ー東京ってすごい冷たいとこらしいよ、物理的にも心理的にも。
 ーえー、怖いなー。どうしたらいいんだろう?
 ー大丈夫。どうもしなかったら。

 だって、誰の目にも映らない。

 誰もかれも、わたしの存在になんか気づきはしないのよ。

 セルフ・ネグレクトが見事に反映されたこの部屋では新たな生命が誕生していた。蛆だ。
目の前でハエ同士が交尾しているのが見えた。わたしは彼氏がいないのにこいつらは無断で家賃五万円の家に侵入して無断で結ばれて無断で交尾している......そんなの許されない......と思ったけれど、わたしは何もできなかった。

 ひどい鬱だった。

 わたしは東京へ出て、お笑い芸人をやっていた。 「ざ・ハイハイず」というコンビ名だ。
 相方が、幼馴染だったから。
 名前は幸樹。いかにも幼馴染って感じの名前だった。
 で、いかにも、モテそうって感じの名前でもあった。
 幸樹はお笑い芸人になってから激しくモテ出した。出待ちの女と毎日セックス三昧だった。シモキタでのライブとかたくさんあるから練習したかったのに、あんまり幸樹側が乗り気じゃない日々だった。
 たまに練習すると、帰りにすき家に寄った。そこで光輝はいつも牛カルビ丼を頼んで、昨日セックスした子はおっぱいがデカくてあーだった、一昨日の子は背が低くてこーだった、という話をわたしにしてきた。
 わたしは、幸樹のこと、大好きだった。
 幸樹のこと、一番近くで見てたかった。
 幸樹がずっとお笑い芸人になりたいの、知ってたから。わたしの小さい頃からの夢は、幸樹の隣にいられる「お笑い芸人」だった。
 別にいい。今、つまんない女ファンとセックスしてたっていい。
 だって絶対、いつか、光輝が一番大切な女の子はわたしだってことに気がつくもんね。
 小さい頃にわたしたち出会って、夢まで一緒。お笑いセンスもあって、そんな女が側にいて。
 本当に大切な存在はこんなに近くにいたんだって。
 これが、上質なジョークだと思っていた。

「M-1うまく行かなかったね...」
 2023年のM-1にわたしたちは出たけれど、結果は無念。
 わかってる。多分、一生売れることはないことわかってる。
 幸樹も多分それをわかってて、悲しそうに、でも自分を鼓舞するみたいに笑ったあと、ファンの女たちに慰めセックスをしてもらってた。
 でもそんなある日、大きな動きが起きた。
 芸人のツテで、お笑いじゃないんだけど、光輝が俳優として、結構有名な舞台に立たせてもらえることになった。
 売れるかもしれない。光輝がなりたかったのは「お笑い芸人」だけど。わたしがなりたかったのは「お笑い芸人」だけど。
 光輝のそばにいて、光輝は「お笑い芸人」になることより、売れることの方が、ずっとずっと強く熱望した夢に変わっていっていたことに、わたしははっきり気がついていた。
 だからわたしは、わたしなんか置いていっていいから、光輝が、自分が好きな人間になればいいと思っていた。
 そんな光輝が、わたしのものであれば全部問題がなかった。
「冷凍都市、Twitterでもすごい話題だよ、最近の舞台で一番楽しみにしてるって友達も言ってた」
「有名な女優の〇〇さんが出てるもんね」
「光輝の魅力に世間のみんながようやく気づいてくれて、わたし、嬉しい」
 ある日急に牛カルビ丼に飽きた光輝は、鶏そぼろに浮気した光輝は、いつも、スプーンにご飯と鶏そぼろと卵を乗せて、小さな丼のようにして、まるで蛇のように、無我夢中に、口に放り込んで、丸呑みする。
 わたしは牛カルビ丼を食べながら、なんとなく、パスタを食べたいなと思った。スプーンをクルクルしながら、光輝に話しかけたいなと思った。そっちの方がロマンチックでオシャレだなと思った。
「ねえ、光輝」
「女優の〇〇さんと、セックス、した?」
 わたしが笑顔でそう聞くと、光輝はガッと顔をあげた。
 鶏そぼろ丼をごくりと飲み込むと、光輝は、
「〇〇さんとはしてないけど、運命の人と出会った」
 と、しれっと言った。
 わたしは
 は? は? と思っていた。
「宇上、宇上さん。冷凍都市書いた人。あの人、すごいなあ。俺の人生で、あの人と出会えたのが、ほんまに収穫やわ。宇上さんの口から出てくる言葉全部好きや。着想力も、うだつが上がらんて。俺、あの人とタッグ組んでガンガンやっていきたくて。必死で口説いて、次の舞台も出させてもらうことになった。今、人生で一番楽しいし嬉しい。ほんま、上京してきてよかった。」
 光輝の顔を見る。ぐにゃぐにゃ歪んでいる。頭があついのに、身体中は寒気がしている。
 病気のようだった。
 何なの? その笑顔。破顔した、表情。今までそんな顔、一度もしたことなかったのに。
 何笑ってんだよ。
 喜んでんじゃねーよ。そんな、オシャレぶった、わかった気になってるどうしようもない、アホばかクソ女、どこがいいんだよ。
 いつもみたいにやり捨てしろよ。
 女なんて体だけの、顔だけの、お前をちやほやしてくれるだけの、どうしようもない、肉で、ずっとそうだっただろ。
 もっと自分の価値観を加速させろよ。
 〇〇とセックスすることで、週刊誌に撮られて、報道されて、どうしようもないクズだけど、男としては、価値が出て。
 そんな男がわたしを選んで
「ありがとう、果林」

 宇上 神(うがみ じん、1990年1月1日 - )は、日本の脚本家。血液型はAB型。出身は東京都。アーティストの友人に、〇〇や△△などがいる。

 略歴
 高校在学中に演劇部に所属。演劇の脚本も併せて担当していたところ、親戚のサマーミュージックのスタッフに才能を買われ、「蛇の女」[1]で脚本家デビューを果たす。そこで初主演女優をつとめていた〇〇と親交が深く、〇〇主演の「罰」の脚本もつとめる。
 サマーミュージック主催「この脚本家がすごい!2022」にて最優秀賞を受賞。

[1]楽園 紫苑監督「蛇の女」(2007年)

 
 わたしたち、ハイハイしてたころから出会って、手を繋いでた。
 光輝はずっとおしゃぶりを手放さなくて、光輝ママがわたしのお母さんに相談して、わたしは、光輝ってガキだなって、誰がついててあげないと何もできないんだろうなって、そのとき思った。
 わたし、光輝のちんぽ、見たこと、ある。
 女子高生のとき、お弁当に入ってた、ころころウインナーみたいな、そういうちんぽで、それがおむつで大切に包まれてて、それで.....。

「〇〇です、冷凍都市、初公演本当にありがとうございます、感無量です。みなさんのおかげです、ありがとう」

 パチパチパチパチ
 涙ぐみながらそういう〇〇を、わたしは関係者席で、冷めた目で見ていた。
 〇〇の横には宇上がいて、その横には冷凍都市の監督・楽園がいた。
 みんな嬉しそうにしてる。この中で不機嫌で、成し遂げなければいけないことがあるのはわたしだけである。

「宇上です。今まで書かせていただいた脚本の中で、トップレベルだと自負しております。主演女優の〇〇だけでなく、今回の舞台が初出演の種那場くんの演技力もほんっとうに素晴らしいです。皆様と一緒に見ることができるのを心から楽しみにしております」

 パチパチパチパチパチパチ
 わたしは全身の毛穴がかっと開いて、顔が熱くなるのがわかった。
 宇上。こいつが宇上。この女が、宇上。

「楽園です。《東京》という夢を持った人間がたくさん蔓延る街。冷凍都市は、そこを都市として定めくらす人の持つ《熱》に着目した話になっています。
 夢の熱、愛の熱、嫉妬の熱、絶望の熱。
 純粋なあたたかい熱、つめたいけれど、ドロドロとした感情がこもっている熱。
 それはあついのかつめたいのか。
 とにかくたくさんの《熱》を見ることができます。皆様にぜひ楽しんでいただけると幸いです」

 がちゃん
 全主演者やら関係者がオナニーの言葉を吐き出し終え、「なんか......終わったな」って感じでみんなが席を立ち、誰もいなくなった。
 わたしは静寂の中、七分ぐらい静止して、目を瞑って、全てを脳裏でシミュレーションした。
 わたしは全部わかると、立ち上がり、彼女たちが気持ちよさそうに話をしていた会場を後にした。
 そして廊下に出て、わたしは、宇上を見つけた。

「あっ、宇上さん」
 宇上は丸い目をして、振り返る。背の低い、色黒気味の、汚いそばかす、メガネ、ダサいポニーテールを一瞬で見た。一緒に歩いていたモブの関係者どもも振り返って、わたしを訝しげな目で見る。
「初めまして。光輝と一緒にお笑いコンビを組んでいる果林です。」
「あっ、種那場くんの......」
「いつも光輝がお世話になってます。」
 ニコニコニコ! という調子で笑顔を向ける。光輝と仲がいいことがわかった宇上は、親しい人間に向ける感じのいい笑顔を見せた。
「あの、実は、光輝が言ってることで、宇上さんに伝えたいことがあって......ちょっと、別の部屋で軽くお話をさせていただいても大丈夫ですか?」
 わたしが言葉を濁してそう言う。宇上は頭をかしげる。ブスのくせに女らしい所作して、クソムカつく。

「よければ、わたしの待合室にいきましょうか?」
「.....! そうしていただけると、すごくありがたいです。」

 カツカツカツカツ

 宇上のバカヒールが鳴る。
 宇上が歩く。わたしはその背後で笑う。

 ばか、バカ、ばか。
 お前が東京に生まれてなければこんなことにならなかったのかもしれないのに。
 お前が脚本なんか書き始めなければこんなことにならなかったのかもしれないのに。
 お前の親戚がサマーミュージックのスタッフじゃなければこんなことにならなかったのかもしれないのに。
 お前が〇〇と出会わなければこんなことにならなかったかもしれないのに。
 お前が楽園監督と懇ろやってればこんなことにならなかったのかもしれないのに。

 お前が種那場 光輝と出会わなければこんなことにならなかったのかもしれないのに。

 グサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサグサ
 ね、ね、バカみたい
 あなたの書いたシナリオ通りになった
 全部お前のせいだ。

 わたしははっとする。
 気づいたら、
 わたしは無意識のうちにほくそ笑んでいて、
 そして、
 わたしは、
 これが、
 上質なジョークだということに気がつく。

 真っ暗な、わたしの、ワンルームの、セルフ・ネグレクトが見事に反映された、この部屋で、わたしは、目が乾いたなって思いながら、暗い部屋で、唯一、テレビの光があって、そこで、バカで聡明な、わたしがなれなかった人間たちがギャハギャハ笑って、誰かが「お前、バカですやん、バカですやん」って繰り返し、わたしに向かって言ってた。
 わたしは、光輝ママから、いつかの昔にもらったクッキーのカンカンを開けて、そこに入っていたプリクラを、血まみれの手で持つ。
 そこには、わたしと光輝が笑って映ってて、どっちも違う人ぐらいに顔が加工されてて、でも楽しそうで、わたしの顔の横に、「かりんご」ってラクガキされてて、あ、光輝、わたしのこと、果林じゃなくて、かりんごって、呼んでたなって、そのとき、思い出して、それが、終わったの、いつだったっけって、考える、ことに、した。























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