『メルト』
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『薄墨』/のぞまろ様よりこのSSを元にした素敵すぎて悶えるイラストをいただきました。
こちらからどうぞ!!
2月14日。バレンタインデー。
欧米では男女問わず想い人や普段世話になっている人間に贈り物をするが、日本では女性から好意を寄せる男性にチョコレートを贈る習慣がある。
今日では以前からある『本命チョコ』、『義理チョコ』のほかに、友人に贈る『ともチョコ』、自分自身のために買う『自分チョコ』、男性から女性へ渡す『逆チョコ』などその形態は様々だ。
だから、今この状況は別段変わったものではない。いや、むしろ普通だ。普通なんだ。他意はないはずなんだ。なのに俺はこんなにもむしゃくしゃとしている。人からは『役者のようだ』と称される顔には眉間に皺を寄せていることだろう。
「斎藤先輩、今日バレンタインデーなので、チョコレートです」
「俺に……いいのか?」
「はい。斎藤先輩にはいつもお世話になってますから」
朝、風紀委員と共に登校してくる生徒を待ち構えるため校門に向かうと、そこには風紀委員の斎藤と……学園唯一の女子生徒・雪村千鶴の姿があった。
千鶴は生徒で、俺は教師だが、その垣根を越えて交際している。この事実は親しくしている一部の生徒と教師しか知らない。
そう、だからここでいくら自分の彼女が他の男にチョコレート(所謂義理チョコだが)を渡している現場に直面しようが堪えなければならない。
決して嫉妬の念を表に出してはならないのだ。
「おはようございます、先生」
「土方先生、おはようございます」
「あぁ、おはよう」
俺に気が付いた千鶴と斎藤が挨拶をする。
俺は胸に渦巻くどす黒い感情をなんとか抑え込んで、ふたりに答えた。
「おーい、千鶴!!」
「平助君」
校門の向こう側からバタバタと平助が駆けてくる。
「おはよう、千鶴」
「おはよう平助君」
平助は千鶴の傍まで来ると立ち止まり、息を切らしながら挨拶を交わした。
そんなほのぼのとした空気をぶち壊すかのように、新たな嵐がやって来た。
「おはよう、千鶴ちゃん」
「お、おはようございます。沖田先輩」
沖田は千鶴の隣にいる平助をべりっと音が聞こえてきそうな勢いで引き離すと、千鶴に向けて微笑みながら朝の挨拶をする。
その微笑みはいつも目だけ笑っていない。それに気づいたのだろう千鶴が、少しぎこちなく挨拶を返した。
「ねぇねぇ千鶴ちゃん。今日バレンタインデーだよね?」
「え?あ、はい。もちろん沖田先輩たちの分もありますよ」
そう言うと千鶴は紙袋から小さくラッピングされたチョコレートを取り出し、総司に手渡す。先程斎藤に渡していたのと同じものだ。
「ありがとう千鶴ちゃん」
「いえ。いつも先輩にはお世話になってますし」
おいおい、斎藤には世話になってるかもしれないが、総司には世話になってない、寧ろ逆だろう、と言いたくなったが堪えた。
「はい、平助君にも」
「俺にも!?サンキューな、千鶴」
平助は少し顔を赤くしながら満面の笑みで千鶴からチョコレートを受け取る。まったく、わかりやすいやつだ。
千鶴は皆にチョコレートを配っている間、終始笑顔だった。日頃からいつもやわらかい笑顔を浮かべているが、今日に限ってはそれが気に食わない。
「おら、さっさっと教室行け。本鈴までに席に着いてなかったら遅刻だからな」
俺は内心の乱れを隠しながら早く教室に行くよう皆を促す。教師の仕事だ。
「もう土方先生、千鶴ちゃんからチョコ貰えなかったからって当たらないでくださいよ」
「うるせー。教師が生徒から堂々とモノなんて受け取れるかよ」
総司が憎まれ口を叩きながら昇降口へと向かう。委員会の仕事がある斎藤を除く千鶴、平助もそれに続いた。
俺の脇を通り過ぎるとき、千鶴は何か言いたげに俺をチラリと見たが、すぐに視線を戻して昇降口の中へ消えていった。
あぁ、今日ほど教師という職業を疎ましく思ったことはないだろう。
俺は小さく舌打ちをした。
それから一日、俺は苛々を抑えながらもなんとか職務を全うした。ただ、些かニコチンの摂取量が増えた気はするが……。この際それは気にしないことにしよう。
部活を終えた生徒たちが続々と帰路に着くのを、俺は煙草を吹かしながら職員室ベランダから見ていた。
ところで、この煙草は今日何本目だ?
辺りは既に薄暗かった。
治安が良いといわれる日本だが、最近は物騒な事件が多い。……千鶴は無事家に着いただろうか?
千鶴のことを考えると、どうしても今朝のことを思い出してしまう。
ああ、ただの嫉妬だ。んなこたぁわかってんだ。しかし、俺はここまで独占欲が強かったか?たかがほかのヤローに笑顔で義理チョコ配ってたくらいで……ああ苛々する。俺以外のヤツにんな笑顔向けんじゃねぇ!!ああ、ただの嫉妬だ。んなこたぁ…………
そんな思考を頭の中でぐるぐると巡らせていたときだ。ポケットの中の携帯が震え、着信を伝えた。
仕方なしに携帯を取り出し、背面ディスプレイの名前を確認すると慌てて携帯を開き、内容を確認する。メールが1件届いていたが、そのシンプルさと内容に少し驚く。
俺は携帯を閉じると、職員室を後にした。
物理室や音楽室など教科ごとの教室が集まった特別棟の廊下を進んでいくと、甘い香りが漂ってきた。この匂いは……。
そこで目的の教室に着いたので、ドアをガラリと開ける。すると一層甘い香りが鼻腔を刺激した。
「土方先生!!」
目的の教室……調理室にはエプロン姿の千鶴がいた。尤も、彼女が自分を呼び出した張本人なのだから、当然といえば当然なのだが。
「ちょうどよかった。今焼けたところなんです」
盛り付けるのでちょっと待っててくださいと言いながら、千鶴は手早く作業をする。どうやらケーキか何かを焼いていたようだ。
「あたたかいうちにどうぞ」
千鶴は満面の笑みを浮かべながら俺に皿にクリームとともに盛り付けられたケーキを手渡す。
「これは……?」
「あ、フォンダンショコラです!!……今日はバレンタインデーですから……」
千鶴は耳まで赤くしながらごにょごにょと答える。ああくそ、可愛すぎるだろ。
「それにしても、チョコならみんなに作ってただろ。別にわざわざ学校の調理室借りてまで作らなくても……「そ、それはですねっ!!」
俺の言葉を遮るように千鶴は声を上げた。心なしか先程より顔が赤くなってる気がする。
「だ、だって。フォンダンショコラは温かいからこそ美味しいものですし。それに……」
「それに?」
「土方先生は特別です。本命チョコですもん。本命チョコには何か特別なことがしたかったんです」
千鶴が真っ赤な顔で上目遣いに見つめながら言う。
やられた。完敗だ。
「そうか」
俺は頬が緩むのを抑えながらフォンダンショコラをフォークで切り、口に含む。切った断面からはチョコレートが溶けだしていた。
「……どうですか?」
「あぁ、うまいな」
千鶴があまりに真剣な顔をして訊いてくるから笑いそうになるのを抑え、正直な感想を述べた。すると千鶴はそれはそれは幸せそうに微笑んだ。
すると今まで胸に引っかかっていたものが消えて、楽になっていくのがわかった。
千鶴の笑顔と口内に広がる甘さに、俺のつまらない独占欲や嫉妬は全て溶かされてしまったようだ。このチョコレートのように。
チョコレートのお返しだとばかりに不意打ちで口付けてやったら、千鶴はまるで林檎のように顔を赤くした。まったく、どこまで赤くなるのやら。
千鶴はいきなりなんてひどいですと言いながら頬を膨らませていたが、本当は嫌がってなどいないことを知っているから、俺は残りのフォンダンショコラを口に運んだ。
「千鶴」
「はい」
「ありがとな」
「はい!!」
愛おしさを込めてもう一度千鶴に口付けた。今度は不意打ちではなく真正面から、堂々と。
願わくば、来年も、その先もずっと共に、なんてことは思っていても言えなかったりするが。
fin.
バレンタインでフリー配布したものです。
某有名ボカロ曲とタイトルが一緒ですが、特に関係ありません。
フォンダンショコラ食べたい。