夜更け、三成は竹丸の腕の中で目覚めた。 うるさい、と思って肩越しに振り向くと、目の前に大いびきを掻いて寝ている家康の、いや、竹丸の顔が現れて叫び出しそうになった。どうやら門前で竹丸の帰りを待っているうちに眠ってしまっていたらしい。 叫び声を無理やり押し殺した為に、腹の傷から内臓が零れたのではないかと思うほどの痛みを感じたが、呻き声さえも出さずに耐えた。 ――だって、起こしたくない。 家康ではない。けれど、同じ顔の男が隣で暢気に眠っている。触れている肩が、背中が、腕が、足が温くて、離れてしまうのが惜しい。もっと触れていたい。 三成はそっと寝返りを打って、竹丸の胸元に顔を埋めた。これも家康と同じなのだろうか? 想像していたとおり、陽だまりの匂いがして、あまりにも悲しかった。 本当は、触れてみたかった。 太陽のような笑顔を向けられたかったのだ。 八日目、家康は愉悦に浸る。 家康は先日殺した女の首を、三成の顔を知る東軍武将の屋敷に投げ入れた。わざわざ西軍本陣から持ち去った、大一大万大吉の旗印が入った布に包んで。 投げ入れた直後に騒ぎが起こり、翌日には西軍総大将の首が出た、と触れが回った。三成が追われることはもうない。 あとは三成に「西軍総大将の首が出た。もう安全だ」と告げてやるだけだ。もちろん女を殺したことは伏せる。これで三成は家康に感謝するだろう。きっと仲良くなれる。 そう、家康は関ヶ原の地で考えたのだ。 己が三成を嫌っている理由、三成に改善して欲しいところ。あの高飛車な態度がいけない。人の話を聞かないのも、どうかと思う。何より、馬鹿にされるのが気に食わない。 そして、それらの欠点を無くした三成を想像した。 悪くない。いや、むしろ好ましい。 苛烈な性分で知られる三成だが、家康以外の人間には最低限の敬意を払っている。家康はその敬意だけで十分だ。欲を言えば、秀吉や半兵衛のような扱いを受けたいものだが、そこまで行かずとも、十分に好ましい人物だと思える。 では、どうすれば三成を変えられる? 降り出した雨を浴びながら、家康は答えを導き出した。 恩を売る。命を救って見直してもらう。他人のふりをして甲斐甲斐しく世話を焼き、味方だと言って「秀吉を殺した徳川家康」を一緒に殺してやればいい。 三成は「竹丸」に相当、心を許しているようだ。 もう少しで何もかもが上手くいく。 十日目、家康は策を進めた。 「三成。先日、お前の首が上がった」 「なんだと……!?」 「面立ちがよく似た首を偽装したのかもしれない。総大将の首が上がったとなれば、一気に士気が落ちるからな」 三成は顔を引き攣らせたまま、俯いた。 家康は少し間を空けてから、言葉を紡ぐ。 「だがワシは逆に好機ではないかと考えている」 「策があるのか?」 「家康公は泰平の世を築くため、関ヶ原から兵を引くだろう。三河か、新たに開拓した江戸に向かうか……」 ワシだったら京に向かう、と思いながらも、ひとしきり悩む素振りを見せて続ける。 「どちらにせよ移動することに違いはない。そして三成、お前は死んだことになっている」 「何が言いたい?」 「言わすともわかるだろう? 影武者をやっていたワシならば家康公……いや、家康を呼び出すことができる」 「つまり、家康を暗殺しろと?」 「三成は好かない方法だろうが、秀吉公の無念を晴らすには、この方法しか残されていない」 三成は返事を寄越さなかった。 家康は訝しく思いながらも、返事を待った。 十一日目、三成は竹丸に背負われて山を下りる。 山を下りる体力すら残っていないらしい。半分ほど下ったところで膝が笑って立てなくなってしまった。竹丸は「病み上がりで無理をさせた」と言って、頼む間も断る間もなく三成の身体を背中に乗せた。 「すまない」 三成は素直に謝罪した。 「謝るよりも礼の方が嬉しいな」 人一人を背負っているとは思えない足取りで、木の根が隆起する山道を下りながら、竹丸は陽気な声で促してきた。 「そういうものか」 「少なくとも、ワシはそうだ」 「そうか」 陽だまりの匂いがする太い首に顔を埋めて目を閉じる。 竹丸が家康だったら、と叶いもしない願いを込めて、三成は「ありがとう」と小さく呟いた。 十二日目、家康の計画は大きく狂う。 山を下り、近江の街に着いた家康は、しかるべき手段を用いて、竹丸の演じる「徳川家康」に文を届けさせた。返信はすぐに寄越され、上質の和紙に記されていたのは「今すぐにでも向かいまする」という、思惑どおりの答えだった。 一人で来るように、と命じてあるので、当然、一人で来るだろう。落ち合う場所は件の竹林だ。あの場所はよほど人目につかないらしい。三成の身代わりになった女の首無し死体も、未だに発見されていない。 約束の刻限まで時間がある。 家康と三成は竹林の中を散歩していた。 「良い場所だな」 舞い落ちてきた笹の葉を掌に受け止めて、三成がポツリと零した。木漏れ日を見上げる横顔が白い。同じく白い髪も光を受けて輝いている。穏やかな表情も相まって、この世のものではないように見えた。 何故だか、ふいに三成の肩を抱き寄せたくなって、家康は右手に携えた槍の柄をグッと握り締めた。ここが最後の関門なのだ。気を緩めてはならない。 ――竹丸を「徳川家康」として殺す。そして家康は三成にだけ「竹丸」だと思わせたまま、天下人になる。 これさえ済めば、家康が練り上げた計画は完成だ。 家康は、淡雪のような三成の横顔を眺めて、長きに渡った戦乱の世に思いを馳せた。決して相容れることなく敵として戦い、負の感情さえ持っていた相手が隣にいる。こんな風に穏やかな時を共に過ごすことができる。 ――失わなくてよかった。 切に安堵した家康の耳に一人分の足音が届く。 そして、家康は自らの過ちを知る。 石田三成は「徳川家康」に問うた。 「貴様は、私の首が手に入れば笑うのか?」 東の総大将「徳川家康」である竹丸は、当然、こう答えた。 「ああ、そうだな」 三成はその時、初めて家康の前で笑顔を見せた。 「ならば、手に入れるがいい」 言って、自らの刀を「徳川家康」に差し出した。 家康は呆然と立ち尽くしていた。 しかし、竹丸が刀を抜き、三成の首へと振り下ろす段となって、ようやくハッと我に返り、 「やめろ!」 叫んで、手にあった槍の穂先を竹丸の喉に突き入れた。 笹の青葉が鮮血に染まる。 「家康?」 三成は童のように呟き、地面に転がった「徳川家康」の首を両手で拾い上げた。ペタリと地面に座り込み、首の髪についた笹の枯葉を指先で取り除いて、滴る血も気にせず―― 「本物は陽だまりの匂いがしないのだな」 驚いた顔で死んでいる「徳川家康」の首へと、愛おしげに頬をすり寄せて、クスクスと狂った笑い声を立てた。 了. ----備考---- 合同誌「ふさぐ」に寄稿した小説です。 「暗い・鬱ヶ原」をテーマにした本でした。 推敲した私も鬱になりました。 back/top/novel |