外で雪の落ちる音がした。降り始めは軽い雪片だったが、丸一日降り続いて相当積もったのだろう。屋根に乗り切れずにずり落ちた雪の音は、随分と重たかった。朝になって日も出てくれば、何度かこのような音がするのだろう。斗南に来たばかりの頃はこのように深く積もる雪は見慣れないもので、重量感のある音が擦る度に屋根が抜けてしまわないかと冷や冷やしたものだ。斗南は雪深い場所。だから家の作りも工夫されていて、ちょっとやそっとの雪では倒れたりはしないのだと言う。一冬越えて、ようやくこの土地の暮らしにも慣れてきた。
 灯火が揺れる。その度に、部屋の暗がりへと伸びる影も揺れた。囲炉裏の灯りに手を伸ばしながら、ぼんやりと眺めていた。火花の弾ける音と、雪の音、それ以外は二人分の息遣いしか聞こえない、静かな冬の夜。何をするでもなく、向かい合うようにしてただ座っている。はじめさんとの沈黙は冬の凍て空のように鋭く、そして淡雪のように柔らかい。はじめさんを前にすると自ずと背筋が伸びる。それでいて、どれだけ続こうとも苦痛ではなかった。それは多分、はじめさんも同じなのだろう。だから居心地が良くて。
 でも時折、はじめさんが何を考えているのか分からなくて切なくなる。はじめさんの瞳の深奥、そこには一体何が見えているのだろうと。ずっと隣で見てきたけれど、もしかしたら、はじめさんは私の見えないものを見てきたのかもしれない。例えば人一人分、違う景色を、ずっと。

「そろそろだな」

 はじめさんが口を開いた。思わず顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、うっすらと微笑むはじめさん。
 何が始まるのだろう。首を傾げていると、遠くに鐘の音が聞こえてきた。耳鳴りのように、じわりと心に沈む音。一つ、二つと続いていく。
 除夜の鐘だ。煩悩を取り除くとされている鐘の音。その重く静謐な響きに、心が洗われていくような気がする。雪の向こう、もしかしたら山の向こうから響いてくるのかもしれない。目を閉じると、暗闇の向こうに一条の光を見た。這いよる年の瀬を改めて実感した。この鐘の音が鳴り止む頃に、また一つ年を重ねていくのだろう。身も心も新しくなって、また一年、時を繰り返す。大切な人と過ごす大切な時間を。
 鐘の音は鳴り続ける。悲しいこと、辛いことを置き去って、新しい年を迎えるために。全てを無かったことには出来ないけれど、私達人間は全てを背負って生きていくにはとても小さな生き物だ。時にはこうして、清算していかなければならない。一人、また一人、死にゆく者から思いを託されてきた。その全てはこうして今も胸の中に残っている。思い、願い、祈り、それらは私達の生きる糧だ。けれど、無念を「燻らせたままでは、いつかそれは私達を縛り上げる枷になってしまう。だからこうして一度空へと返している。溢れ落ちていってしまわぬように、この広い空に預けているのだ。また、必要な時に手を伸ばして引き寄せられるように。

「はじめさん」

 名前を呼ぶと、はじめさんは小さく頷いた。最後の鐘が、地を震わせた。肌を駆け巡る感覚はきっと、私達が新しくなっていくという儀式なのだろう。

「あけましておめでとう、姫」
「あけましておめでとうございます、はじめさん」

 新しい年の始まり。そして、ちょうど今から遡ること数十年、目の前にいる人の胸に新しい命が灯った日。

「生まれてきてくださって、ありがとうございます」
「……ありがとう。俺も、姫に出会えてよかったと、思っている」

 この人と、はじめさんと、出会えて良かった。引きあわせてくださった神様に、感謝を囁いた。毎年毎年、この幸福を噛み締めている。新しくなった心に一番に流れ込んでくるのがこの感情で、本当に良かった。何度も涙した。また私は生きている。生きて、目の前で微笑むはじめさんに伝えられる。
 はじめさんの手が頬に触れる。その温かな指先が頬を離れると、涙の跡が己の存在を主張していた。あぁ、また私は泣いていたらしい。

「毎年、あんたは泣いているな」
「……嬉しくて。あれほど選ぶ道はあったのに、今こうして、はじめさんの側に居られるというのが」

 それはまるで、お互いがお互いを引き合わせるという奇跡のようだ。

「ならば、また今年もそしてその次も、俺の側にいる道を選んでくれ」
「……はじめさんも」
「もちろんだ」

 私は確信している。一年後の私も、泣いている。泣いて、奇跡に感謝して、そして。

「今年も、よろしくおねがいします」
「こちらこそよろしく頼む」

 また、はじめさんの隣で。

fin.(15/01/01)
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