徳川家康には「自分の目で民の様子を確認したい」と言って城下や、時には農村にまで出向く癖があった。 悪癖である。時は戦乱、一国の主がみだりに出歩いてよい世の中ではない。家中に諌める者もいたが、家康は彼らの目を掻い潜って度々、城を抜け出す奔放な当主であった。 竹丸は元を辿れば、そのために用意された影武者だった。家康が城内に不在と知れれば、城外にいると目されるわけで、そうなれば当然、首を狙う不届き者が増える。主の身を守ろうと家臣たちが捻り出した、苦肉の策だ。 竹丸に不満はなかった。家康は竹丸に対して優しい。いつ如何なる時も頼れる人物だ。主従というよりも家族のような、本物の兄弟のような関係だった、と思う。 だから、待っていた。 関ヶ原の後に、ふいと姿を消した家康がいつか戻ってくると信じて、今日の今日まで影武者をやってきた。 それなのに、どうして己は――厳しい顔で槍を携えた家康に「家康」と呼ばれているのだろう? 時は数日、遡る。 徳川家康は関ヶ原の地に立っていた。大一大万大吉の旗印が掲げられた西軍の本陣だ。見通しの良い岩壁の上にあり、足軽たちが戦っている場所からは遠い。 どこかで、ひゅるひゅると大砲の飛ぶ音がする。しばらくして地を揺るがす爆音が鳴った。兵は何人、犠牲になっただろうか? けれど鬨の声が弱まることはない。 西も東も、皆、必死だ。 戦いは終わったというのに。 家康は崩れた岩壁の下に臥した、白い人影に近づいた。堂々とした足取りで表情に翳りもない。泰平の世を築くために、やるべきことをやった。悔いる気持ちは遠の昔に捨てている。秀吉を倒すと決めた、あの雨の日に。 そうして復讐に走った三成を殺した。 実感がなくとも事実。幾度となく身体を掠めた刃、黄色い戦装束の所々が破けて血に染まっている。未だに解くことのできない拳はジンジンと痺れており、限界まで動き回ったせいで身体がくまなく火照っていた。 ――熱い。雨でも降らないものか。 思いながら、乾いた大地に横たわる痩躯を見下ろした。 「……浅かったか」 白金の鎧に包まれた胸が微かに動いている。とは言っても、瀕死の有様だった。このまま放っておけば死ぬかもしれない。仰向けに倒れている三成の口元は真っ赤に染まっていて、夥しい量の血を吐いたことが見て取れる。 ――醜い死に顔は見たくないな。 家康は三成の身体を起こして岩壁に凭れさせた。血を喉に詰まらせて死ぬのは苦しいだろう、と思ったのだ。苦しい死に様は歪んだ死相を生む。せっかく穏やかな顔をしているのだから、穏やかな顔のまま死んで欲しい。 手を離すとカクリ、と三成の身体が揺らいだ。 「っと」 慌てて肩を掴み、支える。掌に掛かる遠慮のない重みに「それもそうか」と納得した。気を失い、ましてや死に掛けている者が自力で座れるはずもない。 家康は乾き始めた頬の傷を指先で引っ掻き、「仕方がない」と呟いて三成の背後に腰を下ろした。膝の間に三成の身体を置き、己の胸に頭を預けさせて腹に両腕を回す。別段、特に何を思ったわけでもない。身体を支えてやろうとしたのだ。 けれど、すぐに嫌気が差した。 ただでさえ火照った身体に人の体温は不快だ。三成の身体も動いていたせいで体温が高く、汗に濡れている。 頬に張り付いてくる白い髪から顔を遠ざけて、家康は眉を顰めながら考えた。 ――どうして三成はいつもワシを不快にさせるのだろう? 豊臣にいた頃からそうだった。家康と三成は何から何まで反りが合わない。合わせようと試みても反らされる。嫌われるようなことをした覚えはないのに、三成はいつも家康を邪険に扱い、馬鹿にして、「臆病者め」と軽視する。 家康とて人の子だ。そして戦乱の世に生まれた武将だ。臆病と言われれば腹が立つし、戦で武功を立てたい気持ちだってある。けれど、それでは無駄な血が流れるだけで泰平の世は成らないと知っているから耐えているのだ。 三成はそんな家康の抑圧された心を破裂させようとする。 だから家康は三成のことが苦手だった。正直に言うと嫌いだ。表面上、「三成は真っ直ぐなやつだ」と笑っていても苛立つものは苛立つし、それを表に出せないものだから、より一層、不平不満が胸中に蓄積される。 意に反して、三成の存在がやたらと鼻についてしまうことも要因だった。家康は滅多に人を嫌いになることがないので、逆に三成が傍にいると「ああ、嫌だな」と思って注視してしまう。そうすると三成は「何を見ている」と訝しみながら寄ってきて、家康がどんな言い訳をしようとも、罵詈雑言を吐き捨てて去っていくのだ。 「ワシはお前のことが、」 嫌いだ、と音には出さず、代わりに長く細いため息を零した。今更言っても遅い。伝わらない言葉を紡ぐほど女々しくない。けれど伝えられなかったから、きっと一生、心に残る。 「降らんものかなぁ」 家康は、しぶとく息を続ける三成の身体を恨めしく思いながら、暗雲垂れ込める空を 見上げて雨を願った。この空模様は家康の心模様とそっくりだ。 空が変われば、少しは心も晴れるだろうに―― それから二日が過ぎた。 石田三成は夢を見ていた。懐かしい夢だ。まだ秀吉が生きていた頃の、家康が仲間だった頃の夢だった。 家康が笑っている。俗に愛想笑いと呼ばれるであろう、その笑みが三成は好きだった。本当は、他の者と話している時に浮かべている、本心からの笑みの方が好ましいのだが、それは決して三成には向けられない。 嫌われているからだ。 何故、嫌われたのか。気付いたら嫌われていた。 けれど、三成は家康が好きだった。 三成とて人の子だ。好きな相手に嫌われるのは悲しい。だが、どうやれば好かれるのか、見当もつかない。嫌われた理由さえも思い当たらないのだから当然だ。 ゆえに、いつからか他者を羨む気持ちさえも薄れて、「本心からの笑みを向けられなくとも、愛想笑いを向ける相手は己だけなのだから良いではないか」と思うようになった。 秀吉が、家康に倒された後も。 変わらずに好きだ。好きだからこそ悲しい。だって家康は他の者たちとは上手くやっていたのだ。戦を嫌っていたのだ。自ら天下を揺るがして、戦乱を長引かせるとは思えない。 三成は、熱に浮かされた夢幻の中で考える。 ――家康は、私のことを嫌って謀反を起こしたのだ。 秀吉さまを狙ったのは、私が秀吉さまを敬愛しているからだ。家康は私に苦痛を与える為に秀吉さまを殺した。 許せない。けれど、悲しい。 そこまで嫌われているのだろうか? 安易に殺すことさえ、厭うほどに? next/top/novel |