純白な女神は愛を囁く
敷布団がじっとりとしている。
零(れい)は、この感触に少し不快に思いつつも、聖(ひじり)と身体を繋げた幸福感に浸っていた。
情事後のこの時間が好きで、こっそりと微笑むと、聖がそれに気づいたのか手の甲で頬を撫でてくる。
「零、愛してる」と、愛おしむように撫でる大きな手が暖かくて気持ちいい。
このまま死んでしまいそうなほど、幸せだ。
しかし、情事後のこの空気とはいえ、じめじめしすぎなのがどうしても気になってしょうがない。上体を起こし、くん、と匂いを嗅いでみると微かに雨の匂いがした。
「雨、でしょうか」
くんくん、と何度も匂いを嗅いでいると、隣から溜め息が聞こえてきた。そっと視線を向ければ、聖も上体を起こしていて手で額を覆っている。
はて、自分は何かやらかしただろうか。
零は、その姿を見てきょとんとしてしまうが、次の聖の言葉で自らの愚かさを知る。
「……まったくお前は。今、この状況でそれを言うか」
「え?……あっ!」
「お前は雰囲気を壊すのが大の得意だな」
こつん。
聖の拳が零の額に当てられた。そして、再び聞こえる溜め息。
一気に青ざめてしまった零は即刻謝罪をしようとした。しかし、すぐ後にその場所を柔らかく口づけられ動揺する。
「えっ、え……? 聖、様?」
「ばか、鬼でもそんな簡単に怒るものか」
だから、気にするな。と、聖は零の頭を包み込むように撫でた。
瞬間、その仕草とは逆に閃光が走り、雷鳴が轟く。
標準男性の零より一回り大きく、ほどよく筋肉のついた身体。紅蓮の髪に映える白銀の角。金色の瞳は優しさを放っていて――これが愛を司る鬼の最後の末裔、聖の姿だった。
「零、どうした?」
「いえっ、何でもありません」
つい、見とれてしまっていたようだ。
零は、顔が熱くなってしまったのを俯き隠す。そして、垂れてきた髪を耳にかけながら窓を見ると、先程の雷によって雨足が強くなっていた。
「……ああっ、せっかく明日は聖様と薬草摘みの約束でしたのに、雨が強くなってきました!」
襦袢を羽織り、廊へ出る。すると、雨がざーっと大きな音を立てて地面を叩きつけていた。
この様子では当分は晴れそうにない。もし、晴れたとしても地面がぬかるんで危ないだろう。
どちらにしろ、薬草摘みは中止という結果に零は肩を落とした。
「そんな焦ることはないだろう。また晴れた日に行こう」
「しかし! 私はまだ聖様の世界をまだ知りません。もっと知りたいのです!」
「だから、焦ることはない。ゆっくり知っていけばいい。まだこの先何年とある」
「でも、私は」
そう言ったところで、零は顔を俯けた。今は何か言ったとしても、聖には焦るなと言われるだけかもしれない。
でも、知りたい。人間界とは違うこの世界を――聖が何百年と生きたこの世界を零は知りたかったのだ。
そのまま黙り込んでしまった零を聖はそっと抱き寄せた。
どうもいい過ぎてしまう癖があって、今回もまたそれで零を困らせたみたいだ。これでも優しくしようと努力をしているのだが、実際うまくいかないのが現状である。
「しかし、最近の零は焦ることが多いな。急にどうしたんだ」
あやすように背中を撫でていると、零が胸板に頬を擦り寄せてきた。
「それは……あの、聖様?」
「なんだ」
「あの……わ、私は本当に聖様の妻として相応しいのでしょうか」
「……何故、そう思う」
「聖様は、最初、私と契約した時に言いました。この世界を知らない者には妻の資格はないって」
「ああ」
何百年と生きてきたこの身。正直、零より前に何人もの人間と契約したことは事実だ。
しかし、その当時の聖は結婚には興味がなく、この言葉はただの言い逃れに過ぎない。実際に厳しく指導していれば、ほとんどの人間が契約を破棄していった。
ただ、零は違った。今まで嫌とも言わずに耐え抜いてきた、自らが妻にと欲した愛しい零。
「私はまだ知らないことが多すぎて、いつも聖様に迷惑かけてばかりで……私は妻として、何一つも聖様を支えておりません。だから、聖様は私が不要かと……」
対してその妻はというと、愛していると何度も言い聞かせているのにも関わらず、今更、自分がいらないのではと言ってきた。
「ふっ、それを今言うか」
何故だかおかしくなって、聖は思わず笑ってしまった。
「なっ、私は真剣に考えているのですよ!」
冷えて身体が震えているのか、泣きそうなのを我慢して震えているのか。
それすら愛おしくて微笑んでしまう。
震える零の身体に聖の羽織りが全身を覆うように被せられた。
「確かに、まだ未熟なとこはあるな。だが、俺らは満月の夜に正式に婚儀を行ったじゃないか。それは、俺がお前を妻として認めたことにはならないのか?」
「あ……」
「お前しかいらないほど、こんなに愛してるのにな。それに、俺は零が俺の妻だと、胸を張って言える。俺の妻は零しか務まらないと思っているが?」
「ひ、ひ……聖様……はずかし、です」
「愛の鬼故、愛情深いんだ」
純白な羽織りに覗かせる紅く染まった顔。
「零は俺の愛しい妻だ。一生離せそうにない」
「はい」
その姿は初々しい花嫁のようであって、ふわりと微笑むと、まるで女神のように変化する。
聖は零を再び抱き寄せて、口づけを幾度となく落としていると、華奢な腕が大きな背中へ回った。
「聖様、愛してます。一生あなたのお側にいさせてください」
まだ大きな声では言えないけれども。雨音のほうが勝っているけれども。
聖には確かに届くように。
純白な女神は、愛を囁いた。
End