いつ何時も其方の熱を傍らに 1


「あぁ、気持ちいいな」
 心底感じ入ったように耳元で紡がれる言葉を、どうにか止められないものかと肩口に歯を立てた。それでも低く、楽しげに笑うから背中の皮をガリガリと剥いてやることにする。
 気分が悪い。抱きかかえられて膝の上に乗せられた体勢、隙間なく触れ合う湿った胸、真っ暗な部屋の中に充満する熱、どちらのものかもわからぬ荒々しい息遣い…何もかもが気に障る。体内に穿たれた熱が動く度に、意図せず、押し留めようという試みも無下に伏されて己のものとは到底思えぬ嬌声が喉奥から湧き出て、まるで自分の身体ではなくなってしまったかのようだ。
「っぐ……ぅ、ふ……っ」
 感じている不快感を知らせようと更に力強く歯と爪を立てた。声で知らせれば逆効果だ。家康の脳みそは物事の真偽を捻じ曲げることに特化している。嬌声混じりの文句など情欲を煽っているだけだとしか受け取らない。
 言葉が通じぬのなら実力で排するべきだろう。三成は嫌な事を甘受するような奥ゆかしい性格ではない。相手が家康であるなら尚のこと――否、それ以前に男が、それも一介の武将が同じ性を持つ者に組み敷かれて、おとなしくしているというのは如何なものかと思う。
 両手を背に回し、筋張った肉を繰り返し掻いて、滑り出した指先を肩越しに見る。骨ばった己の紅色に染まった指先が、水面に映った絵のように歪んで見えるのは何故だろう?
「三成」
 さすがに意思が通じたのか、家康は三成の腰から両手を離して長らく続けていた律動を止めた。額やこめかみに張り付いた髪を梳かれるのは心地よいが掌の熱は気に食わない。熱い、熱い、酷く不快だ。熱いのだから離れるべきなのだ。家康の体温は高い。同じように発汗していても熱いと感じる。
 肩に食い付き、眉を寄せた三成の表情は家康からは当然見えない。見えたところで家康が離れるとも思えない。
「三成、顔が見たい」
 常時より掠れた声が耳に吹きかかる。その息も寄せられた唇も掌と同じく熱かった。
「返事をしてくれ、三成」
 三成は返事の代わりに背中へと爪を立てた。噛み付く力も緩めず、きつく目を閉じる。触れられた部分から熱が移らぬよう、拒絶の意思を持って。
 だが家康には痛みを持ってしても意思が通じないらしい。
「声が聞きたい」
 切なげな声音が耳朶を打つ。家康の一方の手が促すように頬を撫で、肩を撫で、背骨をなぞって腰に落ち着く。もう片方の手は変わらずに髪を撫で続けている。
 酷い男だ。取り繕うことに長けた狸だ。三成が望まぬことばかりを繰り返す。それを正当化して涙で濡れた顔を晒せと言う。みっともなく声を上げることなど出来ようはずがない。
「三成」
 甘く、甘く、名を呼ぶ声がする。流されるものかと齧りついた硬い肉から鉄錆の味が滲む。
 本来、人の生き血など不味いはずだ。甘く感じてしまうのは味覚さえも狂わされているのと喉が渇いているせいだ。やめろと、もう嫌だと言っているのに止まらない腕の中のケダモノのせいだ。
 ジュルリと音を立てて血を啜った。やはり甘く感じる。これも一種の毒ではないか。出所の知れぬ不満が朦朧とした頭の中をクルクルと巡る。
 過ぎた薬は毒だ、と言ったのは誰だったか。眠れぬと言って薬を飲む三成に誰かが言った。ならばワシが薬になろう≠ニ。
「ワシの血は美味いのか?」
 脳裏に浮かんだのと同じ声が苦笑して問いかけた。美味いはずがないと口を離せば、間髪入れずに家康の両眼が眼前へと迫る。口元に視線をやる暇もなかった。果たして笑みを浮かべていたのかどうか。
 歯列を割って入り込んだ舌にされるがまま、口内を荒らされて呼吸も思考もピタリと止まる。ただでさえ誤魔化すのが上手い狸の思惑を目線だけで推し量ることは難しい。
「不味い。こんなものを食ったら身体に毒だ」
 たっぷりと時間をかけて存分に口内を蹂躙した家康は傲慢に告げて、腰の下を繋げたまま前倒しに身体を傾ける。
「っ、急に……動くな……!」
 飛び出しかけた声をどうにか押し殺して背中にみちりと爪を立てる。敷いた布団の上に背を乗せられると同時に激しく突き動かされて血の味も喉の渇きも吹き飛んだ。
 クツクツと笑う声が聞こえた気はした。けれど、それすらも化けの皮やも知れぬ。全て剥いだらどんな色合いなのだろうか。熱された鉄のような色か、熟した果実の色合いか。
 もはや何もかもが融けている。思考も取り留めなく流れて脈絡がない。どこまでが己でどこからが家康なのか境界線すら曖昧だ。
 確かなのは触れる熱。いつまでも合わさることのない体温だけを追って三成は固く目を閉じた。



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