ると、千鶴ちゃんが何やら熱心に見入っていた。視線の先を辿るとCDラックへと行き着く。
「何かCDでも聴く?」
そう声をかけマグカップを差し出せば、千鶴ちゃんはありがとうございますと言いながらそれを受け取る。
「あ、別に何か聴きたいとかじゃなくて、ただ……」
「ただ?」
「沖田先輩はどんな音楽を聴くのかなって……」
千鶴ちゃんは顔を朱に染めながらも続ける。
「す、好きな人のことは何でも知りたくて……!」
「………」
僕は今、柄にもなく顔を真っ赤にしてるんだろう。
千鶴ちゃんはたまにこういうことをする。不意打ちだ。僕はそれにかなり弱いらしい。
僕は千鶴ちゃんを背後からぎゅっと抱きしめた。だって、今のは君が悪いんだよ?
「お、おおお沖田先輩っ!!」
「僕は『沖田』だよ。そんなにたくさん『お』はつかない」
千鶴ちゃんは腕の中であわあわとしていたけど、それに構わず僕は千鶴ちゃんの首もとに顔を埋めた。やわらくて甘い香りが心地良い。
「で、僕のCDラックはどう?何か気になるものあった?」
首筋に息がかかるのがくすぐったいのか、千鶴ちゃんはちょっと肩をすくめた。でも、離してなんかあげない。
「あ、えっと、私も好きなアーティストさんが多くてちょっと嬉しくなりました」
また可愛いことを言うから今度は頬に口付けをひとつ落とす。そうすると千鶴ちゃんは顔から耳まで真っ赤になった。目まで潤んできている。このままでは僕の理性が保たない。
「でも、このアーティストさんだけは分からなくて……」
千鶴ちゃんはあるCDを指差す。僕はそれを手に取った。
「ああ、この人たちはインディーズバンドだから。知らなくても無理ないよ」
「『インディーズ』………ということはプロではないんですか?」
「うん、まぁセミプロみたいなものかな。結構曖昧なんだよね」
僕は立ち上がり、ミニコンポにCDを入れ再生した。すると低いベース音が部屋に響く。
僕たちはしばらく黙ってスピーカーから溢れ出す音楽に耳を傾けた。
この人たちはバリバリのロックバンドだ。正直、千鶴ちゃんの趣味には合わないかもしれない。
そう思い、僕はCDを止めようと手を伸ばした。
「………かっこいいですね」
「え?」
僕は思わず手を引っ込めて、千鶴ちゃんを見つめる。気を遣わせちゃったのかな。
「ドラムといいベースといい、あと歌詞も斬新で、かっこいいと思います」
「………」
どうやらお世辞ではないらしい。その証拠に千鶴ちゃんの瞳はきらきらと輝いている。
意外だ。意外すぎる。千鶴ちゃんこういう音楽も好きなんだ。
僕は千鶴ちゃんの新たな一面を垣間見て、ちょっと、いやかなり嬉しくなった。自然と顔が綻ぶ。
さっき千鶴ちゃんが『好きな人のことは何でも知りたい』って言ってたけど、それは僕にも当てはまるようだ。
「そんなに気に入ったならCD貸そうか?ほかのアルバムもあるし」
「本当ですか!?」
僕は千鶴ちゃんに今聴いているものとは別のミニアルバムを一枚貸してあげた。
千鶴ちゃんは嬉しそうに笑ってお礼を言う。僕もそれに応えるように微笑んだ。
あれから何年か経ったけど、結局CDは僕の元には返ってこないし、千鶴ちゃんも傍にいない。
だから僕はあのとき一緒に聴いたCDを、今は独りで聞いてる。
因みにこのバンドは僕が高校を出た頃に解散した。まるで僕たちの別れに合わせたかのように。
「千鶴ちゃん……」
CD、返してもらってないよ?そうしてる間に、このバンド解散しちゃったし。たぶんそのCD、今頃廃盤になってるよ。だから、返しに来てよ。
僕のところに、来て。
そんな願いは胸の中に溶けて消えた。
千鶴ちゃんは、今もあのCDを聴いているのだろうか。
聴いていてほしい。
たとえ離れていても、そのときだけは僕の想いが届く。そんな気がした。
この銀盤が回転するだけ、君に祈りを捧げるよ。
fin.
一般の音楽CDは1分間にだいたい200〜530回転するらしいので、タイトルはそこから。