その夜以来、二人はしとねを供にするようになった。

極寒であっても竜神に抱きしめてもらえば温かい。

政宗は恥ずかしながらも小十郎を受け止める。
愛しい竜神のその名を呼びながら。

二人で狩りに野山を走る日もあった。
川で魚を釣ったり、夜の海の上で小十郎に抱き締められながら、海面に映る月を眺めている事もあった。
時には他の神が会いに来て祝福を受けたり、諦めきれない幸村がちょっかいをかけ、
小十郎と幸村が殴り合いの取っ組み合いになったりと、思い出はとつとつと増えて行く。

少年の生まれて初めて踏み入った安寧の地。
小十郎の傍ら。
竜神の優しい瞳で見つめられると、全てを包み込まれるように感じた。




しかし、政宗は最近気になる事がある。

その小十郎の瞳だ。
優しく見つめてくる、愛おしそうに目を細めてくる。
夜は熱を帯びた視線で絡めとられる。
でも時折とても悲しい色をする。
寂しいように歪む。
政宗はそれがとても気になっていた。



「お前はオレがいるだけじゃ足りねぇか?」
「何故、そんな事を聞く?」

二人熱を放ちあった後に、政宗は勇気を出して聞いてみた。
打ち掛けを肩にかけるだけの姿のまま、小十郎の包容を軽く解いて上になる。

「お前が寂しそうな顔するから」
「……………」
「誰かに会いたいとか?」
「いいや」
「じゃ、なんでだ。教えろ」
「言えばお前を困らせる」
「わかんねぇだろ、そんなの」
「……………」

小十郎は心配顔の少年の髪を撫でて、困った顔をする。

「オレが出来る事か?」

小十郎はまだ口を開かない。

「言えよ。黙ってたらオレが寂しいじゃねえか」

政宗は小十郎を、まっすぐに見つめる。


小十郎は「嗚呼…」と小さく息を漏らした。
少年のこの目が好きだった。
強く、気位の高い瞳。
独眼だけれども、鋭くて強い光を持った瞳。
それは、上に立つものだけが持つ特有な物だった。
皆の先頭に立ち、導き、率いるその資質だ。
神の己でさえ縋ってしまいたくなる。

「小十郎」

名を呼ばれて小十郎は一度目を閉じた。
そうしてから語り始めた。

「神だと崇められても、俺達はこの世の万物に過ぎない」
「ああ」
「もちろんいつかは消え去る。だけども人とは比べ物にならない時間を過ごさねばならん」

小十郎は真剣に聞いている政宗を、もう一度抱きしめ直す。

「俺が何年生きてきたか分かるか?」
「う〜ん…100年とか200年とか?」
「ざっと3千年だ」


驚いて政宗は小十郎を見た。
持って行き場のない悲しい顔をしていた。

「長い月日だ。ずっとこの社にいる。この地を守って生きている。それが俺の役目だからな」
「家族とか、は?」
「さあ…俺たち神には母親というものがない。一種でただ1人だ。
火の神も1人、炎神もだ。皆1人しかいない。どうやってこの世に生まれて来たのか誰も知らない」
「それは………寂しいな」

政宗は気使うように小十郎の背を撫でる。
竜はくすりと笑う。

「1人なのが寂しいと思った事などない。そうじゃなくて、お前が俺を置いて行くのが寂しいんだ」
「ッ!!」

びくり、と政宗が身体を跳ねさせてから固まった。
それを申し訳ないように小十郎はあやす。

「人は、100年程で逝ってしまうだろう」
「こ、じゅ…」

少年は小十郎の寂しさを瞬時に悟る。
竜神には他の神のような式神も付いていない。
ずっと、ずっと、1人で生き、この山奥の社でただ地を守る神として在ったんだろう。
もしかしたら何日も、いや、何年も言葉を使う事さえなかった時もあったのかもしれない。
それを考えると政宗はうち震える。
底の見えない孤独の深淵をかいま見た気がした。

「小十郎、すまない…。オレは、何も出来ない………」
「……………」

政宗は悲痛な顔で小十郎を見つめる。
小十郎の目が小さく揺らめいていた。
猛々しいはずの竜神には見えない。

「……………こっちに来る気はないか?」
「こっち?」
「俺達の世界だ」
「よく、分からねぇ…」
「人間である事を捨ててはくれないか」

え?っと政宗の綺麗に切れ上がった隻眼が見開く。

「酷い事を言っている自覚はある。お前にあやかしの類いになれと言っているのだからな」
「あやかし……………」
「俺の血をお前の血に流しこむ。お前の身体は変化を経て人ではなくなる。ずっと一緒にいれる、共の時を生きられる」

意味を理解した政宗に、強い衝撃が走る。

「だが、そうなればお前は二度と人間の世界で暮らせなくなってしまう」
「………それは…………」

答えかけた政宗の唇を、小十郎は唇で塞いだ。
そして少し微笑んでから言った。

「いい、答えなくて。忘れてくれ」

政宗にはその時の竜神の顔が今までで一番悲しく見えて、胸を掻きむしりたくなった。






それ以来政宗はよく考えこんでしまうようになった。
人間である事をやめれば小十郎と供に暮らせる。
しかし。
ぞくりと寒気が走り、粟肌が立つ。
云いようもない恐怖に襲われる。
それは仕方のない事だった。
自分が自分でなくなるのではないかという、未知の恐れなのだ。
竜神に喰われるのも恐ろしく感じない強い政宗でも、心を乱してしまう程の恐怖。

自分の言葉で、政宗の元気がなくなっている事に小十郎は気がついていた。
何度も忘れてくれ、気にしないでくれと言ったが、政宗は本気で悩んでいる。
やはり言うのではなかった。
彼のそんな顔を見たくないのに、己の浅はかな願いのせいで苦しめている。

なのに。

なのにどこかで、願いを聞き入れてくれるのではないかという期待を持ってしまっている。


(俺は本当に自分勝手で傲慢だ)






ある日の昼、竜の社に佐助が来た。
幸村の使いの帰りに寄ったらしい。

「おひいさん、なんか元気ないねぇ」

佐助にさえばれてしまったか、と政宗は苦笑する。

「たいした事じゃない」
「ふうん…悩み事なら聞くよ?」

そこでふと、政宗は佐助に聞いてみることにした。

「なぁ、アンタは式神だと言ってたよな?」

この頃にはもう、佐助の尻尾が9本ある事を政宗は知っている。
9本の尾をもつ狐は、子供の頃に妖怪だと聞かされた覚えがある。

「式神ってのは…妖みたいなもん?」
「うん。妖が契約をすれば式神になる」
「元々九尾の狐として生まれて来たのか?」

そんな事聞いてどおすんの?と佐助は笑っていたが政宗が真剣なので、答えてやった。

「元々はただの狐だよ。真田の旦那の血をもらって変化したの。そうやって力をつけたのさ」

ああ、やはり。
小十郎の言ってた事はこの事に違いない。




政宗は佐助を見送ってから考えた。
流れは分からないが、ただの狐が力を願い妖になって式神となった。
自分が小十郎の血を貰って妖になっても、式神になるかどうかまでは分からないが、同じ事なのだろう。

気を落ち着かせるために政宗は社を出て、山を歩いた。
鳥が蒼い空を高く飛んでいる。

人である自分が妖になればどうなるのだろう?
やはり、化け物じみた姿になるのだろうか。

かさりと政宗の足下で山ネズミが走り抜けた。
そろそろ2度目の秋が来る。
木々は燃えるような紅葉を見せていた。

季節は移り変わる。
秋の紅葉、冬の深雪、春の陽気、夏の緑。
こんなにも移ろい行く月日の中で、三千年も孤独に生きて来たのか?
そして生きてゆくのか?

「小十郎……………」

(お前はオレに飽きないか………?)


政宗はこれが一番怖かった。
今はいい、自分を好いてくれて、執着してくれてる。
だが。
何年、何百年と共にいたら?
人である事を捨てた後、もし、小十郎に飽きられ捨てられたら?
自分は妖として1人生きてゆくのだろうか……。



政宗は山を散策する。
空を見上げ葉裏のそよぎを感じる。

その時、聞き慣れない音に気付いた。
足音だ。
それも複数。
落ち葉を踏む音が、いくつもいくつも聞こえる。
この山に人が?
大きな杉の木の後ろに身を隠し、政宗は様子を伺った。
10人程の人数の男達だ。
身なりは良く、帯刀している。
その中に見覚えのある姿を見つけた。

「………綱元?」

男達が政宗を振り返った。

「政宗様っ!!」










北が奥州にある青葉城に政宗は連れて来られていた。
女物の着物から立派な若武者の成りになった政宗の前に、懐かしい家臣達が並んでいた。

「…………で、弟が死んだ今、伊達を継ぐのはオレだと。そう言いたいのか?」

政宗は冷めた目で皆を見回した。

「母上は?」
「義姫様は東の館にお住まいになられております」
「何かおっしゃっていたか……?」
「お顔が見たいと」

政宗の隻眼がわずかに揺らめいた。

「オレも帰って来たばかりだ。お前達もオレを捜すのに疲れているだろう。一度評議を楽にしようぜ」

言うなり政宗は伊達家臣を置いて、部屋を出た。
行き先は東の館、母のところである。

「母上、政宗です」
「入りなさい」

すっと、襖を開けると美しい女が機嫌良さそうに笑っていた。

「久しぶりだの、藤次郎」
「ご息災であらるようで何よりです」

固い表情で政宗は母に向かい合う。

「よく生きていてくれた」

にっこりと政宗の母、義姫は笑う。
その姿は美しすぎて毒を含んでいるようだ。
政宗は眉を顰めないように唇に力を入れた。

「やはり我には上絹がほっとする。お前もそうか?」

義姫は己の腕を少しあげて空にさらさら泳がす。
それつられ、着物の裾が流れる。
香の匂いがふんわりと薄布のように政宗に落ちた。

「阿山には、ほんに煮え湯を飲まされたわ。息子が死んで自害するとはの。軟弱な子を持つと哀れなことじゃ」

くっくっく…艶かしく義が笑った。

「小次郎…いえ政道は名誉ある戦死でございます。そのようにお笑いになるのはお控えください」
「藤次郎」

義姫が睨んだ。

「我を恨んでおるのか?」
「そのような事は……」
「嘘をつくでない。お前を厄介払いに竜神とやらの生け贄に差し出したのは我ぞ?」
「致し方のない事でございます」
「そう、思ってくれるのか?」

政宗はこっくりと頷いた。

「父上がお隠れになられた後は伊達から追い出され、阿山の方に我ら共々命を狙われ続ける毎日でした。
 私がいなくなる事で母上の御身が救われるというのならば、この命など惜しくございません」

義は満足そうに頷いた。

「優しい子だの。お前が病で目をつぶして追い出された時には、もうここに戻る事は叶わぬと思うた。
 竜神の生け贄となってもまだ生き残るその運、天下で試しなさい」
「伊達を継げとおっしゃいますか」
「継がぬとは言わせない。お前は側室の子だとしても長男。
 本当ならばあの竺丸のような弱き男が、一度でも我らを差し置いたなど許せぬ事だ」
「…………」
「継いでくれるな?伊達の為、そして母の為にも」


政宗は目を伏せると、まだ続きそうな母親の言葉を頭の中だけで遮った。






翌日、政宗は文を書いた。
それをここに来る時に着ていた青い打掛と一緒に小性に渡す。

「北の竜神山の目立つ木に、これを結んでおけ」

政宗の顔は痛みに耐えているようだった。








阿山の方→正室 子:次男竺丸(政道)
義姫→側室 子:長男(政宗)
という設定。


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