ガタン、ゴトン、と列車が揺れる。単調な音は小気味いいというより不快だった。
 親戚の法事があるからと、私はお母さんの実家、つまりお祖母ちゃんの家を目指していた。お母さんは田舎の山奥から上京してきたような人だったから、この帰省が凄まじく大変だ。そのくせ自分は仕事で行かれないからと私を使いに出す始末。正直、お母さんとお祖母ちゃんの仲が悪いから記憶にある限り帰省などしたことが無かった。だから全くと言っていいほど気が進まない。行った所で親戚の顔など一人も知らないし、お母さんのことをよく思っていない親戚の輪に一人で飛び込めるほど私の肝は据わっていない。特急券の代金を貰って、鈍行列車で行った分の浮いたお金をお小遣いとして貰えなければ絶対に行かなかった。
 お小遣いは貰えるけど、いざ列車に乗ってみると後悔の連続である。景色は、初めこそ山と海と田んぼの大自然を堪能していたけど、この三パターンしかないのですぐに飽きた。ご飯は駅の売店で買おうと思ってたけどそもそも売店どころか駅員が存在しないこともある。トイレも汚いし匂いが酷いから間違っても鼻で息できない。ボットンのやつ、初めて見た。
 こりゃあ田舎の路線が赤字で廃線になるのも頷ける、と私以外に誰も乗っていない一両だけの列車を眺める。特急列車に乗っていたら少しはマシだったのだろうかという考えが何度も頭を過った。けれど折角のお小遣いのため、そして何よりギブアップするのが悔しくて、二周目も終盤になりそうな読みかけの文庫本に目を落として時が過ぎるのをひたすら待つ。

 また、無意味に駅に止まる。止まって、ドアが開いて、誰も乗らず、誰も下りず、駅に誰も居らず、そしてドアが閉まって発車する。さっきからそれの繰り返しである。都会ほど駅と駅の間隔が狭くないのが唯一の救いだけど、それでもしばらくすればまた次の駅がやってくる。同じことが繰り返され、むず痒くて居心地が悪い。

 ドアが開く。イライラしてもしょうがないと本に目を集中させた。列車の音は全てBGMだと考えようとした。けれど意識すればするほど、頭の片隅でガンガン響いて意識を持って行かれそうになる。

 ドアが閉まる。ガタン、ゴトンがゆっくりと始まった。また少しの間、この単調な揺れが続くんだろう。適当に身を任せて本を読むのは慣れっこだ。生成りのページから黒いインクだけを追う。
 コツン、コツン、と靴の音のようなものが、混ざる。


「ここ、隣座ってもいいか?」

 顔を上げると男性が立っていた。すらっと身長のある、若い男の人。どうぞ、と私は反射的に答えていた。
 この人を全く無視して本を読み続けるのは、さすがに無愛想だろうか。とは言え、仲良く雑談出来るほど人付き合いがいいわけじゃないしそもそもこの人はどう見ても年上だ。何を話せばいい?
 ここ数時間まともに声を発していない私の喉からは、咄嗟に何の言葉も出て来ずに、ただただ中途半端に本を開いたまま、中空で視線をウロウロさせた。
 そう言えば、この人は何でわざわざ私の隣に座ったんだろう。
 空いている席など腐るほど、厳密に言えば私の席以外全て、彼がどこに座ろうと自由だ。少なくとも私だったら他人からは距離を置きたい。それなのにわざわざ隣に来たと言うことは、つまり。……これが私の地元のような場所だったら「ナンパ!?」と顔が引きつるところだが、こんな田舎じゃ考えられない。何しろ今日は偶々私が居たけどこれで私が居なかったらこの列車は無人列車になってしまうのだ。そんな場所でナンパするほど非効率的なものはない。
 じゃあ彼は、何だろう。単に話し相手が欲しかったのだろうか。……普通に考えたらそうなのかな。暇だし、見かけない人が居たら「誰だろう」と興味を持つくらいはするのかもしれない。だとすればここは何としても会話をするのがベストな選択だろう。相手はよく分からない見ず知らずの人間だけども、取り敢えずすることのない時間を潰すことは出来る。

「もしかして俺、警戒されてるのか?」

 必死になって、話題話題と頭を捻っていた矢先に、痺れを切らしたのか向こうから口を開いてくれた。ラッキーだ。何か話を合わせておこう。

「あーまぁあれだ、俺も仕事で来てるからな。口説こうとかそういうのは思っちゃいねぇよ」
「口説っ……」

 よくまぁそんな言葉がペラペラと。ビックリ半分、呆れ半分。それから怖いという気持ちも少々で、盗み見るように隣に座った男を観察した。
 顔は……いわゆるイケメンだと思う。服は仕事だと言う割に私服で、これもまたセンスが良い。身長も結構あったしモデルだって言われたら信じてしまいそう。というかこの人の仕事って一体何だろう。

「俺これでも高校で教師してるんだぜ」
「えっ、先生?」
「そう。で、今日は合宿地の下見に来たんだわ。なるべく山奥で、騒いでもいいような場所にしようってなったんだが……思った以上に来るのが大変だった」
「そう、なん、ですか」

 若い人だなぁとは思ったけど、先生であるなら実年齢は結構上……かもしれない。慌てて丁重な敬語モードに切り替えた。そもそも、「教師」相手となるとどうしても身構えてしまうのが学生の悲しい性かもしれない。
 そうやって初めは彼の話を聞いていたのだけど、旅の目的とか自分のこととか一通り単純な世間話は終わってしまったようで、彼の興味は徐々に私へと移っていった。

「見たところこの辺の人には見えなかったが、旅行か何かか?」
「親戚の家に行くんです」
「一人で?」
「……母親の代理で」
「そりゃあご苦労さんなこった」

 やはり人生経験の差だろうか。私の喋り口であれこれを察してくれたらしい。これが同級生だったら一から話さねばならないし面倒だなと思ってたんだけど。彼はそれからこの話題には触れてこなかった。
 ぽつり、ぽつりと身の回りのことを話した。友達のこと、学校のこと。私も彼も、お互いの学校名は全く心当たりがなくて、星の数ほどあるんだから住んでる場所が違えば仕方ないと、少し残念に思いながらも納得した。地元なら少しは分かる……けど、地区を超えたら怪しい。況や、他県。
 話題として面白かったのは身近な人のことだった。私だったらクラスメイト、彼だったら同僚や、受け持っている生徒。彼のところは今まで男子校だったのが急に共学化して、でもまだ女子が全然いなくてクラスに一人だそうだ。さぞや大変な目に遭ってるだろうに。顔も知らないその子に同情した。少女漫画の世界だったら夢色薔薇色の高校生活だろうが、実際問題異性だらけのクラスに放り込まれて円滑なコミュニケーション取れる自信が私にはない。絶対浮く。色恋とか考える前に友達作りで失敗しそう。
 彼の同僚の話も聞いていてヅッコけそうだった。教師なのに職員室で競馬チェックしてていいんだろうか。それとも本当は生徒の知らない所でそういう事が行われている場所なんだろうか、職員室って。今まで厳格なイメージしかなくて入る度に緊張していた場所が、途端に胡散臭くなった。

 ガタン、ゴトン。カーブに差し掛かったのか、急に電車が大きく揺れた。気づけば日が大分傾いていた。あれからどれほど経っただろう。長期休みに入ってからは友達にも会わなかったから、こんなに口を動かしたのは久しぶりだ。
 電車の揺れが心地いい。彼の話に時折相槌を打つのも、習慣のようになってきた。いつもは昼間で寝てるくせに今日は朝も早かったっけ。メトロノームのように規則正しい音と適度な疲れは、意識を深くに引っ張っていった。








――ご乗車お疲れ様でした。お降りのお客様はお荷物のお忘れなきよう……

 ふと顔を上げると、私以外の乗客と思しきおばあさんが二人、風呂敷を手に電車を降りていく所だった。社内アナウンスが二回目に突入する。窓の外の看板には、終点の駅名が書いてある。あぁ、終点。目的地。ここで降りなければ。
 あんな時間に惰眠を貪ったせいで、外は真っ暗なのに頭がクラクラする。眠い目をこすりながら荷物をまとめてホームに降り立った。
 そう言えば、あの人は。
 ホームを見渡してみたけど、彼の姿は無かった。あれだけ目立つしこれだけ人が少ないんだから、見落としたということは無いだろう。つまり彼の行き先はここでは無かったのだ。乗り慣れてない路線だからどの駅で降りたか、何処に向かったかはまるで検討が付かなかった。
 あれは、もしかしたら全て夢の中の出来事だったのだろうか。
 はじめから全て、私が作り出した人だったのだろうか。
 確かに起きていたとは思うけど、突きつけられると自信を持って答えられない私も居る。思えば私達は一切名乗っては居なかった。聞かれないから、何となくタブーのように思って聞かないし言わなかった。高校の名前は教えて貰った気もするけど、残念ながら思い出せなかった。本当に、夢の中の出来事のようにフワフワとした記憶しかない。

 私が降りた列車はのドアが閉まる。『回送』と行き先を変えて走りだした。私の隣、あの席の、温もりを確かめておけばよかった。そうすれば、自分の記憶に確証を持てたかもしれない。
 全ては後の祭りである。二度と座ることのないだろう座席を、小さくなる車体を、見送った。

fin.(14/09/25)
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