今日の空は、突き抜けるような快晴の空。こんな日は何か良いことがありそうな気がして、訳もなく明るい気分になる。昨日のようなどんよりとした曇り空とは対照的。ふんふんと調子を取りながら、まずは井戸で水を汲んで朝餉の支度。私一人が食べる分を作ればいいんだし、おかずはまたありあわせの和物でも作ればいいかな。あ、でも久しぶりにお豆腐が手に入ったから、白和えでもいいかな。
……ううん。やっぱりお豆腐はお豆腐で食べよう。だってあれは、特別な食べ物だから。他の人にはなんでもない、けれど私にとっては幸運を引き寄せてくれるような、特別な。あぁ、もしかしたらこの予感は。

「……姫は居るか」

ほら、やっぱり。今日はいい日になりそう。




久しぶりの二人分の食事を用意した。寛いで待っていてくださいと頼んだのに、斎藤さんはぴんと背筋を伸ばして正座している。相変わらずの几帳面さに、少し頬が緩んだりして。

「急にすまない」
「いいえ。これが私の役目ですから」

いただきます。折り目正しく手を合わせて、斎藤さんは箸を持った。一番に向かったのは……やはりお豆腐。取っておいてよかったと、私は内心ほくそ笑んだ。

「……俺の顔に何か付いているか」
「そういうわけではないのです。じろじろ見てすみません。でも私が作ったご飯を食べている斎藤さんを見ているのが、嬉しいんです」
「……?」

斎藤さんは沢庵を咀嚼しながら小首を傾げる。刀を持っている時は研ぎ澄まされた刃のように凛としているのに、こういう普段の何気ない仕草が可愛らしかったりする。
男の方には分からないかもしれませんが、と前置き。

「勝手かもしれませんが、頼って頂けているような気がして」

私を助けてくれた斎藤さんの、お役に立てている。それがなんだかとても誇らしく思える。刀を置いてご飯を食べる。そんな無防備な姿を見せてくれると、信頼されてるんだなぁって実感する。

「まだおかわりありますから、遠慮しないでくださいね」
「すまない。……こうしてゆっくり飯が食えるのは、いいものだな」
「ふふ。向こうは賑やかなんですね」
「あぁ。こんな風に会話をしているとすぐに魚が無くなる」
「あらあら」

新選組の幹部さんは、局長の近藤さんを中心として知己の間柄と言う。遠慮気兼ねなく接することが出来るのは、少しだけ羨ましくもある。男だけのその世界に私は入ることは出来ないから。
そんな気の置けない人達でも、新選組という枠組みの中に居ることは変わりない。新選組である限り、斎藤さんは本当の意味で肩の力を抜くことはない。一瞬でも隙を見せれば斬り殺されてしまうかもしれないから。
だからこそ私の前では、気を緩めていてほしい。


「今日は夜の見廻りだったんですか?」
「…………」

斎藤さんから返事は無い。しまった、と私は口を覆う。
雑談には相応しくない、余計なことを詮索してしまった。斎藤さんのお仕事には口を挟まないというのが私の信条だというのに。
斎藤さんが新選組の、一つの組を率いるような立場にいることは、京に少し居れば誰だって分かることだ。その斎藤さんが、通っている場所。通う相手。それが私。もしそんな事が明るみになれば、斎藤さんの弱点になる。生きていれば恨みの一つや二つ買っても仕方がないけれど、残念ながら新選組というのは各方面から恨みを抱かれている。人斬りだと言われて商人からの評判も良くないし、何しろ攘夷浪士からは目の敵にされている。だからこうして隠れるように住んで、人目を憚るようにしか、会えない。
そして例え私が捕まるようなことがあっても、何も知らなければ、斎藤さんに迷惑はかからない。私は弱いから、恐怖に足がすくんで自刃出来ないかもしれない。何か知っていることを、吐いてしまうかもしれない。けれど最初から何も知らなかったら怖いものなど何もない。

不要なことは、知らない方がいい。

「……すみません、出しゃばりました」
「いや。……姫の言う通りだ。今日は朝まで、見廻りだった」
「そう、でしたか」
「またあんたみたいに襲われるものが居ないとも限らぬ故、巡察を怠るわけにはいかぬ」
「存じております」

夜陰に乗じて襲われる恐怖は、一度味わってしまったから分かる。いざという時は声すら出ない。人が目の前で殺されるのを、抗う術なく見ていることしか出来なかった。「逃げろ」と言って私を庇ってくれた人が死んでいく様は、残酷なほどに鮮明に覚えてる。
……などと、思い出す時はまるで他人事のように薄ぼんやりと捉えどころがない。

「……何でわざわざこんな没落貴族の家に、押し借りに入ったんでしょうかね……」
「家の前を毎日手入れしてあったのが仇になったんだろう。それに、女だけの家は押し借りをする側から見ればいいカモだ」
「…………」
「……すまない。俺はどうも言葉が足りないと言われる」
「いいえ。斎藤さんの仰る通りですから。女二人で暮らしていたら、それは無防備に見えますもの」

両親が亡くなった後も、乳母だけは世話を焼いてくれて。今思えば、きっと私は一人では生きていけなかった。彼女が居たから、寂しくなかった。

「……今は、斎藤さんがいらっしゃるから心配ありませんね」
「いつも居られるわけではない。それに、あの物盗りが捕まったとはいえ、治安がよくなったわけでもない。あんたも用心は怠らぬことだ」
「分かっています。お手間は取らせません」
「…………」

斎藤さんも私の意思を汲んでくれている。だから何も言わない。ぎこちなく笑って、私は何でもない話をする。町で聞いた与太話とか、世間話。斎藤さんにとって面白いか分からないけど、せめてここでだけは、刀から離れて欲しくて。……人であって、欲しくて。

斎藤さんが実際に新選組として見廻りをしているところは、本当は何度か見たことがある。どうしても人目見たくて、こっそり抜けだして行ってしまった。家での斎藤さんと同じようにぴんと伸ばした背筋、浅葱の羽織りの集団を率いて歩く姿は、とても武士らしい。張り詰めた眼は鋭く辺りを伺っている。それはまるで刃のようだった。冷徹で怜悧で、力の象徴のようなのに、簡単に折れてしまう。脆く、儚い。
そんな思いを抱いてしまって、その度に怖くなって逃げ帰った。自分か、罰か、それとも見えない不安か。何に畏れを抱いたか自分でも分からない。ただ漠然と不安が心を貫いて、身体の内側から突き刺してくる。

多分、それからだと思う。

「いってらっしゃい」

……見送る時の作り笑顔。きっと斎藤さんも気付いているんだろうけど、そのことには何も触れない。短く「あぁ」とか「行って来る」と言い残して、静かに出て行ってしまう。
もしかしたらこれが最後になるかもしれなくて、だったらせめて一番綺麗な私を焼き付けて行ってほしいのに、だから笑っていたいのに、心が追いつかない。気持ちに不安が混ざりこむ。このまま会えなくなるんじゃないかって。一人待つ夜は不安に押しつぶされそうで、寂しい。いつか帰ってくる、その時には「おかえりなさい」って言うんだ。そう信じて自分に言い聞かせてどす黒いものを心の奥底に沈ませて、自分を騙し続けて来たけれど、溜ま
った泥が大きすぎて溢れそうになる。

行かないで。
私も連れて行って。

その一言が言えたら、どんなにいいのに。




repeat





「……今戻った」

斎藤さんの声がした。急いで玄関へと向かう。あれから三日。少し疲れたような顔、解れた服の端。それでも彼は帰ってきた。帰ってきてくれた。

「おかえりなさい!」

だから私は精一杯の笑顔で彼を迎える。それだけが、今の私に出来ることだから。



「行って来る」

今日もまた、同じ一日が始まる。でもこれでいい。私は斎藤さんの帰りを待ち続ける。不安な時もあるけれど、いつかはまた帰って来てくれると信じてるから。
それだけが、支えだから。
多くを望めば、それだけ失った時の痛みが大きい。だから私はたった一つだけ願うことにする。そうすれば傷つかずに済む。
それは臆病なことかもしれない。本当は死に物狂いで追いかけ続けなければいけないのかもしれない。それがこの時代の、生き方なのかもしれない。斎藤さんは、そういう世界で生きているんだと思う。忠義の為に、己の命さえ厭わずに戦う。それが男の生き方なのだとしたら、女だけは、休める場所であるべきなんじゃないだろうか。

「いってらっしゃい」

何も言わずに、見送る。これでいいんだ。私はこれで、いい。
つ、と進んだ後、斎藤さんが振り返った。

「……なるべく早く戻るようにする」
「……! はい、お待ちしてます」

少しずつ違う色を見せながら、日々は繰り返す。



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(14/05/11)

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