近江に帰って数日後に気付いたことがある。 風呂敷に包んで持っていった、件の土産のことだ。 いつもの癖で書机に向かった矢先に気がついた。一見、何かの書物のように見えるあれは、この机で記された日記である。几帳面な三成にしては珍しく、気分で付けていたものなので日付さえも記されていない。 どうしようもなく感情が昂ぶった時の捌け口だった。 最初の手記は関ヶ原の終わりから。 あの頃は酷く心が荒れていて、家康への恨み事ばかりが並べられていた。お世辞にも上手いとは言えない乱れた文脈の中に何度も「殺したい」と「死にたい」が出てくる。 そして次は真偽を問うような言葉ばかり。 不安で仕方がなかった。その頃の三成は死にたいと言いながらも生への執着が芽生え始めていた。繰り返し、生きてもいいのだろうか? と問う言葉が出てくる。そんな己を不忠者だと罵り、生き恥を晒すな、と叱咤していた。 変化が起きたのは、この近江の邸宅に移った後。 三成が隠居した、という噂を聞きつけて、様々な者たちがこの地を訪れた。遠路はるばる、己に会いに来る者がいることが不思議で、けれど心は安らいだ。 生きていても、良いのだと。 そう思わせてくれる者たちに感謝した。 家康に心を傾けるようになったのは、それからだ。 誰よりも強く生きて欲しいと願ってくれた。敗軍の将でありながらも生きられるように配してくれた。自分の我侭だと言いながら、三成を縛りつけようとはしない。ただ隣にいるだけで幸せになれるのだと――目を細めて笑う。 慈しむようなあの笑顔が好きだった。呼びかけられると浮き足立った。真面目な顔で「好きだ」と告げられる度に鼓動が早まり、幾度となくうろたえた。 触れる体温が恋しくて、離れがたいと何度も思った。 けれど、やっぱり怖かった。天下人という重責が家康の背後に見え隠れする度に、距離を置かねばならないと書かれている。何の手助けもできない己の身が歯がゆくて、突き放すことしかできなくて、いつも心が軋んでいた。 近頃の日記には何度も、何度も同じ文言が綴られている。 ――家康。今度は私が貴様を幸せにしてやりたい。 私が家康にしてやれることは、ないのだろうか……? next/back/top/novel |