小十郎は箒を持って一つため息をついた。 政宗の事だ。 彼は今まで黙って三日以上社を空ける時はなかった。 なのに、もう十日も姿を見せていない。 何かあったのだろうか。 小十郎は心配気な顔で社の入り口、鳥居の下を見た。 丁度政宗が鳥居をくぐろうとしていたところだった。 「政宗様?」 久しぶりに見る政宗の姿に小十郎は一旦笑顔になったが、その顔が一気に青ざめた。 「なっ!?」 小十郎は箒を放り出し、政宗に駆け寄る。 政宗は血まみれの姿で、よろよろと鳥居に凭れ掛かった。 「しくじった……」 「政宗様!!」 崩れるように倒れかけた政宗を小十郎が支えた。 すぐに社務所に連れ入って、政宗を布団に横たえる。 彼の衣服を脱がして小十郎はぎょっとした。 右脇腹から胸にかけて大きく肉が抉れていたのだ いや、抉れていたなどという生優しいものではない。 上半身右側がない、と言った方が正しいのではないかというほどのひどい怪我だった。 これだけの怪我、人間ならば確実に死んでいる。 小十郎はどう治療して良いのかさえ分からずに、胴体をきつく布でグルグルと締め付けこれ以上血を流さないようにするしかなかった。 「一体、何故このような……」 思わず呟いたら意識がないと思っていた政宗が目を開けて言った。 「西の街道の近くに妖がいる。そいつをとっちめてやろうと思った」 「貴方にここまで傷を負わせるなど、どれほど強い妖を……」 「そいつが強いんじゃねえ、オレが弱いんだ……勝てたのは奇跡だな」 政宗は青い顔で苦笑する。 「無茶をなさらないでください!」 「あの道は皆が使うからなぁ……これ以上犠牲者を出すわけには…………」 言葉の途中で政宗は意識を失った。 そのまま半日が経った。 小十郎はずっと政宗に付き添っていたが血は止まらず、彼の顔色はどんどん悪くなる。 医者に見せようとも、政宗の姿は人には見えない。 そもそも人間の医者に竜神である政宗の治療をできるのかも疑問だ。 政宗の額に浮かぶ汗をぬぐってやることしかできない自分をふがいなく思っていた時、政宗の目がそっと開いた。 「お気づきになられましたか」 少しだけホッとした小十郎に政宗は言った。 「小十郎……。悪いが頼まれてくれねえか?」 「なんなりとお言いつけください」 政宗は小十郎に手を差し出した、ふわっとその手に地図が現れた。 「この印の付いた場所に京極マリアという精霊がいる。そいつに頼んで薬をもらってきてくれ」 「はっ。今すぐ出立いたします」 立ち上がろうとした小十郎に政宗が声をかける。 「これを持っていけ」 政宗の手には刀が握られていた。 「この刀を持っていれば、弱い妖なら近づくこともできねぇから……。悪い……頼ん……だ」 政宗はまた意識を失った。 小十郎は地図を確かめる。 場所を考えると、急いでも往復四日はかかる。 政宗の事が気になったが、小十郎は急いで準備をし神社を走り出て行った。 途中途中で妖の気配はあったが、近づいてこないところを見ると、これが政宗に渡された刀の効力なのだろう。 東に進み川を渡り森を抜けると小さな泉があった。 その周りには月明かりに照らされた白い百合が大量に咲き誇っている。 幻想的だった。 小十郎は思わずその様に見惚れてしまう。 「あら?こんなところに人間が来るなんて珍しいわね」 小十郎が振り返ると美しい女がいた。 どこか色気のある少しつり上がった瞳、小ぶりの高い鼻、妖艶な微笑みを乗せた唇、長くて艶やかな薄い金色の髪。 黄緑を基調にした衣に、薄くて長い布を腕に絡ませている。 「京極マリア殿か?」 「そうだけど?なあに、いきなり」 女は訝しげに眉をひそめた。 「我が主が大怪我をしている。お前の薬があれば助かると聞いた。どうか譲ってはくれないか」 「主?」 マリアはふと小十郎の腰に差された刀を見て目大きくさせた。 「都牟刈大刀、……独眼竜に何があったの?」 「ここから東に向って街道がある。そこに現れる妖と戦って大怪我をしているんだ。頼む、薬をくれ!」 「あのままの姿で戦ったというの?!なんて無茶な!!」 「あのままの姿……?」 小十郎は首を傾いだ。 あのままの姿ということは、政宗は他の姿を持っているということだろうか。 「人間の事なんて放っておけばいいのに。でも、さすがだと言わざるえないわね」 マリアはその細い顎に指を当てて少し考えると、腕にまとわりつかせていた布をふわりと動かす。 気がつくと小十郎の前に小瓶が浮いていた。 「持って行きなさい」 「ありがたく!」 小十郎は小瓶を掴もうとしたが、小十郎の手を避けるように小瓶が上に逃げた。 「お礼は言葉だけなのかしら?」 「金ならあるだけ渡そう」 「そんなもの妾が持っていて何かの役に立つと思うの?妾の部品になりなさいと言いたいところだけれど……そうね、いい男は嫌いじゃないわ。これで許してあ・げ・る」 マリアは艶っぽく笑うと小十郎に口づけた。 バッと小十郎はマリアから距離をとる。 マリアはくすくすと笑うと小十郎の胸に人さし指を当てた。 「今度二人揃って来なさいな。美味しいお酒を用意してあげるわ」 その言葉の後に小十郎はぐわんと目眩を起こした。 ふと気がつくと神社の前であった。マリアが何か術でも使ったのだろう。 小十郎は走って政宗の元へ行った。 政宗の呼吸は弱く、その姿はうっすらと透け始め今にも消えてしまいそうだった。 小十郎は政宗の身体を抱き起こし、口元に薬の瓶を当てて飲まそうとしたが、唇の端から薬が伝い落ちてしまう。 迷いもせず小十郎は薬を口に含み、政宗に覆いかぶさると唇を重ね薬を流し込んだ。 政宗の喉仏が上下する。長い睫毛がわずかに震え、そして目が開いた。 「小十郎……。薬をもらってきてくれたか」 「傷はどうですか?痛みは?」 「あの女の薬はよく効く、もう痛くない。京極に何かされなかったか?」 小十郎は京極マリアにされた口づけを思い出して少し答えに詰まってしまった。 一つ咳払いをしてから、政宗に眠るように促す。 彼は素直に目を瞑った。 呼吸は穏やかで、頬にも赤みがさしている。 小十郎は安心して気が抜けたのか、床に倒れるように横になると二日ぶりの眠りに落ちた。 何か良い匂いがして小十郎は目を覚ます。 布団に寝ているはずの政宗がいない。 驚いて小十郎は立ち上がり政宗を探そうとして、味噌汁の匂いがする事に気付いた。 慌てて厨へ行く。 「政宗様!」 政宗は味噌汁の味見をしていた。 「おう、小十郎。Good morning!」 「何をしておいでか!すぐに布団に戻ってください!」 「大丈夫だ。ほら」 政宗は合わせを開いて脇腹を見せた。 そこには傷跡一つない。白くて細い上半身があるだけだ。 あまりにものことに小十郎がぽかんとしていると、 「味噌汁の具が若布しかねえがいいか?」 政宗はそう言って、ニッと笑った。 * 政宗が自分の領地を軽く巡回した後、社に戻った時である。 小十郎が三人の女と話していた。 最近、神社へ参拝に来る者が急激に増えた。 こうして小十郎と近隣の村娘が話をしている景色もよくも見かける。 政宗はそれが無性に不愉快だった。 何度も自分の心の中を探って原因を探したが、何故不愉快なのかは分からないままだ。 雨を降らしたのも、枯れた井戸の水を復活させたのも、人を喰う妖を倒したのも自分だ。 だが、参拝者が増えたのは小十郎がいたからに変わりない。 小十郎が政宗の心を動かさねば、こういう結果にはならなかったのだから。 皆に良い印象を持たれるのは当然だ。 それに小十郎は強面ではあるが、かなりの男前だ。 村娘が参拝という理由をつけて度々小十郎に会いに来る気持ちも分かる。 参拝者が増えたのは喜ばしいことだというのに、政宗はどこか不服だった。 小十郎が政宗に気づいて、わずかに微笑んだ。 娘たちに挨拶をして社務所に戻って行く小十郎を見て、政宗も鳥居の上から降りその後に続いた。 部屋に入ると小十郎が丁寧に頭を下げる。 「おかえりなさいませ」 「ああ」 「参拝者に饅頭をいただきました。お出しいたしましょうか?」 「……ああ」 政宗が不機嫌そうに饅頭を食べているのを見て、小十郎は首を傾いだ。 何かあったのだろうか。 そのまましばらく無言で茶を飲んでたいのだが、この沈黙が苦しくなって小十郎は話し始めた。 「そういえば、巫女を雇おうと思っているのですが」 茶を飲もうとした政宗の動きがぴたりと止まった。 ギロッと小十郎を睨む。 「……巫女だと?」 「ええ、ありがたいことに参拝者もかなり増えてまいりましたので」 「いらねえ」 「しかし、業務も増えた分補佐も必要になってまいりましたし、神楽や奉仕も……政宗様?」 政宗は黙って立ちあがり、そのまま部屋を出て行った。 次の日、小十郎が境内の掃除をしようと社務所を出た時である。 巫女がいた。 「え…?」 白い小袖に緋袴。 間違いなく巫女装束である。 小十郎は二度瞬きをしてから、巫女に近づいた。 巫女が振り返る。 「Good morning!」 「ま、政宗様?」 「どうだ?似合うか?」 政宗はくるりと回って見せた。 「なぜ巫女の格好をしているのですか」 「お前の補佐をオレがすることに決めたからだ。神楽も舞ってやろう」 ふっと政宗の手に神楽鈴が現れた。 政宗はしゃんしゃんとそれを二度降って鳴らす。 「また何を思ってそうなったのですか」 少し呆れて小十郎はそう言った。 「これで巫女はいらないだろ?」 政宗は真剣な顔でじっと小十郎を見る。 「巫女を雇うのがそんなに嫌なのですか?」 「嫌だ」 「何故です?」 「何故って……。何となくだ」 ふいっと政宗が顔をそらした。 政宗自身、何故巫女がこの社に来るのが嫌なのか分かっていない。 だから答えようがない。 何故なのかは分からないが、想像すると非常に不愉快なのは確かだったのだ。 「わかりました。巫女を雇うのはやめましょう」 小十郎がそういうと政宗はやっと硬い表情を緩めた。 「じゃあ、何をすりゃいい?」 「何を、とは」 「巫女としての俺の仕事だ」 真面目に政宗が言うので、つい笑ってしまった。 そんなことをする必要はないと小十郎が政宗に言ってこの話は終わった。 だが、それから時々巫女姿の政宗が神饌を供えていたり、神楽を舞っている姿を見かける事があった。 ……どうやら、この社の神は巫女装束が気に入ったようである。 続 ■次へ ■前へ ■おしながきに戻る ■異世界設定小説に戻る |